大谷 隆 Takashi otani
大谷 隆 Takashi otani
今年の2月頃、自分の子供(虎ちゃん)が重い障害をもって生まれてくるかもしれないということがわかったとき、現実が崩れるような感覚に襲われた。
「この世にはそのような障害の子供が存在する」という知識はあったが、それが自分自身の人生という現実に生じたとき、フィクションのなかにいるような感じになった。
その後、日常生活を継続するために、崩れた現実をもう一度、新しい現実として束ね直す必要があった。それは一般的な意味での「現実といえば、他に想定しようのない、この当たり前の現実」のような盤石さがない現実で、一般常識の通用しない領域が幾分か混じったものだ。
普通の人生では考える必要がない判断とそのための感情や思考が強制的に組み入れられていくフィクションのような現実。世の中から見れば特殊な価値観も多分に含んでいる。僕はその新しい現実を再結束しなければならなかった。
健康や健全という概念が異化されて遠ざかり、幸せと不幸せの同居可能性や生命維持を上回る価値の可能性などが侵入してくる。
結果、その再結束に表現がとても大きな力を持っている、というよりも、表現そのものが再結束なのであり、表現した(再結束された)ものが現実なのだと実感した。
生命の危機のような重大な現実的事象に対して、表現や芸術は「不要不急なもの」「どうしても必要というわけではないもの」と、一般には、言われる。でも、個人的に経験した範囲では、そうではなかった。表現は必要、というよりさらに手前にある前提で、むしろ自明で普遍的だと思っていた「この現実」のほうが、たまたま僕の前で有限で個人的な事物の束を、僕の表現でその都度その瞬間束ねたものに過ぎなかった。
今回の芸術祭では、日常生活において絶対にやらなければならない重大なルーティーンが増えていく状況で、表現を日常のコアに位置づけ直して、生活の心臓にしていくようなこと、それそのものを表現したい。同時に、現実というものの多重性、有限性、人の能動的な関与が組み入れられて成立していく感じを改めて提示したいと思うようになった。
経緯については重い内容になったが、作品自体は子供も読む楽しくて面白い絵本にしたい。虎ちゃんの具体的な病状などに触れるものは考えていない。
僕にとっての日常を綴じていくのに、絵本という形式を採用する理由は、以前から絵本が作りたいという思いもあったし、絵本ならとりあえず受け止められる媒体だとも思えるから。また、僕の家庭では、絵本は毎日毎日、読まれない日、遊ばれない日のない極めて重要かつ必須のモノでもある。
パソコンの前に座ってじっくり制作するといった方法が今は難しい。一方で、日常的にやらざるを得ず、今後も重要になっていくだろう行為としての「メモを取る」ように制作できないだろうか。
そこで「用箋挟(クリップボード)」にメモ用紙を挟んで、そこに書いたテキスト(レタリング)と、日常の景色の写真とで構成する。
テキストが加わるだけで日常の風景が楽しくなるあの感じを出したい。
なお、写真撮影は西村眸さんに協力いただいた。レタリングのもとになる文字は息子のアラタが描いたものをサンプリングして、僕自身が真似て書いた。
絵本の内容は、日常的な風景とする。特別な場所へ行ったり、想定したりするより、自分の現実をもう一度組み直すために、それ自体を描写していきたい。
散歩が好きなので、散歩をテーマにしたい。
また、自宅にいることが多く、日々、自宅を開発したり、探検したりするように生活しているので、それも表現したい。
侮蔑もしくは自嘲としての「自宅警備(引き篭もり)」への親近感がある。「自宅開発」「自宅探索」といった趣き。消極的なだけではないむしろ積極的な自己領域展開活動としての「自宅〇〇」。
以上のようなことを念頭に物語を考えた。
大谷隆 文
西村眸 写真
オリジナル文字 大谷アラタ
撮影ロケーション まるネコ堂およびその周辺
本館1階
おおたにたかし
「まるネコ堂」代表。宇治市出身。企画編集会社、NPO出版部門で勤務ののち独立。生きている時間の大半を考え事に費やしつつ、自分の文章を書きたい人のための編集面談、寄ってたかって本を読む「まるネコ堂ゼミ」など、読む書くことにまつわる仕事をしています。まるネコ堂芸術祭実行委員。