近代日本キリスト教美術資料集
Resource Guide for Christian Art in Modern Japan
Resource Guide for Christian Art in Modern Japan
柳宗悦
Muneyoshi (Sōetsu) YANAGI, 1889-1961
民藝運動の主導者であった柳宗悦は、宗教哲学者でもあり、キリスト教とその芸術についても造詣が深かった。その中で、美術家らと交流したり、キリスト教芸術に関する著述を行なったりした。その一端を以下に紹介する。
①キリスト教関係者との懇談会
柳と彼が主導する日本民藝協会は、プロテスタントやカトリックを含むキリスト教関係者と、宗教と芸術についての懇談会をするなど交流をもった。
1941年6月16日、柳は、日本民藝館にキリスト教関係者を招き、宗教と工芸について懇談し、続いて7月14日には第2回懇談会を行なった。(参照:「年譜」『柳宗悦全集 著作篇 第二十二巻 下』筑摩書房、1992年、p.271)
第2回懇談会について、『日本カトリック新聞』は次のように報じている。
宗教と工藝を結ぶ 民藝協会懇談会 聖堂建築、祭具に示唆
東京目黒区駒場八六一民藝館は民藝品を蒐集して一般の展覧に供すると共に、その根幹たる民藝協会を通して種々実際的活動をなしてゐるが、先般キリスト教界の有志を案内して『宗教と芸術に関する懇談会』を定期的に開くことにしたがその第二回の会が先頃民藝館に於て開催され、柳宗悦氏の蒐集にかかる中世紀の基督教建築及び絵画のすばらしい書籍が展覧された、同懇談会の主なる話題はいかにして工藝の実際家と宗教家とが協力することが出来るかといふ点にあつたが、極めて真摯なる懇談が重ねられ、吾国のキリスト教会の建築及び祭具に関する実際的協力への第一歩が踏み出された カトリック信徒では田園調布教会所属の八巻穎男氏が出席したが、該運動は典礼の問題が種々考慮されてゐる現今の日本カトリック教会から視て極めて興味あるものとして注目されてゐる
出典:『日本カトリック新聞』1941年8月17日2面
その後、同年11月には、プロテスタントの雑誌『新興基督教』(1941年11月号)が、「信と美」という特集を組み、柳による「信仰と工藝」という論考を掲載している。(なお、同特集には、同じく民芸運動の主要人物である外村吉之介による「私は何故機を織るか」も掲載されている。)
柳の文章は、次の通りである。
信仰と工藝
柳宗悦
多くの信者にとつて、此の題目は思ひがけないものであらうかと考へます。進んでは何か奇異な感をさへ与へるかと思ひます。信仰は心の世界に属し、工藝は物の世界に属するからです。信仰が気高いものであると考へられてゐるだけに、品物の領域の如きは些末なものであつて、其の間に殆んど何の縁もない如く思はれるかも知れません。まして物の世界になど左右されないことにこそ心霊の意義を感じるかも知れません。さうして心が物に毒された数々の例を挙げるかも知れません。物を去つてこそ心が益々純な心となることを想ふかも知れません。ですから信仰と工藝との関係は今迄疎遠な題材であつたのです。少くとも之が重要な問題を含むと考へてくれた信者達は少ないのです。
とりわけ新教に於て此の態度は強かつたと思ひます。特に清教徒風な立場には、意識的に美の性質を善の内容から引き離さうとする傾向がありました。美と善とは屡々一致し難い争ひを醸すからです。正しい浄い信仰の生活へと急ぐ信徒達は、屡々美しい世界には目をつぶりました。美しさは物の世界に関わり易く、心の世界を乱す場合が多いのを恐れるからです。近世の新教は極めて倫理的でした。其の要素を強めようとすればする程、美の危険が考へられ、物の罪過が数へられたのです。正しさが凡てで、美しさのことは退けられた観があります。心の世界が凡てゞ、物の領域は寧ろ罪の泉である如く考へられました。
