今、日本では新型コロナの第二波が発生し、増加が止まりません。PCR検査拡大によって無症状の人も含めて感染者を積極的に発見し、安全に隔離することで感染者を減少させると言う考え方は、世界の潮流になりつつあるように思いますが、日本では、まだ慎重な意見が多く見られます。政府の新型コロナ感染症対策分科会でもPCR検査を現在より増やすことを提言していますが、無症状者の検査には消極的です。分科会も含めて、PCR検査の拡大に慎重な人の意見は次のようなものと思われます。
PCR検査慎重派の意見:
1. 本来は陽性でないのに誤って陽性と判断される擬陽性の割合がゼロでなく、間違って隔離すると人権侵害の問題がある。
2. 本来は陽性なのに誤って陰性と診断される偽陰性の割合が、大きい場合には30%程度あり、検査しても見逃してしまう率が高い。
3. 検査で陰性と診断されても、次の日には感染するかもしれず、頻繁に検査が必要になる。
1については、私個人は偽陽性率は極めて低いと考えており、大きな問題ではないと思いますが、それを論じることが本稿の目的ではないので、この問題は他の論文にまかせたいと思います。2や3については、最近、感度(陽性を正しく陽性と判断する割合)の低さが問題ではなく、検査の頻度を増やし、報告までの時間を短くすることが重要であるという論文がハーバード大学医学部のグループから出されました1)。また、別の論文では、大学のキャンパスを再開するためには、実効再生産数(Rt)が2.5ならば注)、2日に一回PCR検査をすれば良く、検査のコストも1回10ドル程度に収まるいう論文が、やはりハーバード大学とエール大学のグループから発表されています2)。特に後者の論文では、大学の学生数など具体的な数値を使ってシミュレーションを行っています。つまり、検査の数と頻度を増やすことで新型コロナの拡大を防止し、通常の生活に戻すことが議論されているのです。
ただ、気になるのは、シミュレーションの結果だけでは、検査の感度が70%以外の場合やRtが異なる場合に、どのくらいの頻度で検査が必要かは分かりません。シミュレーションをやり直してもらう必要があります。例えば、最近の東京のようにRtが1.2の場合はどのくらいの頻度で検査すればよいのでしょうか?また、大学でなく、東京都の1つの区や東京都全体についてもこの考え方は適用できるのかなど、いろいろな疑問が生じます。
この問いに答えるのが理論です。もし、任意の感度で任意のRtの場合に必要なPCRの頻度を理論的に表すことができれば有用です。何よりも、何故そうなるか理由が理解できる可能性があります。そこで、以下ではシミュレーションに頼らず、この論文と同じ結果が得られることをなるべく簡単に示し、一般の場合に使える関係式を示したいと思います。
具体例として東京の場合について考え、その後で一般の場合について述べることにします。東京での実効再生産数Rtは、7月初め頃には、1.5くらいでしたが、7月下旬頃から8月初旬までは、ほぼ1.2で推移しています。新型コロナの場合、1人の感染者が感染力を持って人にうつす期間(感染期間)がおよそ5日とされていますが、指数関数を用いた計算をするとRtが1.2というのは、1人の感染者が1日当たり1.04倍に増える、つまり1日当たり4%ずつ増える増加率に相当します。1日あたり4%の増加とは、約18日で2倍に増えることに相当します(なぜなら、1.0418≒2.03)。日々の新規感染者数の報告は変動しますが、1週間ごとの平均で見ると最近は、ほぼこの増加率となっています。
一方、PCR検査を拡大した場合、無症状者も含めて陽性の人を発見する率は1日当たりどのくらいになるでしょうか?例えば、最近、検査を拡大する方針を発表した世田谷区で、仮に定期的に検査を行うことを想定して考えてみましょう。世田谷区の全住民90万人を1日あたり9万人検査して、10日間かけて検査すると仮定します。検査の結果、陽性が確認された人をなるべく早く安全な場所に隔離して他の人にうつさないようにします。しかし、もし検査の感度が70%とすると、無症状の人も含めても実際の感染者の7割しか隔離できません。しかも、全体の検査に10日かかるため、1日当たりでは7%しか発見できないことがわかります。その間にも日々感染者は増加します。これで本当に感染者の増大を防ぐことができるでしょうか? その答えはイエスで, 感染を収束させるための条件は、感染者の増加率よりも発見率の方が大きくなることであり、次の関係になります。
今の例で言うと、1日当たりの増加率は4%なのに対し、発見して隔離する率(これを除去率と呼びます)は7%であり、差し引きで1日当たり3%ずつ市中の感染者は減ってゆくことになります。1日あたりの減少が3%というのはゆっくりで、10分の1に減少するのに 78日かかります4)。(なぜなら、0.9778≒0.09)一見、時間はかかりますが重要なことは、人々の活動は現在と同じに保ったままでも、定期的に検査することで、確実に感染者は減ってゆくということです。新型コロナの患者が増大する様子は、ちょうど、複利式の借金が雪だるま式に膨らんでいくようなものです。しかし、毎月の利息分よりも多くを返済すれば、いずれ借金は無くなります。PCR検査で感染者を見つけて隔離するのは、返済額を増やすことで、破産を防ぐようなものです。
より一般的に、任意のRtと任意の感度の場合、検査と隔離で感染拡大を止めるための条件は、囲み枠の中の条件式で与えられます。新型コロナの場合、PCR検査の感度は、70%から98%と言われていますので、様々のRtの場合について、感度が70%の場合と98%の場合について計算した結果を表1に示します。例えば、Rtが1.2ならば、感度が70%の場合、17.5日よりも短い間隔で定期的に検査すれば、新規感染者数は徐々に減少することがわかります。つまり、ひと月に2回程度の検査で良いことになります。これを一つの都市や区などの単位で行う場合の経済効果については、次の項で議論します。
