合資会社 大和川酒造店 会長
会津電力株式会社 特別顧問
(いずれも喜多方市)
原発事故の後、自然エネルギーである再生可能エネルギー発電とその電気の提供する仕事を始めて日本の電気と食料の自給率を調べて観ると、その儚さに愕然とした。長い間日本酒の醸造をして来た蔵元だから原料の米は地元産を使用して来て満足していたが、会津に生きていく為に食する味噌、醤油、食油、その他のものの原料は殆どが2割以下だと知って恐怖さへ感じている。有事となれば日本は一瞬で飢餓状態になる。エネルギー本食料も海外からの原料や食品を海外からの輸入に頼って来たからだ。
喜多方の寺町に生まれ子供の頃に頂いたものは美味しく健康な食べ物ばかりだった。町内には豆腐屋、蒟蒻屋、八百屋、油屋、味噌屋、私の家は酒屋、隣の町内には醤油屋、煎餅屋、餡子屋と殆どが地元の原料で造られていた。
祖父は軍人でもあり酒造の経営者でもあったがその反省もあり、小さな島国の日本の人口は七千万人位がちょうど良い、それを超えようとすると他国へ食糧や資源を採りにいったり世界中から輸入しなければならなくなる。足るを知れ、足下の豊かさに感謝して生きろと。教えられたのは「四方四里 身土不二」
小原直樹さんの仕事と会津の豊かさと未来を守る為に最大の支援をしたい。
有限会社久在屋(京の地豆腐 久在屋)
代表取締役
(京都市)
「日本の未来に残したい豆腐屋」
昭和40年頃には全国で5万軒あった豆腐屋も時代の流れと共に減少し令和に入ってからは五千軒を下回る件数になりました。昭和時代の5万件は各町内に1件から2件は豆腐屋があった時代。農業からの転身で豆腐屋を開業した話を多々聞きます。それだけ開業しやすい職業だったと考えられます。そして、この平成~令和と時代が流れ豆腐製造にも大きな技術革新がありました。今の市場に出廻ってる豆腐は安心安全を最優先に製造された豆腐ばかりが市場を席巻し昭和時代の豆味を感じれる豆腐が少なくなってきました。いよいよ豆腐屋も「日本の伝統産業」になってしまうような勢いも感じます。
その時代の流れの中で素材の味力を技術で引き出し豆腐職人が年々少なくなり技が伝統産業に認定される時代になって来るかもしれません。
豆腐と揚げを未来に伝える事を仕事にしている小原氏は素晴らしい考え方をされています。
「地産地消の請負人」
国産菜種油の希少価値が非常に高く、豆腐屋業界では国産菜種油を使用する事は大きなブランドを創り出す大きなポイントになると感じます。市場に出廻ってる菜種油は科学薬品を使用し効率の良い製造方法で製造されています。小原氏の考え方は昔ながらの製造方法を知りより効率化して人により優しい菜種油を製造するかを模索してると聞きました。会津の自然の中で大豆と菜種油の圃場がある風景は日本の原風景になると思います。是非とも日本のものつくりの起爆剤として小原氏には頑張って頂きたいと思ってます。クラウドファンディングと言う世界で日本の農業から加工業者そして、食べる人に豊かな食生活と幸せを感じて貰える日本の未来を構築するきっかけになればと思います。
皆様のサポートよろしくお願いします。
一般社団法人日本豆腐マイスター協会 代表理事
一般財団法人全国豆腐連合会 評議員
油揚げ、厚揚げがんもどき使う油は、大豆やにがり以外にもすごく大事な要素です。
油は大切な日本の食文化であり、丁寧に一滴を搾り出すその技術はとても貴重です。
そこにこだわりを持ちその油を後世に残そうという小原さんの姿勢に非常に感銘を受けています。
ぜひこのプロジェクトを豆腐マイスターみんなで応援したいと思います。
豆腐マイスター
幼少から豆中心の食生活を送り大学院在学中に「豆腐マイスター」の資格を取得。執筆活動・メディア出演・イベントやワークショップなどを通じて豆腐の魅力や食文化を伝える。TBS系列「マツコの知らない世界」などに出演。著書に『まいにち豆腐レシピ』(池田書店)。
わたしは幼い頃から「豆腐」が好物で、豆腐の美味しさ、楽しさを追いかけ旅する過程で、日本各地の豆腐職人さんと出会いました。そして、小原さんもそのひとりです。
原料や資材の高騰、後継者不足、流通構造の変化で、個人経営の職人手作りの豆腐屋さんは年々減少しています。
それでも、小原さんのように「豆腐屋は天職だ!」だと胸を張り、良質な原料を使って豆腐づくりを行う方々がいるからこそ、個性豊かな豆腐の食文化が守られてきたのだと思います。
そして、小原さんのつくられる油揚げや厚揚げに欠かせない平出さんの菜種油も、地域で受け継がれてきたかけがえのない食文化であり、途絶えてしまえば二度と取り戻すことのできないものだと思います。小原さんの今回の挑戦に、一人でも多くの方が共感し、豊かな食が未来に受け継がれていきますよう心から応援しています!