私は何もキリスト教の場合のみを述べるべきではないのですが、近世の新教は其の代表的な場合を示してゐるので、敢て此の問題をそれ等の信者達に提示して、其の反省に訴へようとするのです。私は何も聖職にある多くの方々や、教会に属する多くの信徒達の、誠実な意思や努力や仕事の価値を否もうとするのではないのです。只私が新教の現状に就て感ずる一つの疑惑に就て、率直に発言することを得たく思ふ者です。さうして此のことは何も信者達を誹謗する意味からではなく、正しい信仰を樹立しようとする希望に発してゐることは、此の一文を読まれるにつれて漸次明かにされることゝと思ひます。
こゝに信仰と工藝と題するのは、何も其の間の歴史的関係や経過を記述する為ではないのです。趣旨とするところは如何に此の両者に深い関係があり、又深い関係がなければならないかを説くにあるのです。さうして疎遠にされて来たこの問題こそ、信仰にとり如何に大切な又切実な問題だかを了解して貰ひたい為なのです。尤も私はこゝで信仰にとつて、工藝の問題が大切だと云ふことを述べるのですが、其の逆の場合も同じなのであつて、如何に工藝問題にとつて信仰の問題が大切だかをも説かねばならないのです。ですが多くの信者達にとつて、寧ろ解り易いのは後者の場合であつて、前者の場合ではないのです。ですから、理解し難いことの方を主にして説く方がいゝと思へるのです。物が心の基礎なくしては完き物とならないと云ふことは分り易いのですが、心が物に即さずば完き心とはならないと説くのは、恐らく難渋な真理であらうと察しるのです。ですが私は簡明に率直に、不思議な此の真理を述べようと思ふのです。
扨、私が切に此問題を取り上げたいと思ふ理由に主なものが二つあるのです。一つは消極的理由で一つは積極的理由です。消極的理由といふのは、特に日本に於ける新教の会堂に、とても醜い建物が多く、其の中で用ゐられる調度に殆ど見る可き品物がないからです。さうして信者達の家庭の生活も、余りに醜いものを多く用ゐ過ぎてゐるからです。もとより新教徒だけが例外なのではありません。ですから、信者だけを責めるわけにゆきません。ですが、信者達こそ誰よりも正しい暮しをすべきだと思ふので、特に私の訴へを聞いてほしく思ふのです。罪人を此の世から一人でもなくなさうと発願する信徒達自らが、謂はゞ物の罪人とも呼ぶ可きものを、会堂に入れたり家庭で用ゐたりすることは、不思議な矛盾だと私には思へるのです。建物や調度や器物こそは日々の伴侶ですから、正しいもの誠実なもの温いものをこそ選ぶ可きではないでせうか。正しい生活さへあれば、醜い物を用ゐてもかまはぬと云ふのは、甚しい矛盾だと云はねばなりません。さう云ふ暮しぶりを正しい生活と呼ぶことは到底出来ないからです。今の信者達の多くは、物が心の現れだと云ふことを見逃してゐるのでせうか。浄いことに鋭敏である者が、醜悪なものに無関心なのは、まがひもない矛盾であり又悲劇だと云はねばなりません。
更に積極的理由として次の事実を指摘することは問題は一層明瞭にするでせう。古来最も旺盛な宗教時代は同時に卓越した芸能の時代でした。芸能を伴はない宗教は、未だ充分宗教と成り切つてゐないとまで云へるのです。なぜならそれは宗教の具体的な表現に外ならないからです。こゝで芸能と云ふのは建築や絵画や彫刻や音楽や、舞踊や、諸々の工藝を包含するのですが、其の特色とするところは、何れも宗教的実用性を帯びてゐたことです。決して近代で考へる如き美の為の美として発生し生長したものではなく、信仰的生活になくてならない実際性を有つてゐたことです。それに個人的な所産ではなく、時代全体の表現でした。かゝる意味で美術と呼ばれるよりも、凡て工藝的性質を有つたものでした。信仰的生活と工藝的なものとは、切つても切れない関係にありました。仏教を省れば六朝時代の作物の如き、キリスト教で云へば中世紀の芸能の如き好個の実例です。それ等は典型的な信仰時代であり又典型的な工藝時代でした。
