(レイアウトは仮のもので、本番ではcampfire(キャンプファイアー = クラウドファンディング・プラットフォーム)のフォーマットに従って整理します)
※アンケートへのリンクは「リターン案」のページ下にあります。
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江戸時代から180年以上続いた福島県会津若松市の平出油屋さん。松尾芭蕉の「閑かさや岩にしみ入る蝉の声」で有名な山形県の立石寺(=山寺)のお灯明(とうみょう)の油にも使われてきました。古来から菜種油は灯(ともしび)用としても使われてきたのですね。
6代目の平出祐一さんは玉締め圧搾法(たまじめあっさくほう)という、菜種やゴマを丸ごと搾る技術を大切に守ってこられましたが、機械の修理が必要になったこと、ご本人の高齢化と後継者不在を主な理由として閉業を決められ、最終的に2022年12月に店じまいされました。
伝統的な玉締め圧搾法という製法で時間をかけて絞る菜種油は、クセがなく油抜きが不要で、しかも、継ぎ足しながら長く使えます。ところが、その平出油屋さんが閉業されてしまいました。このままでは会津の宝のひとつがなくなってしまう。その技をそのまま未来につなげたい!との思いからこのプロジェクトを立ち上げました
平出油屋さんの玉締め設備は一式譲っていただけることになっているものの、少なくとも当面は僕自身(下記自己紹介参照)の個人事業「とうふ屋おはら」と油屋を掛け持ちするため、搾油工場が豆腐屋から近いところにないと難しいなどの事情から、新たに工場にする物件を取得し、設備一式を移設する必要があり、修理の必要な機材もあります。建物に関しては候補となる中古物件があり、スペース的には十分で骨組みもしっかりしていますが、外壁などの老朽化が激しく、上下水道もなく、稼働に向けてはかなりの費用が見込まれます。小さな豆腐屋にはそれだけの資金がなく、皆様のお力を借りて、平出油屋さんの技を未来につなぎたいとの思いからこのプロジェクトを立ち上げました。
現在、「とうふ屋おはら」は個人事業ですが、油屋事業はこれまで休眠会社であった有限会社ウィズドム(代表取締役 小原直樹)を再起動させる形で行い、将来的にはそちらへ豆腐屋も統合して法人化し、次世代に継承できるようにしたいと思っています。
玉締め機の雄姿 かつては全国で使われていたが、今では作り手もいなくなった
手間と時間をかけて作られた油は菜種そのもの
プロジェクト実行者 小原 直樹
とうふ屋おはら店主/(有)ウィズドム 代表取締役
1959年香川県生まれ。転勤族の親の関係で小中で転校8回。大阪府立天王寺高校ラグビー部。京都大学法学部卒。東京で、映像制作会社勤務、マーケティングリサーチ会社勤務、非営利団体勤務、情報サービス事業の有限会社ウィズドムの設立(のちに家庭の事情で事業を売却し休眠会社に)、広告代理店勤務などを経て、40歳の時に移住先の会津で豆腐屋になる。天職とふるさとを会津で発見。
こんにちは!とうふ屋おはらの小原直樹です。
福島県会津地方の喜多方市高郷町(移住したときは高郷村)で、夫婦2人(とパートさん)で小さな豆腐屋を営んでいます。江戸時代の狂歌に「ほととぎす 自由自在に聞く里は 酒屋に三里 豆腐屋に二里」 というのがあり、田舎の不便さを詠んだという解釈がありますが(個人的には酒屋、豆腐屋までの道のりで鳥の声や景色を楽しんでいたと解釈したいです)、店はそういう農村部(ド田舎)にあります。
豆腐屋の前は東京でサラリーマンをしていましたが体が不調になり、とりあえず退職。東京都立図書館へ通って食べ物や農業の本を読み漁りました。調べるうちに衰退する日本の農業と食料自給率の低さに驚愕(それから25年経ってもっと悪化していますが)。また食文化史研究の原田信男先生の著作にも出会いました。先生は日本の古代国家が何度も肉食禁止令(最初は675年)を出したのは仏教の影響というよりも稲作を優先することを選択したためであり、それから江戸時代にかけて米と魚、大豆を中心とした和食が成立していったという説を唱えています。豆腐と油揚げが大好きな自分が育った食文化の背景、歴史にも関心を持ちました。ちなみに先生の最新刊は奇しくも「豆腐の文化史」(岩波書店2023年)。そんなこんなで食べ物を作る側になりたいとの思いをもって移住先を探して各地をまわり、1999年ナウシカの風の谷みたいに感じた風景にひとめ惚れして会津に移住。移住してすぐご近所からいただいた白菜の甘味に感動したことは今も忘れられません。