新潟県燕市、嘉平豆腐店生まれ。高校卒業後、京都大学農学部・大学院農学研究科修了。3年間のweb関連企業での経験を経て、
京都大学大学院農学研究科博士課程を修了、博士(農学)の学位取得。
現在 新潟大学農学部助教
新潟の伝統ある豆腐店で育ち子供の頃から豆腐作りに携わってきました。
安すぎる価格設定や後継者不足、食品ロス問題など、いま豆腐作りには多くの問題があります。
私はこれらの問題に科学的な方法で取り組み、豆腐の「価値」を追求することを決意し、京都大学にて豆腐の研究を始めました。
大学では作物や食品の品質を傷つけずに測定する「生物センシング工学」に出会い、組織を破壊することなく、豆腐の凝固過程を測る方法を開発しました。 この技術は豆腐製造のロスを減らし、品質向上につながると確信しています。
さらに学生時代から豆腐業界と強いつながりを持ち、日本初の全国豆腐品評会を開催するなど、業界の振興にも積極的に取り組んでいます。
小原さんには、同じ京大出身かつ豆腐に情熱を注ぐ者として、リスペクトを持っています。今回の試みが成功につながるよう、応援しています!
映画監督
(福島県しゃくなげ大使)
地域文化に根差したオリジナル作品をオールロケで製作している。 主な作品に、福島県を舞台にした『春色のスープ』(2008・児童福祉文化賞推薦作品)、環境問題を扱った『KIZUKI』(2008・日本映画批評家大賞国際活動賞)、『ラーメン侍』(2011)、『恋のしずく』(2018)、『いのちスケッチ』(2019)、『スパイスより愛を込めて。』(2023)などがある。
とうふ屋おはらの豆腐は一度しか食したことはない。その味も食感も忘れてしまったけれど、忘れられないのは、若き小原さんの志と情熱と行動力。ともに映像制作会社に勤めてから、何とまあ、40年近くが経ってしまった。
SDGsという言葉が生まれるずっと前から、彼はその実践者でありました。優秀ゆえに様々な職の誘いもあったろうにそれらに目もくれず、豆腐屋を開いたというニュースには僕は飛び上がって喜んだ。実に小原さんらしい。
その彼が今度は菜種油の伝統の技を継承しようというのだから、応援しないわけにはまいりません。豆腐づくりも油づくりも重労働でしょう。いい歳なんだから身体に気をつけて頑張って。
とりあえず今度、豆腐の味噌漬けを買いに行くよ。
桃陰ラガークラブ
(天王寺高校ラグビー部OB会) 会長
「使命感と行動の人、小原主将」
小原さんの母校天王寺高校ラグビー部の後輩で現在OB会長を務める青木一彦と申します。此度の平出油屋さん菜種油継承の取組みクラウドファウンディングを応援すべく筆を取っております。高校ラグビー部入部時に3年生でチームの主将であった小原さんは高校、大学、社会人の全ての時期を通して私にとって「ラグビー部主将」、正に使命感と行動の人です。
母校天王寺高校は北野高校に次ぐ大阪屈指の進学校で、毎年、東大、京大、早慶など難関大学に学生を送り出しながらスポーツも非常に盛んな高校です。特にラグビー部の1922年創部は大阪では最も早く、既にラグビー部創設100年を越える歴史の中で、全国大会出場19回、優勝2回、準優勝3回の戦績を残した強豪チームでした。
他のライバル校ひしめく大阪の中で全国大会出場を使命とし、主将は日々重圧と責任を負います。小原主将率いるチームは、大阪予選でレギュラー2名を欠きながら強豪と対戦。同点に追いつかれた試合終了間際にトライを許し敗退。相手チームは全国大会で準決勝まで進みました。残念ながら目標にはあと一歩及びませんでしたが、強いキャプテンシーをもってチームを厳しい練習と態度で自らの背中で率いる姿は威厳に満ちていました。一方で勉学を疎かにされることなく、京都大学法学部に進学された努力家であり、皆からの尊敬を集めておられました。