新教の立場から云ふなら、中世紀は公教時代ですから、幾多の批判の対象となるかも知れません。併し批評に色々妥当な理由があるとしても、中世紀が幾多の模範とすべき聖者達の時代であり、又卓越した神学の世紀であり、驚く可き芸能の時期であつたと云ふ事実を否定することが出来ません。とりわけ其の芸能は具体的な姿に於て今日も吾々の目前に遺されてゐます。特に工藝的立場から省るなら、其の深さに於て力に於て、其の時代を越えるものを後世に見出すことは出来ないのです。信仰の中世紀は素晴らしい工藝時代でした。此のことは当時如何に信仰と美とがよい調和を示し統一を保つてゐたかを告げてゐるのです。信仰のある所には、至る所に美がありました。又美のある所にはいつも信仰が控えてゐました。美は信仰の表現でした。信仰は美の基礎でした。ですから、信と美とは離れたことがありませんでした。此のことを想ふと、如何に今日の新教の信仰生活と内容と異にするかを気附かないわけにゆきません。今の新教は美的表現を有たないのです。又かゝる表現の道をとらないのです。とらうと努力しないのです。そこに矛盾を感じる人が少ないのです。もとより今の人々だとて、態々美と信とを別つ方がいゝと考へてゐる人は稀でせう。併し少くとも別れたまゝに放置して了ふ人々が多いのを否むことが出来ません。このまゝでいゝでせうか。此のまゝの方がいゝと云へるでせうか。
信と美との分離は吾々の理想からは遠いものです。それが対峙し反目することは、望ましい状態ではないのです。嚮にも述べた通り、過去の歴史の中で、それが完全に一致してゐた時期を知る私達は、お互にかう反省していゝでせう。美的表現の乏しい私達の信仰生活には何か誤つたものがあるのであると。又は美の領域に就て無関心であつたり、又何が正しい美であるかを識らなかつたりすることは、それ自身信仰的生活が深きに達してゐない証拠なのではないかと。少くとも信者達の間にかう云ふ煩悶がもつと強烈であつていゝと思ひます。教会が自ら汚くなつたり、聖堂の調度が俗悪なものであつたり、信者の家庭が不誠実な品物に充ちてゐたりすることは、不自然な不似合な又不思議な現象だと思ひます。或は之を現代生活の病気と解していゝかも知れません。それは兎も角望ましからぬ変態現象なのです。中世紀にはかう云ふことはありませんでした。其の信仰は素晴らしいものがあり、又信仰の表現たる品物にも素晴らしいものがありました。悉くが美しかつたと云ひたい程に、醜いものを用ゐてゐません。私達はこゝで啻に信と美とが一致すると云ふ事実を学ぶのみでなく、進んでは一致してこそ深い信があり美があることを教はるのです。
私は先年或るキリスト教の学校が企てゝゐる夏期講習会に呼ばれました。そこでは非常にいゝ意志を以て、信者達に手仕事を教へてゐるのです。それは農村の経済をも潤ほす為の一つの道として奨励されてゐるのです。集つた人達の熱情には涙ぐましいものさへ感じました。ですがどんなものを作らせてゐたでせうか。二た目とは見られないやうなものを一生懸命に作らせてゐるのです。どうしてこんな矛盾が起るのでせうか。もとよりそれが醜い品物だと云ふ自覚を有たない為なのは言ふを俟ちません。なぜこんなにも信と美とが離ればなれになつて了つたのでせうか。其の信に何か欠けたものがある為ではないでせうか。少くとも信仰が間違つた道を進んでゐる証拠として、自省すべきではないでせうか。かゝることを曖昧にしておかないことは良心ある信者の務めだと思ひます。