お店の前にて
平出さんの菜種油を使用した厚揚げ
焼いても煮ても美味しい。レンジでチンすると揚げたてのようにフワフワに。厚揚げは中が油揚げのように網目状。薄揚げに対して厚揚げです。(平出さん閉業前に仕入れた菜種油使用中)
独学で豆腐作りを学んで翌2000年に豆腐屋を開業し、2002年にはテレビ番組の「人生の楽園」にも取り上げられました。開業時から大豆と水と天然にがり(長崎県五島産)だけを使って、生搾りという製法で手作りしています。大豆は国産の在来種を使用、9割以上が地元会津での契約栽培です(不足分は宮城県産、山形県産を仕入れ)。創業以来、日本一おいしい豆腐づくりをめざすと公言していたこともあり、全国豆腐品評会(全国豆腐連合会主催)に第2回(2016年)から参加。しかし東北地区予選はどうにか通過するものの、全国大会(本選)では日本一どころか4位が最高で金銀銅もとったことがなく、全国から出品される美味しい豆腐にショックを受けては(出品された豆腐の試食会が毎回あります)、また改良と研究を重ねるということを繰り返しています。入賞するしないは別として、有難いことに二十里、三十里先から買いに来ていただくお客様もおられ、着実に進歩しているという手ごたえを感じています。
大豆畑と虹
近所の畑を借りて自分でも大豆を栽培していたが、体力的な限界を感じ昨年撤退。虹がかかったり、ひばりの高鳴きを聞いたり、大豆の成長を見たり、大空の下の農作業は楽しい。
会津磐梯山は宝の山よ~♪
幼少時、学校を代わるたびに「おはら庄助さん、なんで身上つ~ぶした♪」とかわかわれていたが、まさか磐梯山のある会津に住むことになるとは何かの因縁か。身上(しんしょう)をつぶさないよう晩酌と早起きに努めている。
豆腐屋のある風景
この風景の中に豆腐屋があるが、建物の陰なので拡大しても屋根しか見えない。
只見川
近所の西羽賀橋から雪の飯豊連峰を望む。右岸側の方向に豆腐屋があり、左岸側に搾油工場の候補物件がある。どちらもこの写真の外側。
もともと平出油屋さんを知ったきっかけは、自分で栽培した菜種を平出油屋さんで搾ってもらっていた農家からの紹介でした。持ち込まれた原料を加工するのは、いろいろと面倒で効率が悪いのですが、平出さんは積極的に引き受けてこられました。もちろん、玉締め圧搾法で搾るにはある程度の量が必要なので、少ない場合は引き受けられないこともあったとは思います。しかし、地域の中での搾油の引き受けという機能も未来の世代に残したいと思うのです。
僕たち夫婦も平出油の大ファンで、家庭用にも平出さんの菜種油やごま油を使ってきました。ところが、平出油屋さんが閉業を予定していることを知り大変なショックを受けました。平出の油が使えなくなるということはもちろんですが、それだけではありません。平出さんは僕より丁度ひとまわり上のイノシシ年、つまり12歳年長で、その年齢で引退を決意されたということにもショックを受けました。ウチは子供がいないので(いても家業を継ぐとは限りませんが)僕自身も豆腐屋としてあと10年ぐらいで引退を考えるときが来るかもしれないということを突きつけられたのです。そこで、あと10年で豆腐屋と平出油屋さんの技を未来につなぐ後継者を育成したいと思うようようになり、弟子入りをお願いして平出さんの玉締めの技を学ぶことにしました。
動画は、修行シーンをまとめたものです。平出油屋さんの作業工程もわかりますので是非ご覧ください。
【動画】平出油屋での修行風景と作業工程(2分程度)
福島民友2023.10.30