現在小原さんは素晴らしい豆腐を作り続けられ、此度は新たに存続の危機に瀕した大切な菜種油の継承に取り組まれると知りました。詳細は他の方々のご説明にお任せしたいと思いますが、その志と行動は年月を経ても、何ら変わっておられません。義を見て為ざるは勇無きなりを地で行く、根っからの主将です。
決して簡単な道のりではないとは思いますが、必ず成し遂げられること信じて疑いません。
ラグビーは仲間を大切にし、助け合うスポーツ。またぶつかり合いでケガや痛みも伴いますがボールを手で持ちグランドを自由に駆け回る楽しいスポーツです。
小原さんの作られた豆腐を食べましたが、本当ににおいしい!この上ない幸福感に浸りました。厳しい環境下当然ご苦労はおありと思いますが、人々に幸せを届けるおいしい豆腐づくりと大切な菜種油の継承を楽しまれる姿が目に浮かびます。ひたむきに地道に目の前の課題に挑戦される小原主将を心から支援する所存です。
大阪府立天王寺高校ラグビー部(主将)
慶応義塾大学ラグビー部(主将のちに監督)
元ラグビー日本代表
京空株式会社(旧(株)FMI)
代表取締役
【桃陰ラガークラブ(天王寺高校ラグビー部OB会)青木一彦会長による紹介文】
小原さんの母校天王寺高校ラグビー部の後輩の松永敏宏さんによる、大きく影響受けた恩人小原さんへの支援のための文章です。文武両道の天王寺高校ラグビー部が輩出した高校32期主将(高校日本代表選出)の松永敏宏さんは、京都大学に合格するもラグビー継続のため敢えて慶応義塾大学を選択し、4年時には主将として関東大学対抗戦全勝優勝、大学選手権決勝に於いて同志社大の平尾選手との死闘とも形容される決勝戦での終了直前の幻の同点トライや、後の日本代表選手としてフランス遠征等々、当時のラグビーファンなら誰もが知る松永敏宏さんからの応援メッセージです。
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【松永敏宏 記】
1962年1月大阪府羽曳野市碓井で生まれ、生後両親が共働きだったので父方の祖母に育てられ、幼少期、祖母から豆腐代を預かり、祖母宅の前にあった碓井神社まで大きな鈴を鳴らしながら行商に来ていた屋台の豆腐屋さんに豆腐代金を支払い、お椀の中にいれてもらった豆腐を我慢ができず祖母宅に帰るまでに食らいついて歯型の豆腐をいつも持って帰った記憶があります。そのお蔭で、豆腐のことを成人になるまで「チンチン」と呼んでいました。私がそれほど大好きな豆腐屋さんになっておられたのが私の大尊敬する小原先輩です。
(1977年4月大阪府立天王寺高校に入学)
入学数か月前の私が藤井寺中学3年時に、新聞に「天王寺高校ラグビー部が近畿大会に出場」という記事を読み、当時弱小バスケット部に所属していた私は強い運動部で活躍したいと思い、天王寺高校でラグビーができたら良いな、と漠然とした気持ちがあったのですが、母が申し込んでいた大阪市営住宅の抽選で鷹合団地が当たったお蔭で、本来なら行くことができない天王寺高校に出願できるようになりました。この近畿大会に出場され主将として活躍されていたのが、何を隠そう小原先輩だったのです。これも、今から考えると凄いご縁だと思っています。また入学当初、たまたま担任の先生が中学時代の同級生の父親で、私がラグビーをやりたいと言っていたにもかかわらず、サッカーと間違って伝えたようで、サッカー部の顧問だった担任の先生から執拗に勧誘されて、ラグビー部への入部がかなり遅くなりました。そんな中、当初の志通り、ラグビー部に遅れて入部して、初てお会いした小原主将、とても威厳があり、遅れて入部の引け目もありましたので、余計に怖かったです。練習しだした当初はフォワードとして姿勢の練習など、自分としてはあまり面白くない練習が多かったので、無茶苦茶勇気を出して、恐れていた小原主将にバックスに代えてくださいと初めてお願いをさせていただきました。その際、何か言われると恐れていましたが、すんなりとOKをいただき、ビックリしたのを覚えています。