多くの人は宗教的美と云ふと、何か高遠な美を聯想します。さうしていつもそこに二つの性質を要求するのです。一つは内容が純宗教的なもの、即ち聖画とか聖像とか呼び得るものです。一つは偉大な天才の作であること。すぐベートーヴエンとかレムブラントとか云ふ人々を想ひ起すのです。謂はゞ異常な宗教芸術を考へてゐるのです。ですが、私が強く主張したいことは美をさう云ふ特別な世界に限る可きではなく、もつと平易な日々の生活の中に美を有つ可きことが、如何に大切であるかと云ふことです。謂はゞ生活に即して美と結ばることです。特殊な領域に美を追ひやることではなく、美を不断の暮しの中に活かすことです。丁度信者の生活が日曜日の会堂の中に限られたものでなく、日々の不断の行為に又言葉に信心が染み渡る可きなのと同じやうに、美の生活だとて日々の平易な暮しの中に基礎がなければなりません。それは客間の床に優れた軸物を用意すると云ふことではなく、又は音楽を音楽会にだけ求めると云ふことではなく、さう云ふ他所行の世界よりも、寧ろ不断の家庭生活の中に、何か信と美との調和した表現がなければならないと云ふことです。行住座臥、凡て信の現れであつていゝ如く、平常時に美が厚く交つてこそ、美の生活があると始めて云ひ得るでせう。
美の生活と云ふと、何か趣味的な贅沢なものと考へる習慣が余りにも濃いのです。信仰生活は、美的生活と云ふやうな華美なものとは縁がないのだと考へる人々が多いやうです。又は経済に不如意な信者の生活に、そんな贅沢は許されてゐないと答へる人が多いのです、ですがさう考へる人々に私はかう率直に答へることが出来るでせう。若し金が潤沢だつたら、もつと輪をかけて醜いものを用ゐるのではないでせうか。贅沢と美とが寧ろ反発するものであることを知らないのでせうか。さうして質素と美との間に、必然な結縁があるのを認めないのでせうか。貧しい者は幸だと聖壇から教へるのは牧師達の声なのです。それなら美の性質だと変りはありません。金が充分ないから、美しい会堂が建てられないのだと云ふ答へには嘘があるのです。それより信心が弱いからと答へてくれる人はないでせうか。最も正しい美しさには、常に簡素の性質があるのです。
禅は平生心に道を説きましたが、平常用ゐる簡素な品々にこそ、美が最も深い交りを有つことを信じていゝのです。不断の生活に取り入れる器物こそは、最も質実な美を迎へる領域だと考へていゝのです。さう云ふ分野に於てこそ美が最も健康になるのです。生活を離れるに従つて美が特殊なものになり、異常なものに化し、それが屡々変態にさへ陥ることは、吾々の常々目撃するところです。不断の生活を離れて、正しい信の生活も美の生活もないと知つていゝのです。
ですから、醜いもの、偽りのもの、不正直なもの、かゝる性質の器物を友として日夜を送ることは、正しさを求め、浄きを慕ひ、誠実を敬ふ信仰の生活とは、相矛盾するものと云はねばなりません。さうして真実なもの、質素なもの、暖いものと共に暮してこそ、本当の生活が営まれるのです。さう云ふ事情の中にこそ、信仰は温く育つてゆくでせう。多くの信者たちは正不正には敏感です。ですが、余りにも美醜には無頓着です。さうしてかう云ふ齟齬を自省しない迄に、それが当り前なことに化して了つたのです。少くとも偉大な宗教の時代に、かう云ふ矛盾はありませんでした。再び調和ある生活に戻すことは、吾々の急務ではないでせうか。工藝の領域を重要視するのは、此の世界を離れて、生活と美とを一致せしめることは出来ないからです。工藝を信仰問題から遠いことのやうに思ふのは考へ足りない所から来る誤謬です。信仰的暮しを、確実なものにさせる為に、此の領域への注意は高まらねばなりません。
信と美とは一致すべき筈です。一致することによつて、信は益々信となり、美は愈々美となつて来るのです。逆に云へば美を離れた信は未だ充分な信でなく、信を去つた美は未だ完全な美ではないのです。さうして此の両者を結合せしめるものは、工藝の道なのです。特に生活に即した工藝こそ、重要な役割を勤めるのです。私はこの真理を一つの公理として不動な原則として、誰も受け入れる可きだと思ひます。