福島民報2020.12.4
ここで問題です、菜種油、ごま油、大豆油、オリーブオイルなど、食用油にはその原料の名前がついています。ではサラダ油の原料はなんでしょう?(答えはもう少し後で) 食用油は、天ぷら、炒め物、ドレッシングなど毎日の食生活で当たり前のように使っています。しかし、その原料の産地や製法についてどの程度ご存じでしょうか?私も平出さんの油に出会うまではよく知りませんでした。油搾り(搾油)には、大きく分けて圧搾法と抽出法があるそうです。
圧搾法(あっさくほう)
レモンをぎゅうぎゅうと絞るように、菜種などの原料に力をかけてぎゅうぎゅうと絞るのが圧搾法です。人類が初めて油を搾ったときも圧搾法で、長い歴史があります。平出油屋の玉締め圧搾法も圧搾法のひとつで、かつては日本中で使われていたそうです。低圧で時間をかけてゆっくりと搾ります。
搾った油を原油といいますが、そのあとの工程を精製といいます。精製の方法にも、油を水洗いして水を分離してろ過したり、様々な方法があるようですが、平出油屋方式では、動画にもあるように原油を和紙でろ過して完成となります。水も薬品も使いません。「何も足さない、何も引かない」方式。そのため、油分以外の菜種の栄養成分がたっぷり含まれ、色も菜種の黄色となります。このように、同じ圧搾法でも搾油に使う機械の違い、蒸し方や焙煎の仕方、精製方法により、同じ原料でも搾油事業所ごとに香りや成分、泡の立ち方などが全く違う油ができあがります。豆腐屋として、同じ大豆を使っても職人ごとに全く違う豆腐ができるので、実感としてよくわかります。
ちなみに、エキストラバージンオリーブオイルは高級な食用油として有名ですが、食用油大手の日清オイリオのホームページでは「エキストラバージンオリーブオイルとはオリーブの果実を搾ってろ過しただけの、一切化学的処理を行わないバージンオイルで、酸度(遊離脂肪酸の割合)が100g当たり0.8gを越えないものを指します。 」と説明されています。その意味では平出油屋の菜種油は、エキストラバージン菜種オイルと分類してもおかしくないものです(もちろんそのような分類はありませんが)。エキストラバージンとはイタリア語で「最高に純粋」を意味するそうです。
低圧で時間をかけてゆっくりと搾る
平出油屋方式では原油を和紙でろ過
抽出法(ちゅうしゅつほう)
それに対して、現在主流になっているのが、ノルマルヘキサンという有機溶剤を使用して油分をいったん溶かしだし、そのあと複雑な工程を経て油分を分離する抽出法だそうです。大豆など油分が比較的少ない原料は、圧搾法での搾油は難しいため、抽出法によるようです。菜種は油分が多いため、まず圧搾法で絞り、その油粕から抽出法で油を搾る圧抽法(あっちゅうほう)もあるといいます。いずれにしても圧搾絞りと明記してないものは、工程の全部か一部に抽出法が使われていると考えてよさそうです。
食用油についてはJASで規格が定められていて、①軽度精製油②精製油③サラダ油に分けられ、原料ごとに〇〇油、〇〇精製油、〇〇サラダ油と呼ばれます。なたね油の場合は右の表(JASから抜粋)のように、①なたね油(赤水ともいう)②精製なたね油(白絞油ともいう)③なたねサラダ油となります。脱ガム(脱リン脂質)、脱酸、脱色、脱臭などの複雑な工程を経ていろいろ「足したり、引いたり」したものが精製油で、そのうち油を摂氏0度に5時間30分おいても濁らないものがサラダ油と定められています。つまり、サラダのドレッシングに使いやすいということからサラダ油と呼ぶようで、サラダを搾ったものではなかったのですね。サラダ油には、単体(ごまサラダ油など)のものと数種をブレンド(調合油)したものがあります。ご自宅にサラダ油があったら原料を確認してみてください。いうまでもなく平出さんの菜種油は③なたね油(軽度精製)に分類されます。和紙で異物を取り除くために濾しただけなので無精製ですが。
なかしま しほさん
料理家/foodmood主宰