一方、人数の小さい集団に関して定期的検査を行うことは、より現実的です。一旦感染が起こると危険性が高い集団では、定期的に検査を行い、感染者を安全に隔離することで大きな効果が見込まれます。例えば、病院や医療従事者、介護施設、接待を伴う飲食業などの集団がこれに該当すると思われます。また、特定の地域でのみ感染が拡大していて、周辺地域では感染者が少ない場合は、隔離・医療的保護と一斉検査を組み合わせることにより、単に一律のロックダウンを行う場合に比べて、急速に感染者を減らすことが可能です。
中国で全国的に感染者がほぼいなくなった後で、武漢で行った一斉検査や北京でクラスターが発生した際に行った一斉検査などがそれに該当すると思われます。これらの例では、定期的な検査ではなく、一回の一斉検査と短めの都市封鎖で抑え込む政策が取られたようです。この方法についても議論が必要ですが、それはまた別の機会に述べたいと思います。
では、PCR検査の費用を考えた時、住民の殆どをPCR検査するような大規模PCR検査は現実的なのでしょうか? 経済効果と合わせて考えてみます。PCR検査の費用は現在、保険でカバーされており、費用は1件あたり約2万円と言われています。しかし、実は原価は非常に安いことと、プール式と言って複数の人の検体をまとめて検査することで、1件当たり700円から1000円でできるとの試算もあります。文献2の論文でも用いられている1件あたりの費用が1000円の場合について、仮に10日に1度定期的に検査する費用を国全体で見積もってみます。1年間で36回ですので、年間1人当たり約4万円かかります。これを新型コロナによる損害と比較してみます。日本のGDPは年間約500兆円で、1人当たり約400万円です。コロナ下の非常事態宣言により、一か月で約24兆円、GDPの約5%が失われたといいます。約2か月間の自粛で約10%、1人当たりでは約40万円の損失に相当します。もし、もう一度非常事態宣言を行うならば、その度に1人当たり40万円が失われますが、それよりも、10日ごとの検査で年間1人4万円使う方が圧倒的に安く済むことがわかります。今後PCR検査の費用は日進月歩で下がるものと予想されますが、1件当たり1万円以下まで下がれば、全国民の定期検査というのも夢物語でなくなります5)。何よりも、この方法により、多くの人の健康と命を救うことができますし、非常事態宣言時のように皆が家に閉じこもるのではなく、今と同じ程度に外に出て仕事をし、たまには外食をしたり、人々が集うことができる状態を保ったまま感染者を減らすことができるとすれば、これは何ものにも代えがたいことだと思います。ワクチンが開発され普及するまで閉じこもるのではなく、医療機関の安全を保ちつつ、出張や帰省、旅行に出かけたり、大学のキャンパスにも学生が戻れる日常を取り返すためにも、大規模な検査を行うことが、健康・安心と経済を両立できる方法であることがわかります6) 。
注)実効再生産数が2.5とは、感染者1人が感染期間中に平均2.5人に感染させることを意味します。
<文献>
1) Daniel B. Larremore et al., Test sensitivity is secondary to frequency and turnaround time for COVID-19 surveillance, medRxiv, doi: https://doi.org/10.1101/2020.06.22.20136309
2) A. David Paltiel et al., Assessment of SARS-CoV-2 Screening Strategies to Permit the Safe Reopening of College Campuses in the United States, JAMA Network (2020) 3(7):e2016818. doi:10.1001/jamanetworkopen.2020.16818
3) この条件式は、感染者の推移が一定の比率で増加または減少していると仮定するだけで導けるので、その範囲で数理モデルによらず成り立つ。より厳密に導くには、コンパートメントモデルと呼ばれるSIRモデルやそれを拡張し、検査と隔離をあらわに取り入れたSIQRモデル(小田垣モデル)を用いると、厳密に導くことができる。1日当たり全メンバーの1/nを検査すると、感染者数Iの1/n×qの割合を発見できるので、S-1で述べた(11)式で除去率κ= q/nとなり、増減率は囲み枠内の(1)式で与えられる。
4) 感染の拡大や複利式の利息の増え方のように、一定比率で増減する振る舞いは指数関数で表される。何も返済しなければ、利息も含めた負債はどんどん増え、その合計に利息がかかるため、増えるときは急速に増えてしまう。一方、例えば残金の一定割合を返済してゆくと、残金が減るほど返済する額は小さくなるため、減る速度はどんどん遅くなってしまう。例えば、1日の利息が3%の場合、返済しないと負債が2倍になるのに24日しかかからないが、3%だけ返済する場合、残金が10分の1になるのには78日もかかってしまう。
5) 日本では現時点(2020/8/8)で、個人負担により唾液のPCR検査が郵送でできるサービスが複数立ち上がっており、その費用は1.5万円程度である。また、アメリカの76病院を調査した統計では現在、PCR検査一件当たり、20 – 850ドル、 中央値127ドルと報告されている。https://www.healthsystemtracker.org/brief/covid-19-test-prices-and-payment-policy/ さらにフランスでは、RT-PCR用検査キットを1つ当たり10ユーロで供給する事業が立ち上がっている。仮にプール式で10検体まとめて検査を行えば、1検体当たりの費用はさらに10分の1となる。
6) RT-PCR法はRNAからDNAを逆転写した後、温度の上げ下げを繰り返して目的のDNA配列のコピー数を増幅する方法であり、ステップ数も多く時間もかかるが、RT-LAMP法では温度を65℃に保ったままで、30分以下での増幅が可能であり、コストも1件あたり千円程度なので、LAMP法による大規模検査はさらに現実的と考える。
佐野雅己(Masaki SANO)
統計物理学、東京大学名誉教授、東京カレッジ特任教授