出典:柳宗悦「信仰と工藝」『新興基督教』1941年11月号(第134号)、p.2-7
②カトリック美術協会との交流
1941年11月21日、柳を中心とする日本民藝協会は、カトリック美術協会の会員やその他有志を招いて懇話会を実施し、将来の協力を約束した。
主席者は、民藝協会側は、柳宗悦、式場隆三郎、外村吉之介ら5名、カトリック側は、ホイヴェルス、ロゲンドルフ、酒井善孝、野村良雄、湯川冠介、木村圭三、近藤啓二、山口愛子、小関君子ら16名のほか鷲山第三郎であった。
(参照:「カトリックの有志を招いて宗教工芸を懇談 日本民藝協会が」『日本カトリック新聞』1941年11月30日1面)
懇話会で柳が信仰と工芸について話した内容は、以下の通り『日本カトリック新聞』に掲載されている。
大筋は上述の『新興基督教』に掲載されたものと共通し、内容のほとんどの部分は重複しているが、『新興基督教』ではプロテスタント(新教)向けに語られていたのが、『日本カトリック新聞』ではカトリック向けになっている。
信仰と工藝
柳宗悦
はしがき―先日民藝館にカトリックの有志が招待されし時柳氏の語られし所の主意を同氏執筆の論文を基として要約し、そのうえで改めて同氏の校閲を経しものである。同氏は最近「茶と美」「工藝」「民藝とは何ぞ」の著あり。(八巻)
私は、 多くの信者にとつて、思ひがけない進んでは何か奇異の感をさへ与へる、この題目をかゝげました。多くの人は信仰は心の世界に属し、工藝は物の世界に属するから殆んど何の縁もない如く思はれるかも知れません。然し私は如何にこの両者に深い関係があり又深い関係がなければならないかを説かんとするのです。さうして疎遠にされて来たこの問題こそ信仰にとり如何に大切な又切実な問題だかを了解して貰いたい為なのです。尤も私はこゝで信仰にとつて工藝の問題が大切だと云ふことを述べるのですが、その逆の場合も同じなのであつて如何に工藝問題にとつて信仰の問題が大切だかをも説かねばならないのです。ですが多くの信者達にとつて、物が心の基礎なくしては完き物とならないと云ふことは分り易いのですが心が物に即せずば完き心とはならないと説くのは、恐らく難渋な真理であらうと察するのです。それで私は理解し難いことの方を主にして説きたいと思ふのです。
偖、私が切にこの問題を取上げたいと思ふのに二つの主なる理由があります。ひとつは消極的理由であつて、特に日本に於ける教会堂に、とても醜い建物が多く其の中で用ひられる調度に殆ど見る可き品物がないからですさうして信者達の家庭の生活も余りに醜いものを多く用ひ過ぎてゐるからです。もとより信者のみが例外なのではありませんから、信者だけを責めるわけにゆきません。然し信者は誰よりも正しい暮しをすべきだと思ふので、特に私の訴へを聞いてほしく思ふのです。罪人を此世から一人でもなくさうと発願する信者達自らが、謂はゞ物の罪人とも呼ぶ可き物を会堂に入れたり家庭で用ひたりする事は矛盾だと思へるのです。建物や調度や器物こそは日々の伴侶ですから、正しいもの誠実なもの温いものをこそ選ぶ可きではないでせうか。正しい生活さへあれば醜い物を用ひてもかまはぬと云ふ暮しぶりは正しい生活と呼ぶことは到底出来ないのです。浄いことに鋭敏である者が醜悪なものに無関心なのはまがひない矛盾であり、悲劇であると言はねばなりません。