書籍や雑誌などでのレシピ提案の他、映画やCMでフードコーディネートを担当。第1回レシピ本大賞「まいにち食べたいごはんのようなクッキーとビスケットの本」、第3回レシピ本大賞「まいにちおやつ」でそれぞれ大賞受賞。他、著書多数。foodmood.jp
foodmoodという名前で焼菓子のお店をしています。バターのお菓子が大好きだった私が、体調を崩したのをきっかけに、植物性の油を使ってお菓子を作れないかと試作を始めたのは、もう20年以上前、そのきっかけは平出さんの菜種油でした。ごま油やオリーブ油以外で、油を「おいしい」と感じたのは平出さんの菜種がはじめてです。この油を使うとごはんもお菓子もびっくりするほどおいしくなるんです。
それ以来長年foodmoodのお菓子の要として使い続けてきましたが、最後に分けていただいた油もあとわずか。これからについてまだ答えを出せていなかったので、このクラウドファンディングのお話を聞き、ぜひ応援したいと思いました。
私はもちろんですが、私のまわりのお菓子やさんパン屋さん、コーヒー屋さんまで、あの菜種油の再開を待ち望んでいる人たちがたくさんいます。
どうぞ小原さんのプロジェクトが成功しますように。
朝倉 玲子さん
株式会社アサクラ
(会津若松市)
飯塚 友美さん
菜食cafe ametsuchi
(福島県磐梯町)
五十嵐 加奈子さん
食堂つきとおひさま
(喜多方市)
大屋 敏男さん
自然食&穀物菜食の宿
タンボ・ロッジ
(南会津郡南会津町)
小川 美農里さん
農家民宿 Dana Village (ダーナビレッジ)
(西会津町)
小田切 忠之さん
酒菜 天味
(会津若松市)
君成田 愛子さん
碧と緑
(鎌倉)
小泉真実さん
イタリア料理
Canova Azzurro
( カノヴァ アズーロ)
(いわき市)
小西 郁さん
天然酵母のパンの店
くぅべくぅべ
(会津若松市)
齋藤 真弓さん
空色カフェ
(喜多方市熱塩加納町)
佐藤 悦子さん
ローフード&ヘルシーフード Vegemahi(ベジマヒ) (会津若松市)
佐藤 雪乃さん
カフェ GOD BLESS YOU (ゴッドブレスユー)
(会津若松市)
宍戸 佑三子さん
加藤 仁美さん
佐藤 由佳さん
薮内 義久さん
食堂ヒトト
(福島市)
滝口 勝典さん
森の中のお野菜レストラン
クオーレ デルソル
(栃木県那須塩原市)
豊川 庸平さん
会津の伝統野菜と薬草
リオリコ農園
(会津坂下町)
西本 真理子さん
食堂カフェ ハレの日
(会津若松市)
堀内 梨沙さん
ベーグルとくらしの店
ホリウチおやつ
(新潟県三条市)
三澤 千可子さん
茶房 千
(喜多方市山都町)
峯岸 佑子さん
一般社団法人 福のもと
目黒 視美さん
パンとお食事
こみと屋
(只見町)
矢口 一二三さん
会津のイタリアン・レストラン リストランテ・パパカルド
(会津若松市)
山門 夢実さん
カフェ Baku Table
(バクテーブル)
(会津若松市)
渡辺 正樹さん
ワインとフランス家庭料理 ココット
(会津若松市)
五十嵐 大輔さん
CAFE JIMAMA
(南会津町田島)
2022/11/13 トークイベント「これまでとこれからの油の話」
会場で販売された
最後の平出さんの菜種油
平出祐一さん
玉締めでできた油粕を持って説明する豆腐屋
なかしましほさん
主催の食堂つきとおひさまの五十嵐加奈子さんから感謝の花束贈呈
佐藤 彌右衛門さん
合資会社 大和川酒造店 会長/会津電力株式会社 特別顧問
(いずれも喜多方市)
原発事故の後、自然エネルギーである再生可能エネルギー発電とその電気の提供する仕事を始めて日本の電気と食料の自給率を調べて観ると、その儚さに愕然とした。長い間日本酒の醸造をして来た蔵元だから原料の米は地元産を使用して来て満足していたが、会津に生きていく為に食する味噌、醤油、食油、その他のものの原料は殆どが2割以下だと知って恐怖さへ感じている。
有事となれば日本は一瞬で飢餓状態になる。エネルギーも食糧も、原料や食品を海外からの輸入に頼って来たからだ。
