日本モデルならず日本文化モデル
松下 貢(2020年11月11日)
松下 貢(2020年11月11日)
日本モデルならず日本文化モデル
1.はじめに
欧米諸国でのコロナ禍第2波のものすごさに比べて、日本でははるかに穏やかなことが災いしてか、この頃ではコロナ禍のことについてそれほど大騒ぎされなくなった。しかし、日々の新感染者数の推移を眺めていると、10月初めのGo To トラベルの東京都民への解除や各種Go To キャンペーンの開始などがあってか、10月下旬から新感染者数は徐々に増え始めている。しかも、東京での新感染者数はある程度の高さにとどまっているようだが、東京以外での増加が目覚ましく、不気味な感じである。
それにしても、日本でも新感染者数は、PCR検査数がかつてより増えたおかげでかなり増加したといっても、欧米諸国に比べると依然として桁違いに少ない。それについて安倍前首相は自身の無策の上の無謀策を棚に上げて、「日本モデル」と称して自慢し、麻生前・現財務省は国民の「民度」の高さが違うとうそぶいた。しかしこれらは政治家の無責任な自己宣伝のようなもので、現実を説明するものではない。
それに対して科学者である山中伸弥氏は、日本の新型コロナウィルスの新感染者数やそれによる死者数が欧米のそれに比べて少ないのはまだ科学的に明かされていない「ファクターX」があるためであり、それが突き止められれば理由がはっきりするであろうとした。山中氏の発言は、ノーベル賞受賞者でもある科学者のものであるだけに多くの人々の注目を集めたが、今後何らかのもっともらしい説明が見つかればどのようなものにも当てはまるだけで、実際には何の説明にもなっていない。
日本の気候風土には欧米のそれとは際立って異なる特徴がある。それが長年かけて紡ぎ出した日本の伝統文化も、自ずから欧米のそれとは異なる。その特色から日本の伝統的な風習、伝統的な衛生意識などをあぶりだしてみると、それらが今回の新型コロナウィルスの伝搬に対して意外に大きな影響を及ぼしたことがわかるかもしれない。本稿ではそのことを議論してみたいと思う。
ただ、前もって記しておきたいのは、欧米諸国と比べると日本の感染者数や死者数は圧倒的に少ないが、東南アジア諸国と比べた場合、日本が特に少ないわけではないことである。日本は歴史的に東南アジアの諸国から多大の影響を受けてきたのであって、日本の文化といっても決して日本独自の文化というつもりはない。
2.Social distancingという伝統的慣習
日本は温帯に属しているために、春夏秋冬というはっきりした季節を有する。他方で、日本海、東シナ海を隔てた北西にアジア大陸を、東南に広大な太平洋を持つ島国であるために、気候的には大陸的な要素と海洋的な要素が複雑に交錯している。そのために基本的には季節の年周期があるが、その上に台風や豪雨などの予測しがたい天気の変化が見られる。加えて日本を取り巻くいくつもの地殻プレートが交錯しているために、地震や火山活動も活発である。これらはすべて、日本の地形的構造を複雑多様にしてきたのであり、それがまた人々の活動に深く影響してきたであろう。
このような事情は日本のどこであってもそれほど大差はなく、民族的習性として流浪するより土着・定住の道を選択させたと思われる。そして春夏秋冬がもたらす多様な気候風土に順応することで衣食住の工夫を行い、地震や台風などの予測できない厳しい災害には経験的に学ぶことにより、日頃の備えで対処するという方策をとるようになった。すなわち、自然の変化に受け身で対処し、決して自然を克服するという方向には向かわなかった。結果として、日本人の作り上げてきた衣食住の生活様式は日本の気候風土に適合しており、合理性を有する。
その一例が住居である。日本の伝統的な住居は四季がはっきりした気候風土の関係で取り付け・取り外しが容易な木造建築が多く、部屋は襖戸や障子戸で仕切られているだけである。そのため各家屋の入口に西洋のような厳重な鍵が据えられておらず、その中に住む家族の各自がそれぞれの部屋を持つこともないのが普通であった。このような住環境の中でも世の中の安寧を保つためには、各自が自覚的に他の人との間に距離(physical distance)をおくことによって日常生活を円滑に過ごすという、社会的な習慣(social distancing)ができ上ったのは自然なことである。したがって、出会いの挨拶も握手やハグのような直接的な接触によるのではなくて、物理的な距離をおいたお辞儀をするということになる。
他方、西洋では一般に、家に入って入り口の鍵を掛けることによって各家族が他の家族と独立し、家の中でもそれぞれが部屋に入って鍵をかけてしまえば、家庭内でも各自が独立して生活する。このような生活習慣の中では、家庭内でも自室から出て誰かに会えばハグし合うことになり、家を出て知り合いに会おうものなら握手どころか、密接にハグし合って挨拶するような習慣になったのもまたごく自然なことであろう。