また、小学校時代にスキーをやっていたお蔭で、スキーの大阪府予選に出場したいと我が儘を言った際にも、快くOKをいただき、その結果、インターハイにも大阪府代表として出場できました。このようにみかけはとても怖かったのですが、下級生に対し、凄く包容力があり、優しい主将でした。こんな状態でしたので残念ながら、ラグビーのプレーでは貢献できなかったので、当時受けた御恩に対し今回、何とか少しでもクラウドファンディングで貢献させていただければ、嬉しい限りです。
(2024年4月 とうふ屋おはらの豆腐を初めていただく)
前にも述べました通り木綿豆腐をいただき、50年以上前に羽曳野市碓井の祖母宅で食べたお豆腐を思いだしました。それほど美味しい豆腐が再現されたような気がしてならないし、凄いご縁を感じております。まさに調味料を何もかけずに、本当に美味しかった味を思い出した最高の一品だと確信しています。おかずは豆腐だけで充分という懐かしい味で、本当に絶賛の味で、感動しかございません。
あと、まるでプリン、豆幻郷も無茶苦茶、美味しいです。特にまるでプリンは女性には、たまらないと思われます。これからの人生、私のかけがえのない豆腐となること間違いなしです。そんな私が大尊敬する小原先輩が新たにチャレンジされるこのクラウドファンディング、何が何でも成功させていただきたく、全身全霊で応援させて頂きたいと考えております。
大阪府立天王寺高校卒(同窓生)
京都大学法学部卒
中部国際空港株式会社
代表取締役社長
小原くん、ご無沙汰してます。
高校時代からバイタリティの塊のような小原くんが、またまた新しい世界にチャレンジですね。
地域に根差した文化・伝統を維持継承していくことは、本当に骨の折れる、けれども極めて大切なことだと思います。
「日本の伝統的な食文化を残し、育て、より多くの人たちに味わっていただきたい」
小原くんの熱い思いを心から応援します!
居酒屋 籠太 店主
(会津若松市)
私が小原さんの豆腐に出会ったのは18年以上前になる。それは衝撃的な出会いでした。
今まで美味しい豆腐を探してしばらくは南会津や様々な豆腐をたべてきたが、すごい豆腐に出会ったと思った。小原さんの豆腐が体調不良などで配達できない時、又は足りなくなってしまった時などどれだけ買いに行ってきたかわからない。
私はその道に豆腐街道と名付けいまでも通っている。やがて変わりがない豆腐である事に気づく。
平出油屋さんの話しも早くから聞いていた。やはり変わりがないからの決断なのだろう。
有料老人ホーム・ひろんた村母屋施設長
五島塩の会事務局
特定非営利活動法人村づくり会議理事長
元同志社大学大学院ソーシャルイノベーションコース嘱託講師
(長崎県上五島町)
私たちの小原君との付き合いは多分35年程になると思います。かつて私が役員を務めていた映像会社に小原君が入社し、その会社の代表の紹介で、自給暮らしを始めていた五島列島の拙宅を訪ねてきたのがきっかけでした。彼にとって”悩める時代”だったのでしょう、映像会社を辞めるに際し、その後の生き方を模索するためいろいろ情報を集めていたのだと思います。その頃私はお節介にも『田舎暮らしネットワーク』なるものを立ち上げ、『田舎暮らし大募集』を計画するなど新たな生き方を提案しようとしていたので、そうした絡みもあったのでしょう。
その後もいろいろ連絡を取り合っていたと思いますが、彼なりにいろんな試みの挑戦していたようです。しばらく後に豆腐屋に挑戦するとの連絡を受け、手作り本格豆腐に不可欠なにがりの供給を依頼されました。塩業自由化を見据え、いち早く自然開塩づくりを仲間と開始し、販売していたからです。豆腐作りか、大丈夫かなと心配しつつ、ともかくにがり(と塩)を提供しながら、遠く五島から彼を見守ることになりました。
