2022年をもって、文藝會は創部45周年を迎えました。
当サイトは2022年に所属部員より「部誌のキャパシティを超える長編作品の掲載が行える環境の設立」並びに「過去に文藝會の所属部員であったOBOGと、作品を通して交流する機会を持ちたい」との要望を受けて設立されたものです。
意見を臆することなく出せる者がいて、形にすることが出来るノウハウを持った者がいて、希望への実現に導く。この一連の流れは、何度体験しても無上の達成感を覚えるものです。
さて、45代目の文藝會部長として、物を書く人間として考え続けることは一貫して「文学の価値」であります。
漫画、動画、ゲーム、その他大量にこの世に存在する趣味の数々......。
程度の差はあれ、これらはほどんど「手軽に楽しめる」「時間をかけなくても良い」ものです。
この中に文学が入り込む余地はもうありませんし、たとい文学が入ったとして、太刀打ちできるほどのものでしょうか。
文壇を中心とする文学の界隈は、わたしからすれば前後不覚に陥り、真に認められるべき前衛的な、あるいは唯一性を秘めた物書きを排して自身が「世評においては認められた作家先生」という肩書に拘泥しているように見えてなりません。
事実、何年も文筆業をしているのにもかかわらず「芥川賞作家」という肩書がついて離れない者が存在していることがその証左です。
実際、文学賞の類は、ある程度受賞傾向が浮き彫りとなっており、人々はこの傾向に沿うように作品を書くようになりました。たった一部の秀作を除けば、現代日本文学は選考委員や特定勢力の気を良くさせるだけの、謂わば義務教育の作文課題の程度にまで落下しています。
選考委員の趣味や好悪で決まるのならまだしも、時世の価値観に適応しているというような刹那主義的な理由で受賞してしまっている現状があります。これをわたしはしばしば「文学の自殺」と呼んでいます。昨今の出版事情を示す統計や、文学に対する多くの人々の認識の変化という歴史的堆積を経て、人間が持っている細やかな糸で織られた琴線に静かに降りる暖かな雫のような文章は排斥され、他の技術で十分すぎるほど再現可能な「文章表現のみで紡がれる必要のない」作品が世に幅を利かせています。
当時は最新鋭の価値観でも、それが遍く読者に受容されるものとは限りません。加えて時が経てばその価値観は錆び付き、陳腐な思想を見せびらかした文字列と化します。こうなれば誰もそんな作品をありがたがりません。
しかし「受け入れられない物」を受け入れさせようとして現代文壇がとってきた態度は「受容できない人間は時代遅れのソレ」というレッテルを貼ることに終始しました。その結果、読者の反感を買い、誰も読まれないうえそっぽさえ向かれるようにまでなりました。
個人の価値観の一つも強震させることのできない言語芸術に、何の希望が見出せましょう?
このような醜態が許可もなくわたしの下に送り付けられ、それを見せられるにつけ、何度筆を折って文学を断とうとしたか分かりません。
明言いたしましょう。わたしは文学創作を行う身でありながら、現代文学の立ち位置と存在価値には非常に不信感を持つ人間です。
一言で言えば済むようなことが何万字にもわたって延長されることが本当に文学として存在するに値するものなのか。
真に言語に起こすべき物事や思惟を見て見ぬふりをするのが物書きとしての態度なのか。
わたしが文学を書く決意を固めてから五年が経ちましたが、その傾向が転回される風は吹くべくもありません。
革新を謳いながら、文壇とその信奉者がやっていることは、彼らが最も忌み嫌う既得権益の汁を吸って絶頂する人種たちと何も変わらないからです。
Sturm und Drangというものがあります。18世紀のドイツにおいて、ゲーテやシラーといった文学者たちが、当時蔓延っていた文学の物差しに異議を唱え、作品を発表することでもって、当時の文学に革新と希望をもたらしたのです。
わたしが文学を書く動機の一つは、こうした革新的な文学運動が再び引き起こされ、たゆまぬ熱意によってこの窮状を転回することにあります。
このサイトは上にも記した通り、文藝會に与した人々の交流の機会を持つために作られています。しかしわたし個人の感情を言うのであれば、文藝會が新時代のあけぼのを示す文学作品を、実作者として作品を書いて生きていられるうちに見せたい、あるいは見たいのです。
文藝會に栄光あれかし。
2022年 間宮久作
文藝會公式サイト、設立おめでとうございます。
発案者の白井御飯です。
このサイトが出来る発端となったのは、お恥ずかしながら私の無茶苦茶な思いつきでした。
現在文藝會では、秋に開催される学祭で販売する部誌に寄稿する作品の執筆が主な執筆活動となっています。
しかし、部誌には諸事情ありまして、あまり長い作品を寄稿することができません。
ですが、執筆活動を続けていく上で、どうしても短編におさまらない作品や、ことによってはシリーズ作品を執筆したい機会というのはどうしても出てきます。
それで、私は唐突に思いついたのです。
「シリーズものや長編がいくらでも載せられる、文藝會専用のサイトがあればいいんじゃないか?」
と。
サイトをひとつ作るのには、とてつもない労力を要します。
どう考えても無茶振りだよなあ、とは思いつつ、それでも言うだけならただ、と、私は当時の文藝會部長であった間宮久作先生に、相談を持ちかけてみました。
その結果が、皆さんが見てくださっている、コレ、です。
まさか、本当に実現できるとは思っていませんでした。
これも偏に、私の思いつきを真摯に受け止め、実現に向けて動いてくださった、間宮先生のおかげです。
感謝しても、し尽くせるものではありません。
今年で、文藝會は45周年を迎えるそうです。
この大事な節目の年に、記念になるようなプロジェクトに関わることが出来たこと(本当に、ほんの一端ではありますが)を、心から誇りに思います。
この幸運と奇跡に最大限の感謝を込めて。
このサイトでの出会いが、ここにたどり着いてくださった皆様にとって、少しでもハッピーなものであることを祈ります。
2022年 白井御飯