更に積極的理由として次の事実を指摘するならば問題は一層明瞭になるでせう。古来最も旺盛な宗教時代は同時に卓越した芸能の時代でした。芸能を伴はない宗教は未だ充分宗教と成り切つてゐないとまで云へるのですなぜならそれは宗教の具体的な表現に外ならないからです。こゝで芸能と云ふのは建築や絵画や彫刻や音楽や舞踊や、諸々の工藝を包含するのですが、その特色とする所は、何れも宗教的実用性を帯びてゐたことです。決して近代で考へる如き美の為の美として発生し生長したものではなく、信仰的生活になくてならない実際性を帯びてゐたことです。それに個人的所産ではなく、時代全体の表現でした。かゝる意味で美術と呼ばれるよりも、凡て工藝的性質を有つたものでした。信仰的生活と工藝的なものとは、切つても切れない関係がありました。キリスト教で云へば中世の芸能の如き好個の実例です。中世紀は幾多の模範とすべき聖者達の時代でありましたが、驚くべき芸能の時代でありました。特に工藝的立場から省みるなら其深さに於て力に於て、その時代を越えるものを後世に見出すことは出来ません信仰の中世紀は素晴らしい工藝時代でした。この事は当時如何に信仰と美とがよい調和を示し統一を保つてゐたかを告げてゐます。信仰のある所には至る所に美がありました。美は信仰の表現であり信仰は美の基礎でした。それで信仰と美とは決してはなれたことがありませんでした。
それで信仰と美の分離は決して望ましいことではないのです。殊に今述べたやうな両者の関係の事情を■らされる私達は美的表現を欠く私達の信仰生活には何か誤つたものがある、また美に無関心であり正しい美を識らないといふ事はそれ自身信仰生活が深きに達しない証拠であると反省していいのではないでせうか。教会が自ら汚くなつたり、聖堂の調度が俗悪なものであつたり、信者の家庭が不誠実な品物に充ちてゐたりすることは不自然な不似合な又不思議な現象だと思ひます。中世紀にはかう云ふ事はありませんでしたその信仰は素晴らしいものがあり又信仰の表現たる品物にも素晴らしいものがありました。悉く美しかつたと云ひたい程に、醜いものを用ゐてゐません。私達はこゝで啻に信仰と美とが一致する事を学ぶのみでなく更にそれらが一致してこそ深い信仰があり、美がある事を学ぶのです。
次に多くの人は宗教美と言へば何か高遠な美を聯想しますが、私が強く主張したいのは平易な日々の生活の中に美を有つべき事が如何に大切であると言ふことです。行住座臥、凡て信仰の現れである如く、平常時に美が厚く交つてこそ美の生活があると言ひ得るのです。
次に美の生活と云ふと、何か趣時的な贅沢なものと考へ易いのですが、私は質素と美との間に必然な結縁があるのを認めるのです。貧しい者は幸なりと教へられますが、それなら美の性質だと変りはありません。金がないから美しい会堂が建てられないと言ふのは嘘であります。もつとも正しい美には常に簡素の性質があります。
次に真の美は平常なものにあるのです。不断の生活を離れて正しい信仰の生活も美の生活もないと知らねばなりません。
ですから、醜いもの、偽りのもの不正実なもの、かゝる性質の器物を友として日夜を送ることは、正しさを求め、浄きを慕ひ誠意を敬ふ信仰の生活とは相矛盾するものと言はねばなりません。さうして誠実なるもの、質素なるもの、暖いものと共に暮してこそ本当の生活が営まれるのです。さう云ふ事情の中にこそ信仰は濃く育つてゆくでせう
信仰と美とは一致すべき筈です一致することによつて、信仰は益益信仰となり美は愈々美となります。逆に言へば美を離れた信仰は充分な信仰ではなく信仰を去つた美は完全な美ではないのです。
出典:柳宗悦「信仰と工藝」『日本カトリック新聞』1941年12月14日2面
1954年11月21日の『毎日新聞』に、柳による文章「マリア像 あえて神父達に訴う」が掲載された。内容が批判的だったことから、それを受けて、カトリック雑誌『Missionary Bulletin 布教』誌上で神父たちによる議論が展開された。
マリア像 あえて神父達に訴う
柳宗悦
