気ままにフカボリ ちとせ・さんぽ
Presents by しおちゃん@なかのひと
第4話 祝・千歳のまちの航空祭!
その名も「千歳のまちの航空祭」
千歳の夏といえば航空祭。3年ぶりの開催決定!しかも、千歳基地のほか市内各所でもイベントが。まさに〈空のまち・千歳〉のお祭りになるとは。記念すべきリニューアル第1回開催というべきか。
大正6年夕張にて飛行機なるものを見ました!
私が見たわけではありません(笑)「文の見た空」劇中の川合村長に演説の一節です。大正6年に夕張で飛行機?調べたら確かに飛んでいました。アメリカの曲技飛行士アート・スミスがアジアでの興行ツアーの一環で大正5・6年に日本各地で曲技飛行の興行を行なっていました。大正6年の道内の興行では夕張・清水沢で飛行していたみたいです。機体は今で言うマイクロライトのようなものでした。
画像は1/1の模型ですが、見ての通り「ゴーカートとスポーツカー」くらいの違いが。そして「北海」第1号を見るために千歳村そして近隣の街からおよそ1万人(当時の千歳村の人口はおよそ4千人)が集まったとか。そのため駅から着陸場までの道には露天商が屋台を出すほどの賑わいだったようです。これって、まさに千歳のまちの航空祭!
飛行機はロマンの化身?
余談にはなりますが、静岡の浜松でアートスミスの曲技飛行を見て感動したのが、あの本田宗一郎。その感動がホンダ(二輪車)のロゴであり、HONDA JETの原点であるとは驚きです。
夕張・清水沢での曲技飛行をみた川合村長は?というと……昭和5年に手稲村(現・札幌市手稲区手稲)の第12代村長になっておりました。そして同じく昭和5年6月に「北日本飛行学校」という操縦士養成学校が開校していました。もちろんその開校にあたっては同校所有の飛行機のお披露目が盛大にあったとか。手稲郷土史研究会の会報第1号の6ページには、北日本飛行学校にまつわる興味深い話が載っていました。歴史って面白い。残念ながら川合さんの名前は見当たりませんが、おそらくは……。
そして戦後。河合新三郎の名前は第1回統一地方選挙の千歳町長の候補者にありました。残念ながら決選投票の結果落選してしまいましたが、もし当選していたとしたら?
歴史に「もしも」を持ち込むのはナンセンスではありますが、かれこれ45年以上飛行機大好き少年の僕は…つい想像の翼を羽ばたかせてしまいます。