D研究所小史
Tiny History about D-Laboratory
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ふるさと地球で、空と地をむすぶ建築をつくること 渡辺菊眞(D環境造形システム研究所代表)
ウガンダ、ビクトリア湖畔の現場。地域の高校生が現場の主体。現場の状況の中で幾度も変更改変を重ねて、作りあげていった。「ふるさと地球」を初めて憶った現場(2008年)
2001年に西インド大震災復興支援としてモデルハウスを建設、2008年にアフリカのウガンダで貧困緩和自立支援活動としてエコビレッジ・モデルハウスを、2009年にはヨルダンにてコミュニティセンターを建設しました。D研究所は2007年1月1日に開所しました。この時すでにウガンダやヨルダンでの施設の設計を渡辺菊眞が進めていました。その意味で、D研究所の建築はアジア・アフリカの大地からはじまりました。ものや機材、お金も十分にない中、それでも、それだからこそ、純粋に建築が望まれました。合理を超えた、人々のよりどころになる建築こそ望まれたのです。歴史、文化が全く違う、行ったこともない土地でしたが、そこで出会った全ての人のことを何故か懐かしく感じました。そして建設を終える夕暮れ時には、オレンジ色に染まる空の中、自身が生まれた奈良盆地の夕暮れを憶っていました。
この時、「ふるさと地球」という感覚を得ました。自身が住む地域を大切に憶うのはもちろんのこと、地球という一つのふるさとを私たちは持っています。「ふるさと地球」に生きることが実感できる建築であること。この思いを強く持ちました。その一方で、日本で必死に設計した計画は、現地では効力を発揮しきらないことも知りました。現地の状況や、建設の担い手、現地ならではの材料調達、工法などがあり、パートナーを組む現地の方々、職人さんなど様々な人の知恵を集めて、臨機応変に対応することが大切なことを学びました。地域ー地球型の建築が必要なのだと改めて感じました。この思いは現在も変わっていません。日本における建築もまた、例外でないと考えています。
太陽との出会いは、2003年にパッシブソーラーハウスの先駆的存在、建築家・井山武司さんのもと、住み込みで師事したことでした。雪深い山形県庄内の山中で、日々、太陽建築の重要性について教えていただきました。日本人がよく言う「母なる地球」だと、甘えに陥る。「母なる地球、父なる太陽」の対句こそ、人々が生きられる場になるための根本思想だ。吹雪く中で心に刻み込まれた思想です。
遡ると、京都大学時代に「人はいかに場所に生きられるのか」と言うことを布野修司先生のもとで、フィールドワークとともに学び、2001年からの7年間は、渡辺豊和建築工房にて、近代が放擲してしまった、建築に貫かれる垂直的宇宙観の奪還を、私自身の問題として引き受ける覚悟を持つ時間でした。
「ふるさと地球」に生きられる建築は、地域ー地球型建築であり、それは「空と地をむすぶ建築」です。D環境造形システム研究所の開設までに、授かったこと、開設して掴みとったこと、その結果、D研究所が作るべき建築として定めたものです。これからも「空と地をむすぶ建築」の進化と深化を追求し、地球でさまざまな人々とともに建築していく所存です。