4.多彩なイベント活動

多彩なイベント活動

 大舞台での演奏は「ジャズを聞きに来たジャズ好きのお客様」向けですが、ブルビギの活動はそればかりではありません。むしろ「ジャズを初めて聞く」お客様を前にしての演奏の方が、圧倒的に多かったようです。

 ブルビギが知名度を上げる以前、今から15~6年前は、年間数回のステージでした。しかし、近年、ブルビギが近隣に知れ渡るようになり、2008年は約40のステージをこなしました。年間40というと、ほぼ毎週末、何らかのイベントがあり、出演していたことになります。

 イベントの種類も様々で、保育園児からお年寄りまで、老若男女、幅広くブルビギの演奏を聞いていただいています。お客様の年代層に合わせ、選曲をしステージ構成を考えるので、どこへ行ってもブルビギは好評です。

 ブルビギの演奏を聞きながら、お客様が笑顔になっていくのがステージ上から分かっります。そして、演奏後、「元気をもらいました」「明日からまた頑張れます」という言葉をかけてくれる方も多く、そんなとき、私たちは演奏した喜びをかみしめることができるのです。

 そんな中、いつの頃からか、ブルビギの「追っかけ」ファンが出現し始めした。どこのイベントへ行っても、見ていてくださるお客さま。HPのチェックも入念で、もしかしたらメンバーよりもブルビギに詳しいのではないか、と思われる程の入れ込みようです。

 さて、具体的に、どのようなイベントに出演してきたか、概要を次にまとめてみることにしましょう。

アクアワールド大洗水族館ペンギンさんの前にて

地域のお祭り

 水戸黄門祭りには、毎年出演しています。本町のお祭りでは、毎年「水戸黄門パレード」出発の演奏をしています。毎年招かれる芸能人を、最も良い位置で眺めながら演奏しているのです。

 花火の夕方には、花火に先駆けて、駅前で演奏しています。駅前百貨店の店頭ライブです。さほど広くない店頭は、ブルビギを聞くお客様で、人垣ができてしまい警備員まで出動します。

 また、芸術館広場で催される「サマードリームミュージック」にも毎年出演しています。ブルビギを目当てにくるお客様も多く、我々の演奏時には、お客様の数がふくれあがります。

 その他、つくば市やひたちなか市のお祭り、石岡市の商工祭、里見の祭りなど、水戸市ばかりではなく、各地に招かれて演奏してきました。


水戸芸術館広場の蕎麦まつり

福祉施設/老人福祉施設

 ブルビギの原点は、福祉施設での演奏にあります。

 毎年春の「育心園」での演奏、秋の「愛パーク」での演奏等、障害者施設での演奏が、メンバーの「心」を育てたと言っても過言ではないでしょう。

 健常者であるメンバーにとって、障害者施設は、ある意味別世界です。そこへ演奏に行き障害者と触れ合うことにより、それぞれが心に何かを得たはずです。ブルビギメンバーは、「ボランティア活動」などと言葉に表現する以前に、バリアフリーを身をもって実践していたのでした。

 また、12月には毎年「ナイスハートフェスティバル」(障害者の文化祭)のステージ係として活躍しています。音響機器を扱い慣れているということで依頼され、マイクのセッティング等、発表団体の舞台転換に協力しおります。

 老人ホームからの演奏依頼も多い。各地の老人ホームに招かれ、演奏してきました。老人ホームでは、スタンダードナンバーの他、演歌なども演奏し、少しでもみなさんに喜ばれるよう工夫しています。

水戸市内の老人福祉施設にて

 ブルビギの演奏時間になると、各部屋から続々とお年寄りが集まってきます。車椅子のお年寄り、点滴を下げているお年よりもいらっしゃいます。また、ご家族が遊びに来ていらっしゃる方もいれば、たった一人で電動車椅子を動かしてくる方も。

 しかし、いざ、演奏が始まると、皆一様に、顔がパッと明るくなるのです。本当に不思議な光景です。そして、懐かしの演歌を演奏すれば、涙を流すお年寄りもいらっしゃいます。そんな様子を見ていると、演奏に来て良かったな、と思うと同時に、お年寄りそれぞれの人生に思いを馳せて、胸が一杯になるのでした。

 ブルビギの演奏は、お年寄りに元気をもたらすということで、老人ホームからの依頼は、リピーターが多いのも事実です。

保育園や学校

 ブルビギに卒園生がいるということで、保育園に招かれたことがありました。2才から5才くらいまでの子ども達にジャズが通用するのか、悩んだ結果、寸劇を交えての演奏となりました。悪役のゴリラ面をつけたメンバーが現れたときには、子ども達は本当に怖がって、その後のヒーローの登場に拍手喝采で大盛り上がり。

 演奏後、子ども達と小さなテーブルを囲んで食べた甘いカレーライスの味が、今も忘れられません。

 各中学校や高校の文化祭に招かれて演奏したこともあります。水戸四中は卒業生つながりで招かれました。大子清流高校・大成女子高は、生徒会の招きで演奏しました。いずれの学校においても、メインゲストの扱いで、全校生徒が集まる場で演奏したのです。

