文化村クリエイション vol.1 黒田大スケ「湖底から帆」
文化村クリエイション vol.1 黒田大スケ「湖底から帆」
二つの海を追いかける
このプロジェクトは、なら歴史芸術文化村の企画によるもので、2021年から2023年にかけて奈良県天理市周辺で、奈良湖と太平洋戦争末期に急造された柳本飛行場について、滞在調査、作品制作と展示を行いました。
滞在では、海のない奈良に、はるか昔にあったとされる奈良湖(みずうみ)と、太平洋戦争末期の海軍による戦争遺構(主に太平洋戦争末期に急造された大和海軍航空隊大和基地、通称、柳本飛行場)という、時代の異なる2つの海に着目し活動を進めました。数ヶ月に及ぶ調査を経て、奈良湖については程々にして、奈良ではあまり重要視されていない戦争関連の歴史の断片を、文化財のイメージをかりて作品にしました。私の手が遅いこともあって、調べたことや体験したことを全て作品にすることはできませんでしたが、「ならもぐ新聞」としてリサーチのレポートを新聞形式のフリーペーパーとして出したり、戦争遺構の調査の様子をビデオにまとめたものを制作し公開しました。また、柳本飛行場の跡地を歩くツアー形式の展覧会も開催しました。さらに、一連のリサーチを援用して浅野孟府に関する作品の模型なども制作しました。全体としては、私なりに奈良にかつてあった海を示すことができたのではないかと思います。
リサーチする中で私が特に注目したのは隧道や地下施設として戦時中に海軍によって掘られた穴です。それらは実際に地上と地下を繋ぐものですが、この世とあの世をつなぐ通り道のようでもあり、過去と未来、戦争のない日常と戦争をつなぐ穴のように思えたからです。もしも、その穴を通り抜けたならば、そこには何があるのでしょうか?その気になれば、追い詰められたならば、穴に入っていくことも出来なくはないでしょう。天理周辺には驚くほど沢山の戦争遺構( 基地と飛行場の痕跡)が散らばっていて、今もたくさんの穴が空いています。その意味について広く考えていく必要があるのではないかと思っています。ついでに言うと、私はこのリサーチの後、日本中どこに行っても、防空壕や地下施設の痕跡を探すようになってしまいました。探してみると規模の大小はあれど、そこかしこに穴が開いています。私も気をつけていますが、皆さんもうっかり穴に落ちませんように。
展示会場で配布した資料
「湖底から帆」 柳本飛行場の散策ツアーの様子。映像も展示した。
撮影:西松秀祐
「湖底から帆 」展覧会の様子
以下全て、撮影:来田猛
左:《長柄周辺で飛行場建設のために石を運ぶ14 歳の少女埴輪》
右:《枕木用の丸太を運ぶ10 歳の少年埴輪。正面中央部の穴に実際の木の棒を入れて丸太に見立てていた可能性がある。》
文化村周辺で拾った土器片、発泡スチロール、石膏、アクリル絵の具 2023
博物館等での埴輪の復元展示の方法に倣い、天理市周辺の道端で拾った土器片を、天理周辺の戦争体験記から想像して造形したもの。
《空襲警報をきいて、佐保庄のあたりで日照りのためほとんど赤茶けた野菜の葉の下に隠れる土偶》
文化村周辺で拾った土器片、発泡スチロール、石膏、アクリル絵の具. 2023
《埴輪ソフ》ビデオ 2023
祖父の戦争体験を埴輪として演じたビデオ。天理周辺の人々の戦争体験をもとに演じることを試みたが、なかなかうまくいかず、ひとまず祖父を演じた。《埴輪そぼ》(ビデオ 2023) という祖母の戦争体験を埴輪として演じたビデオも上映。
《帆》 段ボール、木 2023
天理周辺の海軍施設は地下に多く作られている。それらは今は単なる穴、あるいはほとんど埋まりかけた穴で、ほんの少しだけ口を開けている。そうした穴のイメージと、飛行機の掩体壕、船底などのいくつかのイメージを重ねて造形にしたはずが、いつのまにか帆のようになっていた。まさに湖底から帆。
穴ポスター
天理駅前のサイネージでの展示
天理市本通り商店街内 Art-Space TARN での展示
関川航平さんのデザインのチラシ
柳本飛行場とは
柳本飛行場(やなぎもとひこうじょう)は、現在の天理市南西部、JR桜井線の長柄駅ー柳本駅の西側の田園地帯に1944年頃から終戦にかけて急造された飛行場。特攻隊出撃に用いられた飛行場であり、本土決戦用のものとも言われる。海軍の飛行場で、正式名称は大和海軍航空隊大和基地。黒田はこの柳本飛行場と、飛行場建設や運用の兵士のための兵舎や倉庫などの軍事施設のリサーチを進めた。これらの軍事施設のほとんどは地下施設であり、JR桜井線の東側に広がる古墳群や山辺の道と言われる万葉の史跡のあるエリアにあり、周辺の観光エリアと重なって存在している。しかし、ほとんど知られることがないまま、風化の一途を辿っている。一連の軍遺構は広範囲かつ大規模なものであり、天皇を迎える御座所(地下)の建設も進んでいたという話もある。それは、戦争とは縁遠いような現在の一般的な奈良のイメージとはかけ離れたものだ。奈良にも確かに戦争はあった。そしてそれは、今と変わらず悲惨なものであったようだ。