1.Blue Beginnersの誕生

音楽倶楽部の前身

 学校の古い資料を掘り起こすと、どうやら昭和の初期に琴、三味線、尺八を愛好するグループがあったと記されています。その後ヴァイオリン、ハーモニカ等の楽器を演奏する倶楽部などもあったようです。いずれも戦前の時代は本格的な形態での楽団は存在しませんでした。(高校を中学と呼び、水戸一高は水戸中学、水戸工業高校は茨城工業学校と呼ばれていた時代)

ブラスバンド部時代

 戦後、野球部の甲子園初出場(昭和38年)が決まり、その時に有志を募りブラスバンド部が結成されました。当時はハワイアンブームで校内にも「リリオ・ハワイアンズ」というバンドのほうが活躍していました。ブラスバンド部の演奏機会は夏の野球応援、入学式、卒業式ぐらいで、のんびりとした部活動だったようです。

ブルービギナーズ誕生

 現在顧問の沼田隆政先生が昭和58年機械科に赴任と同時に顧問に着任しました、当時の練習場所は家庭科被服室で主な部員数は4名でした。演奏形態も吹奏楽にはほど遠く、「これじゃダメ」と部の方針を改変しようと思案していた頃ドラムの叩ける新入生(梅井知弘氏・電気科)が入部してきました。このことにより「リズムセクションを強化するため」のドラムセットやアンプ類の機材充実が図られビッグ・バンドの基礎が出来上がりました。バンド名も「BLUE BEGINNERS」と名付けられブルビギ初代部長の名前をもじり「アッキー寺田&ブルービギナーズ」としました。

昭和40年頃の先輩達 写真のスーザホーンは現在も部室に保管してあります

 年度ごとに部員数も増加し、演奏曲、バンド形態もビッグ・バンドらしくなりましたが演奏機会にはさほど恵まれず年間4~5回のステージでした。それでも毎日「楽しい部活」で今と同様に部員同志は和気藹々(ブルビギ不変の伝統)でした。 

シンボルマークのブルビギ君(植木剛氏デザイン) 

今の部員達は別名「棒人形」と呼んでいます