 また、鉾田南中には「音楽鑑賞会」ということで招かれ演奏しました。このときは、たくさんの中学生から熱烈なコールを受け、メンバーはまるでテレビアイドルになったような光景でした。

旧舟生小学校校庭

その他のイベント

 その他、単発的なイベントにも、各地から招かれています。例えば「難病フェスタ」。難病に苦しむ方、あるいはそのご家族を支援しようというイベントです。そこにゲストとして招かれました。 難病と向き合う方々に演奏を聞いていただくことによって、少しでも希望を抱いてもらえれば、と楽しいトークも交えての演奏を行いました。集まった方々からは「また明日から頑張っていこうと思いました」という感想をたくさんいただき、一時の心の安らぎを提供できたことを嬉しく思った一日でした。

 また、内閣府主催の「子育てを考える家族・地域のきずなフォーラム茨城大会」に招かれたこともあります。当時の上川陽子内閣府特命少子化担当大臣が講演するということで、会場の文化センターは物々しい警備でした。楽屋の出入りも黒服のSPの監視付き。そんな場面に慣れないメンバーは、緊張しながらステージに上がりました。進行もプロが仕切っているので、秒刻みでカウントされ、アンコールもなし。いつもと勝手は違ったものの、演奏はいつも通り、伸び伸びと行った。最前列で聞いていた大臣からも賞賛の言葉をいただきました。


 地球温暖化を阻止する運動「100万人のキャンドルナイト」に出演依頼されたこともあります。会場となった日立市泉ヶ丘「イトヨの里公園」には、数多くの廃油から作られたキャンドルが用意され、この運動に賛同する多くのボランティアスタッフが活動していました。日が暮れ、キャンドルに灯りが点されると、辺りは幻想的な雰囲気となりました。しかし、この暗がりは、ブルビギにとっては辛い条件だったのです。電気楽器の電源はもらったものの、真っ暗闇の中での演奏。メンバーは暗譜していたけれども、リズム隊は勘で楽器を探って演奏しなければならず、ほとんど手探り状態でした。お客様は、同窓会日立支部の先輩方はじめ、多くの方々で満杯。小さな蝋燭の明かりだけなのに相当数の人々が集まり、何か事故があったら大変なことになったと、後日冷や汗をくことに・・・。


 世界の飢餓を救う活動にも参加しました。ひたちなか市の無二亦寺が信者の方と開催している事業で、年に一回お寺を開放してのイベントを行い、基金を募っています。そのメインゲストとして、ブルビギが招かれました。「寺院の本堂前がステージ」という、前代未聞の演奏。しかし、精一杯の演奏で、集まった方々から何度もアンコールを頂きました。演奏後、アフリカの飢餓地域で出されている給食「小麦粉を焼いたもの」を試食させていただきました。しかし、我々の口には到底合わず、自分たちの「食」の有り難さをかみしめたメンバーでありました。

 

 その他、さまざまなイベントに招かれ演奏活動を行ってきました。どんなイベントにも「全力投入」するのがブルビギのモットーであります。条件のよいステージもあれば、あまり良くないステージもあります。しかし、どんな条件下にあっても、それをうまく利用し、自分たちの音楽を発揮できるステージに変えてしまう力が、ブルービギナーズには育っていきました。それは、たくさんのステージ経験によって培われたものであり、ブルビギの良き伝統となりました。

蝸牛文庫

 前述した様々なイベントは、主催から招かれて演奏したものです。2008年夏、初めて自分達から「演奏させて欲しい」とイベントを企画しました。それが「山間に響くジャズ~蝸牛文庫~」です。

 旧山方町舟生にある「蝸牛文庫」は、本校旧職員が廃校となった舟生小学校を借りて開いたものです。無類の音楽好き・書籍好きの氏が、ここで私財の音源や書籍を村人に開放しています。

 その「蝸牛文庫」で、ブルビギの生のジャズを村の皆様に聞いていただきたい、との思いから、「山間に響くジャズ」コンサートが実現することとなりました。

 舟生分校は、まさしく「山間」にあり、小さな分校です。周りの緑は美しく、真夏ながら緑陰の風は涼やかでした。

 演奏開始時間になると、村の人々がそぞろ集まってきました。椅子に座る方、木陰に座り込む方と、聴き方はさまざま。しかし共通しているのは「生のジャズを聞くのは初めて」ということでした。それでも、耳なじみのあるスタンダードを聞くと、手拍子をして体を揺らしたり、トークに喜んでいただいて、本当に温かで和やかな雰囲気の演奏会となりました。近所で食堂を営むおじいさんは「俺は帰らない、最後まで聴くんだ」と言い張り、仕事が忙しいので帰ってきてほしいというお嫁さんを困らせたという逸話も。

 演奏後、蝸牛文庫の一室で昼食を食べたのですが、そこには村人たちからたくさんの「差し入れ」が届いていました。漬け物・梅干し・キンピラなど、地元の方の心が感じられるものばかりで、胸が熱くなる思いでした。

 ジャズを通して村の人たちと心が触れあえた、本当に心温まるイベントでありました。