近ごろあちらこちらにたくさんのカトリックの会堂が建つ。俗化しつつある世相への、浄化の動きであるといってよい。だがその会堂に入ると、すぐ目につくものがある。奥深く安置してあるマリアの像である。だが驚いたことに卑俗でないマリアの像にめぐりあったことがない。こんなやくざな俗像を清浄たるべき会堂に安置してよいものかと反問せざるをえない。ふた眼と見られぬほど低調で醜悪で仮に展覧会にでも出したら落選はおろか、物笑いの種にすらなろう。マリアの像なら、何でも宗教的だなとどは夢にもいえぬ。非宗教的だと難じられる近ごろの芸術でも、これほどに非宗教的ではあるまい。信者たちはその前にひざまずいて祈りをささげるが、そのマリア像がいかに低級な代ものであるかを知らぬ。こんな矛盾はいつにかかって神父たちの責任だと思われてならぬ。
神父たちは多くは尊敬すべき学僧で、中世時代に深くまた浄いマリア像が、絵画に彫刻に数々創られたことを熟知しているはずである。またそれらの聖像の美しさを説くことを忘れてはいまい。しかも説教壇の上からは、常に浄さ深さの世界に就いて、教えを垂れている身である。
ところが、目前にあるマリアの像はどんなものであろう。人間にたとえるなら、浅薄なセンチメンタルな弱々しい不真実な者の如実な姿なのである。もし芸術的良心が、否、宗教的良心が、神父たちに十分あるなら、そんな俗悪な像を会堂に入れるはずはあるまい。偉大な宗教時代がいつも偉大な宗教芸術を伴ったことが法則であるなら、それらの俗像はうたたカトリックの末期を想わせるではないか。そういう甘ったるいマリア像を、平気で安置することを想うと、神父たちには、自己の信心がいかにいま不健全なものであるかの反省がないのであろうか。あるいはまた日本の信者たちを軽べつしてあの甘さがちょうど適しているとでも考えているのであろうか。
多くの聖者たちを産んだあの中世時代は、そんなやくざな像を産まなかったではないか。信仰にも、その表現たる芸術にも、センチメンタリズムを許さなかったではないか。だがこう答えるかもしれぬ。高い芸術は高い天才を要するものである。そんな天才が大勢いない日本において、否、世界において、優れた作品をたくさん希望することは無理ではないかと。
私は過日サンタ・フェーを訪れ、いまから二百年から百年ほど前のカトリックの信徒たちが、なけなしの材料で、技さえろくに弁えず、貧しいままに作った「サントス」をたくさん見て、その深さ浄さに、いたく心を打たれた。すべてが素晴らしい芸術的表現なのである。かのロシアの古イコナの真実さと美しさとを、もっと民衆的なものに近づけた観がある。これは何も天才を必要とした作品ではない。ことごとくが切実な信心、純朴な信仰そのものの直下の表現なのである。こういう「サントス」を見ると、何かその当時の人々の宗教的生活に、根源的な深さのあったことを想いみないわけにゆかぬ。そのマリア像には、どこにも甘さ浅さ低さは見られぬ。
切にカトリックの神父たちに希う。今用いているあのマリアの俗像を会堂から追放せよ、あるいはまたかかる低調な像を安置した自己の宗教的情操の不健康さを反省されよ。そうして偉大な信仰時代は、低調な芸術を許さなかった史実を正視されよ。君たちの信仰そのものに何か病原はないのか。我々の時代の弱みを深く反省することが、我々の第一の務めではないであろうか。
出典:柳宗悦「マリア像 あえて神父達に訴う」『毎日新聞』1954年11月21日5面
上記の柳の文章は、日本のカトリックの布教委員会の雑誌『Missionary Bulletin 布教』1955年1-2月号に、英訳と共に転載された。
そして、続く3月号と4月号の読者投稿欄「Vox Fratrum」に、神父たちから寄せられた反応が掲載された。
神父の名前とその意見の概要は次の通り。
ヒルデブランド・ヤイゼル(ベネディクト会司祭、東京)
「キッチュ」な聖像への批判には全面的に同意するが、その他の点についてはそうではない。
