《実行委員会より》「バーチャル吾妻まつり」を記念して、第1回から今まで吾妻まつりに携わってこられたボランティアであり、まつりの生き字引でもある「高野正子さん」に、貴重な当時の思い出を原稿に起こしていただきました。
1.家族4人でつくばへ「入植」
1979年(昭和54年)千葉市から新治郡桜村吾妻(現つくば市吾妻)の公務員住宅に家族4人で転居して参りました。セイタカアワダチ草があちこちに群生している間々に新築4階建ての公務員住宅が新しい住民を待っているかの様に建っておりました。
夫達がそれぞれの職場、研究所に勤務している間、私達主婦は近くの個人商店で買い物をしたり、荒川沖にあるカスミスーパーまで自転車や車で行ってまとめ買いをしたものでした。
子ども達は吾妻保育所、吾妻幼稚園、吾妻小学校、竹園東中学校に通学しておりました。全ての教育機関は新設でしたからゼロからのスタートでした。特に小学校に於いては、児童数は現在のように多くはなく、各学年毎のクラス数や児童数にばらつきがありましたので、先生方は御苦労されたかと思います。
子ども達にとっては親の転勤に伴い入学する訳ですから、ほとんど顔見知りではありませんでしたが、自宅やクラスが判るとすぐに馴れお友達関係になっていき、日を追うごとに楽しい日々を送っていた様です。
1980年時点の吾妻小と周辺地区(本当に何にもない!)
※画像は国土地理院の空中写真より
準備から片付けまで、手作りのお祭り(パイプ椅子を運ぶ高野さん(右):2011)
2.子供たちにふるさとの思い出を!
そのような中、小学校に通学させていた親達の中から、子ども達がつくばに引っ越して来て良かった!と思えるものを考えてみましょうと7~8名の親達が定期的に集まる様になりました。
当時の吾妻西児童館の職員の方々が大変協力的で、親達の願いを叶えて下さいまして、毎月1回の会議を児童館で行いました。自己紹介、親達の思い、どの様な内容にするのか、出し物はどうするのか、開催はいつ頃にするのか等、やった事のないものへの挑戦でした。
ド素人の手作り、探り乍らの事柄に、皆ドギマギしながらとにかくアイデアを出し合い、時には大人に混じって子ども達の出席もあり、子どもらしい発言が飛び出した事もありました。西児童館は会議でお借りするだけでなく、まつり当日も主におばけ屋敷の会場として使わせていただきました。
3.最初は「吾妻子どもまつり」
第1回目は1981年。「吾妻子どもまつり」として開催されました。
吾妻小と児童館の間の通路を模擬店の会場として使わせていただきました。確か、お店は6~7店だったかと思います。子ども達は自分たちで何を商品にするかを考えました。商品の中で特に記憶に残っているのは「ぬり絵」でした。白画用紙に太マジックで花や自動車、人の顔、果物等の輪郭を描いた「ぬり絵」です。また、母親に教えてもらいながら折り紙を作ったり、スライムを用意したりしていました。子ども達にとってはさながら楽しいお店屋さんごっこでした。
飲み物も用意し、親達が売ったりしました。検便も行い、安全なまつりを心がけました。
おばけ屋敷は児童館内をお借りし、子ども達を怖がらせるため色々と工夫しました。表具屋さんから頂いた障子の紙を破き後方から電球を当て、いかにも怖い音のカセットテープを流したり、壁に笹や竹を飾り、天井からはコンニャクを吊して不気味な部屋にしたりしました。また、ダンボールを利用したお墓をたくさん配置した中に、ジャスコで頂いたマネキンの顔を青白く塗って浴衣を着せたものを置き幽霊に見せかけたりしました。
マネキンは相当くたびれながらも現役です
「吾妻まつり」横断幕も作成しました
4.祭りの開催日
夏休み最初の日曜日をまつり当日としましたが、それは吾妻地域の住民が夏休みに入ると同時に各々実家のある地方に帰ってしまうということが理由です。準備日は前日の土曜日でした。
何年か経過し、子どもだけでなく、大人達も楽しもうと「吾妻まつり」に名称を変えました。
まつりをスタートし、2~3年経った頃、前夜祭もやったらどうかということで前日の土曜日の夜に前夜祭を行いました。当時の教育委員会から「ラスカル」など2~3本の16ミリフィルムを借用し、児童館前や中央公園の芝生上で上映会をしました。上映にあたっては、茎崎第二小学校で16ミリ映写技術資格を取得し、前夜祭に備えました。只、まつり当日に力を注ごうということで、前夜祭は2~3年で止めました。
5.実行委員・スタッフ
最初の頃は子ども達を楽しませてあげたい、思い出になるものを作ろうという一心で7人程でスタートしましたが、徐々に各人の知人や協力者がどんどん参加してくれてかなり盛り上がりました。しかし、そのうち親達も色々と多忙になったり、子どもが卒業する時期になると、私もそろそろ卒業しますと言って、去っていかれた方もおりました。
安全で楽しいまつりを継続するためにはやはりマンパワーは大変重要です。まつりを楽しみにしている子ども達や大人達は大勢おりました。
その後、吾妻小PTAと吾妻中PTAが活動の一環として参加して下さることになりそれが現在も続いております。
4月~7月に7回程度の実行委員会を開催
ブルーシート時代(1994)
安全面からテントに(2018)
まつり倉庫の更新(2013)も、寄付によるものです。
6.ブルーシートからテントへ
模擬店のテントも最初の頃はブルーシートでした。グループ毎にお父さん達が竹とブルーシートでテントを組み立てて下さいました。お父さん達がいてこそ出来上がったものでした。その後、何年か経過し業者さんのテントに変わりました。
実行委員の企画力はすごいもので、いかだ大会、くじ、アトラクション等々の実現化を進めていきました。一方で、企画が盛りだくさんになると経済的にも大変で大金が必要となります。そのため、地域の家庭や、自治会、有志達、また、近隣の企業、事業所にお願いして寄付を頂きました。
まつりの規模が大きくなるにしたがって備品も増えましたが、吾妻小のご厚意で、グランド西側の片隅に現在でもまつり倉庫として置かせて頂いております。
7.おわりに
以上は、今から40年程昔の事で、記憶のうろ覚えのところもあるかと思いますが、お許し下さい。
昨年から新型コロナウィルス感染拡大の為、「まつり」は開催出来ておりませんが、拡大が収まりましたら再会を!!
40年間、メンバーは少しずつ交代しても「吾妻まつり」のポリシーはずっと受け継がれており感謝感謝です。
また、まつり会場でお会いしましょう!(ごみ分別ボランティア「エコレンジャー」と:2012)
特別企画:高野正子、吾妻まつりを語る!
※「特別映像資料(吾妻まつり2012)」もご覧ください。
《実行委員会より》
吾妻まつり2012の資料映像では、実行委員長ほか数名のインタビューが収録されていますが、放映では残念ながらカットされてしまった高野さんのインタビュー映像をここで動画としてお届けします。
また、2017年には、当時のパーソナリティの方が小学生の保護者として吾妻まつり(いかだレース出場)に関わられた縁もあり、ラヂオつくば(FM84.2MHz)の「Wh@t Tsukuba!」のコーナーに出演する機会をいただきました。こちらでも高野さんに対応いただきましたので、当時の音声に簡単な背景画像を付けてお届けします。
映像が長い分、解像度が甘めですがご容赦ください。