3.日本の伝統的医療の特徴は予防
日本では四季がはっきりした温帯的気候に恵まれ、それに順応して衣食住の工夫をすればおおむね生活の維持が可能であった。他方で、地震・火山活動・台風・豪雨などの予測できない災害があるが、それらに対しても経験的に対応するという生活の知恵を蓄積してきた。結果として、変化に富み、時には猛威を振るう自然を、人の都合に合わせるように克服しようなどとは、日本人は決して考えなかった。すなわち、自然を分析してからくりを明らかにして都合よく使おうとするような、分析的な科学・技術は日本では発達しなかった。
それに対して西洋では、比較的穏やかな風土のもとで何か変化があると、それはなぜかと追及する風潮があり、分析的科学が進歩発展した。そして、医学も例外ではなかった。病気になるとどこが悪く何が原因かと分析し、行き着くところ病原菌の発見に至り、医学の驚異的な発展をもたらした。そのためにかえって、身体に何か異変が起こると、その病原菌をやっつければよいと考え、これまである意味で見事に成功してきたと言える。結果として西欧では、何か事が起こるまでは何もしなくてよいと考える傾向がある。
しかし、分析的科学や医学が発展しなかった日本ではそうはいかず、身体に異変が起こると対症療法的に、漢方的に対応するだけであった。そのために、日頃から病気にならないように努力する、予防という考え方が西洋より強かった。いつからか家の内外で履物をはっきりと区別して家の中を清潔にするようになったのもその結果であろう。また、外出から戻った際の手洗い、うがいはごく日常的な病気予防のよい手段となった。その上、冬季に多い風邪や感冒の予防と、それらに罹ってもほかの人に移すのを避けるためにマスクするようになったのも日本ではごく自然なことであった。
今回のコロナ禍で明らかになったことは、social distancingという伝統的な慣習、風邪などの伝染性の病気の予防のための日常的な手洗い、うがい、マスク着用などの習慣が新型コロナウィルスの伝搬防止に非常に有効だったということである。
4.社会の同調圧力
もちろん、日本の伝統文化にもいいことばかりではなく、深刻な問題もある。日本の気候風土の特徴、特に天災の多さから、自助・共助・公助のうちのコミュニティ内での共助が伝統的に大切にされてきた。人間として生きていくための自助努力が前提として当然だとしても、大きな災害などから立ち直るためには皆で助け合う共助なしではコミュニティが成り立ち得なかったのである。
逆にコミュニティ内で共助を怠ったり、他の人たちとあまりにかけ離れたことをしたりすると、村八分にされかねない雰囲気が醸成されていったことも事実である。すなわち、コミュニティ内には暗黙の同調圧力が存在したのであり、これが今回の新型コロナウィルス感染に関連して生じた社会の同調圧力の源流ではないかと思われる。
今回のコロナ禍で感染者及びその家族だけでなく、その治療に努力する医療従事者やその家族に対する嫌がらせや故ない差別を生み出した。それだけでなく、自粛が叫ばれるときに外出自粛をしないものや営業自粛をしない店への嫌がらせなどの自粛警察、マスクしていないものを非難するマスク警察、挙句の果てにお盆の帰省者に対する帰省警察などが暗躍するというあさましい状況を生み出してしまったのも、このような伝統が生み出した悪しき面であろう。
前節までに記したように、日本では伝統的にsocial distancingという慣習が大切にされ、病気に対しては予防的に手洗い、うがい、マスク着用などの習慣があり、その意味で日本人は欧米人に比べてはるかに自粛的である。これ以上の自粛を強要する同調圧力は明らかにやりすぎであり、それこそ自粛すべきである。
5.まとめとこれから
現在の日本はいろいろな点ですっかり欧米化、特にアメリカ化されてしまったが、日常生活の奥深いところには依然として伝統的な風習が残っている。それらのうちのsocial distancingの慣習と手洗いやマスク着用などの予防がより重視される習慣が、今回の新型コロナウィルスの伝搬・拡大の防止に非常に有効であったことは間違いない。しかし、日常的な生活習慣からくる以上のことは日本だけでなく、多かれ少なかれ東南アジアに共通したことであり、実際、日本の新型コロナ感染状況は他の東南アジア諸国に比べて、決して良好というわけではない。したがって、「日本モデル」というのは必ずしも妥当ではなく、それでも地域名をつけることにこだわるなら「東南アジアモデル」というべきであろう。
新型コロナウィルスによるパンデミックの度合いが欧米諸国に比べて日本では低く、それが伝統的な自粛の風習によるといっても、それでコロナ禍が根絶するわけではない。根絶のためには現代医学に頼って感染者をなくしなければならず、これは政策の問題である。