切れ切れの記憶ながら、その後いろんなことがありました。豆腐作業所で火事を出したり、原発震災で福島を離れ、避難生活を佐賀で送ったり、福島に帰り県知事選、喜多方市長選への積極的関与、頑張って豆腐コンクールで入賞したり、等々、波乱に満ちた人生を送ってきた感があります。
そして今回、また新たな挑戦を始めるとのこと。消えゆく伝統の技を継承する試みで、半端ではないと思いますが、意図には全面的に賛同します。周囲の力強い協力者もあるようですから、何とか頑張ってほしいと思います。
NPO法人福島県有機農業ネットワーク理事長
ひぐらし農園主宰
本木・早稲谷 堰と里山を守る会会長
(喜多方市山都町)
著書「僕が百姓になった理由(わけ)」
1996年に千葉から会津に移住し、小原さんと同じ喜多方市の山間部で地域内資源循環型の有機農業を営んでいます。
最初は自分の食べ物を自分で作る自給自足に憧れての移住でした。しかしいざ暮らし始めると力の限界を早々に感じました。そこで自給とは一人で何もかもやることではない。同じ価値観を持つ仲間とつながり、お互いに足りないところを補いながら地域内で自給圏を広げていくことだと考えるようになりました。
そんな折に移住してきたのが小原さんご夫婦です。移住者仲間が増えた喜びはもちろん、素材と製法にこだわったお豆腐屋を始められたことで、食材が豊かな会津でますます贅沢な食生活が送れることになったのです。
さらに私は平飼い養鶏と養豚も行っており、貴重なおからを当農園の野菜や卵、豚肉などと交換してもらい、家畜たちのエサにするという恩恵も受けています。おかげで目標とする地域内の資源循環がぐっと近づいたのでした。
一方で、農村では耕作放棄地や空き家が急激に増えつつあります。景観の美しさと比例して棚田の維持には手間がかかります。しかし食の多様化で米価は1984年をピークに上がりません。山間部の農家はそれでも米を作り続けてきましたが、今や原価割れとなり高齢や農機具が壊れたことをきっかけに次々と離農しています。私の住む地区も例外ではありません。一人での自給が難しいように、一人での稲作も困難です。
このままでは会津山間部の美しい景観や多彩な農的暮らしが失われてしまう。そんな危機感から私は2000年から江戸時代から続く山腹水路「本木上堰」とその棚田を、主に首都圏からのボランティアと一緒に守る活動を始めました。具体的には田んぼに水を引くため農家にとって一番の重労働である「春の堀さらい」作業に来てもらって共に汗を流し、棚田でとれたお米「上堰米」やそれを原料とした日本酒を再生産可能な価格で買って支えてもらっています。キャッチコピーは「浚(さら)って応援、食べて応援、飲んで応援」です。
また堰や棚田の様子、周辺の暮らしぶりを随時発信し、里山の整備や豪雨災害などがあればお手伝いをしてもらうことも。ボランティアの方々にとっては顔が見え安心できる農産物が手に入り、第二の故郷のような安らぎの場を得られます。こうしてお互いを支え合う関係性を創ることができました。
このように生産者の想いやリスクを消費者が一緒に背負って支え、同時に地域と消費者自身の暮らしをより豊かにする仕組みを海外ではCSA(Community Supported Agriculture)と呼んでおり、日本が人口減少していく中で新たな地域活性化の指針になると思っています。
小原さんが目指すプロジェクトもまさにCSAだと思うのです。平出さんが培ってきた搾油の技術や価値を継承し、その油で地域の食文化や健康を支えてきた人たち、さらにこのプロジェクトで生まれた新たなコミュニティが未来を紡ぐ。キャッチコピーは「建てて応援、絞って応援、食べて応援」でしょうか?(笑) 私はそこに加えて原料のナタネを「育てて応援」したい。
豊かな食文化は美しい景観を創ります。耕作放棄されてしまった棚田に、このプロジェクトをきっかけに作付けされた菜種の黄色い花が広がっている。そんな風景を夢見てみたいと思います。
© 2024,とうふ屋おはら