1.そのような像が教会にあることを神父の責任としているが、美意識の問題ではなく、お金がなかったり芸術家を見つけるのが難しかったりして、カタログや店にある像を選ばざるを得ない。
2.「日本の信者には甘さが適していると考えているのでは」などとと言うが、そんなことはない。これは日本だけではなく、他の国でも同様の問題であり、すばらしい作品が生み出されるよう教会が各地で芸術家を奨励していることを見れば、おわかりいただけると思う。
3.「信仰そのものに何か病原はないのか」と言うが、そうではなく、病原は現代の物質主義である。
最後に、あなたが中世時代を高く評価していることについては嬉しく思い、感謝する。
ヨハネ・マンテガッツァ(サレジオ会司祭、東京)
一点一点の反論はしないが、彼のような知性ある人がこんなにも一般化して述べていることに驚いた。いくつの教会を訪ね、いくつの像を見たのか。批判されるような像も確かにあるが、貧しい教会にも芸術的価値の高い像が本当に必要なのか。柳氏には、教会が芸術について明確な指導をしてきたことを理解し、公平に判断してもらいたい。
トーマス・インモース(ベトレヘム外国宣教会司祭、盛岡)
教会にある聖母像の質が低いという柳氏の嘆きには大いに同意する。しかし、そのような像しか手に入らない現状がある。そこで、我々の地区では優れた日本人芸術家を育成している。地元の美術学校の学生の一人に聖母や聖人の彫刻を作らせ、うまくいっている。全国でも同様の取り組みがされるとよい。
(像の写真が2点掲載されている)
カルペンティール(ドミニコ会司祭、東京)
柳氏の記事は大変興味深い批判である。私は、この問題に対して現実的な解決策を考えた。柳氏の批判に驚いたヨゼフ・E・ラッキー神父からの手紙により開始したプロジェクトである。像が欲しい人たちが協同方式でお金を出し合うことで、優れた像の複製を芸術家に依頼し、ひとつ当たりの単価を安くすることができる。例えば、32㎝の「アルセンベルクの聖母」の像は、1点では2万円だが、20点まとめて注文することで、1点700円にすることができる。本誌で注文を受け付けたい。
(「アルセンベルクの聖母」の挿絵が掲載されている)
参照:"Statue of Mary" Missionary Bulletin 布教, IX(1-2), January-February 1955, pp. 78-79.
"Vox Fratrum Statue of Mary" Missionary Bulletin 布教, IX(3), March 1955, pp.154-155.
"Vox Fratrum Statue of Mary (Cont.)" Missionary Bulletin 布教, IX(4), April 1955, pp. 234-237.
また、神言会司祭のH・ファン・ストラーレンは著書『沈黙の園―トラピストの精神』(中央出版社、1955年)において、柳の文章を引用し、「この批判は極めてきびしく、私どももまたこれを全面的に承認することはできないのでありますが、その言はまことに傾聴すべきものを数多含んでいる」と述べている。彼は、柳の言うような「甘ったるい」「センチメンタルな」像を欧米から輸入するのではなく、日本のカトリックの美術家たちが日本独自の精神と手法によって像を作る方がよく、その場合、奈良時代の芸術に学ぶのがよいのではないかと考えている。
参照:ファン・ストラーレン『沈黙の園―トラピストの精神』中央出版社、1955年、pp.262-266.
以上のように、柳の投げかけた批判は、神父たちによって真摯に受け止められ、反論や解決策も含め、多くの反応を引き出したことがわかる。
本記事の更新情報
2025年12月14日作成
2026年2月23日更新