アメリカ大統領トランプは武漢ウィルスと称して、今回のコロナ禍はすべて中国に責任があると主張しているが、パンデミックに至った第一の原因は感染防止に弱い欧米的生活習慣にあるというべきである。さらに、個人主義が当たり前の欧米では日本のように自粛がままならず、政策的に経済の復興と発展の方向にシフトすれば、新型コロナウィルス伝搬の第二波が出現することはほとんど必然である。
日本政府はコロナ対策と経済発展の両立を図ると言っているが、1980年代から続く新自由主義的な経済の発展を目指す限り、何よりも利益優先策に走ることになる。これが「日本モデル」と称して自慢できるほどには、日本が東南アジア諸国の中でコロナ禍に強くない理由であろう。その結果、ビジネスの世界での対面交渉の機会が増え、日本的な接待も頻繁になって、密閉・密集・密接の三密の機会が増し、第3波、4波の感染ピークが襲ってくることになる。新自由主義的な経済と新型コロナウィルスとはとても相性がよいことは、米英ブラジルの状況を見ていれば明らかである。
本当に経済の復興と更なる発展を求めるのであれば、先ずはコロナ対策を徹底してその後に経済対策を講じるべきであろう。このことは第一波が終わろうとしていた日本でよく言われたことであるが、コロナ対策を徹底できず第二波をもたらした。台湾ではコロナ対策を徹底したあとで、経済的な疲弊を回復すべく国内に限った「Go Toキャンペーン」に相当する政策を実行し、見事に成功したことは周知の事実である。残念ながら、日本ではコロナ対策を徹底しないで「Go Toキャンペーン」を推進しているので、コロナ禍の周辺への分散、さらには地方への分散を推進・展開しているようなものである。
このもどかしい状況を考えると、これを機会にこれまでの新自由主義的な経済ではない、日本の伝統文化に適合するような、ただし社会の同調圧力を伴わない新しいタイプの経済発展の道を模索すべきではないかと思われて仕方がない。若きマルクスは当時の空想的ともいえる社会学に現実的な経済学がなさすぎることを見抜き、彼自身のマルクス経済学の確立を目指したという。私たちは今こそ、これまでの経済学、特に新自由主義的な経済学には社会学がなさすぎることを考慮して、将来を見据えた形で経済学者と社会学者がともに議論し合って新しい経済学を作り、社会に提案するときが来たというべきではなかろうか。新自由主義的な金融経済の独り歩きはそろそろ終わりにして、経済学の上に適当な社会学を確立し、経済的価値の上に何らかの社会的価値基準を置くような社会を目指すことはできないであろうか。その上で社会が必要とする経済発展を考えればよいと思うのである。
私たちは3・11東日本大震災と悲惨な原発事故、度重なる台風や豪雨による災害の経験と教訓を決して無駄にしてはならない。その点で、空気、水、森林、田畑などの自然環境や、道路、交通機関、上・下水道、電気・ガスなど、教育、医療など、私たちの生活に基本的に必要なものを社会的共通資本とし、市場経済になじまない公助の対象とする考えは、今後一層重要性を増すであろう。
これまでの論考で、日本では自助・共助から生じる自粛もコロナ禍の拡がりの防止に一定の役割を果たしたことを強調したので、最後に自助・共助・公助について記しておこう。かつて日本には武士・百姓・町民・賤民のはっきりした身分制度があった。これは権力者が自分に都合よく世の中を安定的に保つために敷いた制度である。このような制度下では下層の人たちに個人主義が生まれようはなかったし、権力者による公助も彼らに都合のよい制度を維持する程度でしか期待できなかった。そのためにかつての日本社会の下層民には自助・共助は必須であった。
しかし、戦後の日本国憲法により身分格差は完全になくなり、平等な個々人の権利が確立された。これは同時に、各自ができる範囲内での自助が義務となったことを意味する。だからといって各人が完全に独立していけるわけはなく、周辺の人々との共助は必然となる。その意味で自助・共助は私たち個々人の単なる日常的な生活態度と生活過程に過ぎず、ことさら行動目標にするほどのものではない。
さらに広い眼で見た社会は決して構成する個人の単なる足し算的な集まりではなく、相互に絡み合った個人の集まりである。そのような社会の安定的な維持には公助が必須であり、そのために立法・行政・司法機関があって、国民には課税措置が取られる。したがって、これらの機構の単なる一員に過ぎない政治家は公助のみを考えて働くべき存在であり、そのために彼らに血税が支払われている。まして一国の首相が国民に自助をもとめるなどはもってのほかであり、自分自身の存在意義を否定するようなものである。
参考文献:
寺田寅彦:随筆「日本人の自然観」(昭和10 (1935) 年、岩波講座『東洋思想』)
和辻哲郎:『風土-人間学的考察』(昭和10 (1935) 年;岩波文庫)
(2020/11/08 松下 貢 記)