喜多方の寺町に生まれ子供の頃に頂いたものは美味しく健康な食べ物ばかりだった。町内には豆腐屋、蒟蒻屋、八百屋、油屋、味噌屋、私の家は酒屋、隣の町内には醤油屋、煎餅屋、餡子屋と殆どが地元の原料で造られていた。
祖父は軍人でもあり酒造の経営者でもあったがその反省もあり、小さな島国の日本の人口は七千万人位がちょうど良い、それを超えようとすると他国へ食糧や資源を採りにいったり世界中から輸入しなければならなくなる。足るを知れ、足下の豊かさに感謝して生きろと。教えられたのは「四方四里 身土不二」。
小原直樹さんの仕事と会津の豊かさと未来を守る為に最大の支援をしたい。
東田 和久さん
有限会社久在屋(京の地豆腐 久在屋)代表取締役
(京都市)
磯貝 剛成さん
一般社団法人日本豆腐マイスター協会 代表理事
/一般財団法人全国豆腐連合会 評議員
工藤 詩織さん
豆腐マイスター
斎藤 嘉人さん
新潟大学農学部助教
瀬木 直貴さん
映画監督
(福島県しゃくなげ大使)
青木 一彦さん
桃陰ラガークラブ
(天王寺高校ラグビー部OB会)会長
松永 敏宏さん
大阪府立天王寺高校ラグビー部(主将)/慶応義塾大学ラグビー部(主将のちに監督)/元ラグビー日本代表/京空株式会社(旧(株)FMI)代表取締役
犬塚 力さん
大阪府立天王寺高校卒(同窓生)/京都大学法学部卒
中部国際空港株式会社
代表取締役社長
鈴木 真也さん
居酒屋 籠太 店主
(会津若松市)
歌野 敬さん
有料老人ホーム・ひろんた村母屋施設長/五島塩の会事務局/特定非営利活動法人村づくり会議理事長/元同志社大学大学院ソーシャルイノベーションコース嘱託講師(長崎県上五島町)
浅見 彰宏さん
NPO法人福島県有機農業ネットワーク理事長/ひぐらし農園主宰/本木・早稲谷 堰と里山を守る会会長
(喜多方市山都町)
(目標額の1500万円を達成した場合、campfireへの手数料、リターン経費などを差し引いた約1000万円強をプロジェクトに充当することになります。)
中古工場物件購入
片付けその他(自力でできるところは自力で)
物件補修改修(自力でできるところは自力で)
水回り(上下水道)
電気工事
搾油設備修理移設
移設不可能な設備の購入(菜種粕の粉砕機など)
焙煎鍋等その他設備移設
原料菜種の買い付け
(原料菜種の発注時期、収穫時期の関係で、プロジェクトが順調に進んでも、2025年の3-4月に発注(交渉)し確保が決まっても、刈り取り、乾燥調製が終わって入荷するのは8月~9月になることから、年内に施設が完成しても、搾油できるのは来年秋ごろになりそうです。)
2024年
【6~7月】クラウドファンディング
【8~9月】中古工場物件購入、リターンの発送、送信
【9月~2025年6月】片付け、改修修理、上下水道工事、搾油設備移設
2025年
【4月】原料菜種の発注
【8~9月】原料菜種の入荷、試運転
【9~10月】初しぼり
平出さんは国産のナタネを原料に使ってこられました。日本のナタネの自給率は、わずか0.04%と言われています(農林水産省の統計では四捨五入の関係で0.0%)。戦前(第2次世界大戦前)は自給率100%だったそうです。今回のプロジェクトが成功したら、もちろん国産のナタネを原料に使いたいと考えています。会津でも、菜の花畑を見ることもめっきり少なくなりました。油搾り工場が実現したら、会津の農家に委託をしてナタネを栽培してもらいたいと考えています。子供のころに見た「いちめんのなのはな」を会津でも見るのが夢です。それから、油を搾ったあとの菜種粕は農地のよい肥料になります。ちなみにゴマの自給率はわずか0.026%。いずれはゴマの栽培もお願いしてゴマ油の製造も開始したいと思っています。
