キラリティーとは、実像と鏡像を重ね合わせることができない物体の性質のことを言います。例えば、鏡の中の右手と実際の右手は重ね合わせることができないため、この場合、右手はキラリティーがあると言えます。
ホモキラリティーとは、キラリティーを持つ物体の実像と鏡像がどちらか一方に量的に偏って存在することを言います。もっとも身近なホモキラリティーの例は、ヒトの体の構造です。肝臓が右で胃が左であるように、ヒトの構造は右と左が不思議と決まっており、肝臓と胃が逆に存在する人は極めて稀です。肝臓右-胃左型のヒトは肝臓左-胃右型のヒトと比べて圧倒的に多いため、ヒトの体の構造はホモキラルであると言えます。
このようなマクロ構造のホモキラリティーは多くの生命に認められることが知られていますが、ミクロの分子レベルでもホモキラリティーが生命には存在することが知られています。もっとも有名な例が、糖とアミノ酸です。天然に存在する糖の多くはD型、アミノ酸はL型に偏って存在しています(D型とL型は化合物の絶対配置を示す表記法であり、互いに光学異性体)。実際、DNAを構成するのは全てD型の糖(D-デオキシリボース)で、タンパク質の構成成分はL型のアミノ酸(L-アミノ酸)です。
上記のようにL型アミノ酸が圧倒的に優位に生命現象に利用されていますが、少数派であるD型アミノ酸も生命現象に利用されていることが徐々に明らかになってきました。生命の3つのドメイン(真正細菌、古細菌、真核生物)の中で、D-アミノ酸は真正細菌でもっともよく用いられています。真正細菌は多様なD-アミノ酸を合成し、増殖や芽胞形成、細胞壁の合成や再構成に利用しており、D-アラニンなど幾つかのD-アミノ酸は真正細菌の生存に不可欠なアミノ酸であることが知られています。一方、古細菌や真核生物は一般的には2種(D-セリン、D-アスパラギン酸)のD-アミノ酸しか合成できないと考えられています。
哺乳類では、D-アミノ酸合成の主要な場は脳と腸です。しかし、D-アミノ酸の由来や種類はそれぞれ異なり、脳内では内因性のD-アミノ酸(D-セリンなど)、腸内では外因性(共生細菌由来)のD-アミノ酸(D-アラニン、D-グルタミン酸、D-プロリンなど)が検出されます。
D-セリンは内在性酵素(serine racemase)によってL-セリンから変換され、中枢神経系においてNMDA型グルタミン酸受容体を介した興奮性神経伝達に関与し、記憶や情動との関連が示唆されています。一方、D-アスパラギン酸の生合成機構は未解明ですが、神経新生、グルタミン酸神経伝達の調節、テストステロン合成などの内分泌に関与すると考えられています。
一方で、腸内では哺乳類の共生細菌叢が多様なD-アミノ酸を合成しており、宿主との相互作用を行なっていると考えられるようになりました。
我々は哺乳類の生理・病態生理における内因性および外因性D-アミノ酸の意義を探求しています。特に1)宿主-微生物相互作用、2)神経病態生理における意義、3)全身エネルギー代謝との関連、に焦点を当てて研究を進めています。