ちなみに大豆の自給率は7%。サラダ油などの油糧用を除く食品用に限ると25%(農水省による)で、国産大豆は全量食品用なので、油糧用は全量輸入していることになります。日本の食糧自給率は農水省によればカロリーベースで38%。しかし、家畜の飼料や農地の肥料なども含めて計算すると18%と試算する研究者もいます(高橋五郎著「食糧危機の未来年表 そして日本人が飢える日」朝日選書2023年)。トラクターやコンバインなど農機具を動かすにはガソリン・軽油が必要ですが、日本の石油のほぼ100%が輸入であることを考慮すると、エネルギーまで含めて考えると食料自給率はひとケタなのではないかと僕は推測してます。こんな心もとない食料事情にもかかわらず、会津でも離農する人や耕作放棄地が増えています。豊作だと農産物の価格が下がり「豊作貧乏」という言葉もあるぐらいですが、生産者も消費者も五穀豊穣(五穀に限らず農産物全般ですが)を共に祝えるような社会にするにはどうすればよいか、皆様と一緒に考えていけたらなあと思っています。
それからエネルギーについても。菜種の焙煎と蒸すための蒸気ボイラーは、平出方式を引き継ぎ薪(廃材)を燃料にしますが、薪ボイラーはスイッチでのオンオフではないため蒸さないときも蒸気が出ているのでそれを利用しての発電や、つぎたし使える平出方式の菜種油では廃食油があまり出ないのですが少しは出る(ウチでは長く使っていて色が濃くなってくるとたまに交換していた。今は節約。)のでバイオディーゼル燃料にしたりと、自力他力を含めて会津産の再生可能エネルギー100%を目指したいという夢もあります。
菜の花ごしに臨む飯豊連峰(いいでれんぽう) ウチの近隣では、昔、菜の花を栽培していた名残りで、こぼれ種から勝手に菜の花が咲く農地が点々とある
将来的には会津産のナタネを原料に使いたい
クラウドファンディングが成功し、施設の準備も順調にいったとしても、原料の菜種がどの程度確保できるか、スタッフを確保してトレーニングし製造体制が確立するまでどの程度かかるか、製造コストがどのようになるか、などなど実際に始めてみないとわからないことが沢山あります。しかし、原料の菜種価格、ビンなどの資材もここ数年値上がりしていること、油屋専業だった平出さんとは事情が異なり、私自身が豆腐屋との掛け持ちなので、十分な製造力を持つためにはスタッフの雇用は不可欠であることなどから、販売価格が平出さんの時よりも高くなる可能性が大です。豆腐屋である私自身もそうなのですが、個人事業の場合(小さな会社の経営者もそうかもしれません)、自分が無理をして長時間頑張っても人件費は増えません(疲れは増えます)。しかし、人を雇って仕事をお願いする場合は、労働法規に従って労働時間などの制限や残業手当その他の規則を守らなくてはなりませんので、人件費が増えるのはほぼ確実です。
油搾り50年以上の平出さんにお伺いしたところ、私(や未来のスタッフ)が油搾りに関しては若葉マークであるということを考慮すると、1日あたりの最大製造量は一斗缶4本程度(一升瓶換算40本程度)だろうということです。その後和紙でろ過したり、ビン詰め、ラベル貼りまで、搾油1回に足掛け3日はかかると思います。首尾よく、すぐにやる気のある人材に恵まれたとしても、当分の間は私が中心にならざるを得ず、月に1回程度の搾油が限度と思われます。もちろんオープン後しばらくは豆腐屋の仕事を減らす、というか休んで頑張るとしても、いつまでもそういうわけにはいきません。スタッフが仕事に習熟し、ある程度任せられるような段階に入れば、徐々に増産が可能になります。
当面、一定数の予約が入れば油を搾るという方式をとる予定です。もちろん、クラウドファンディングを支援していただいた方々には優先的に販売いたしますが、大口需要(一斗缶単位の購入)の事業者の皆様のご希望にお応えできるようになるには、時間がかかることご理解していただいた上で、ご支援いただければ幸いです。
謝辞 このページの平出油屋関係の写真は食堂つきとおひさまの五十嵐加奈子さんとBaku Tableの山門夢実さんから提供を受けました。また、修行動画の撮影は嶋村俊光さんによるものです。ページのデザインは食堂つきとおひさまの五十嵐恵太さんにお願いしました。
ご協力ありがとうございました。
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