大谷 隆 Takashi otani
大谷 隆 Takashi otani
第4回芸術祭で、5歳の息子「アラタ」が文字に興味をもって書き写しはじめた「平仮名」をサンプリングし、レイアウトして絵本を制作した。今回も引き続き、その「アラタ文字」についての制作を進めました。具体的にはポスターとしての展開で、いくつかのフレーズをポスターにするということを試みています。
自分の子供がたどたどしく書(描)いた文字への愛おしさから始まった制作ですが、家族的な閉じた「親馬鹿」的価値をどうにか普遍的な美や面白さへ繋げないか、といった興味も制作を進めた動機です。
単純に「子どもが書いた文字には味わいがあってよい」といったことに留まらず、一つの新しい表現スタイルの体系を少しずつ構築していきたいと思っています。その構築プロセスに生じるワクワクの可能性自体を提示できればと企図しています。
本来は印刷したポスターを展示すべきですが、デジタル作業の目処が立たないため、「手描きラフ」を展示します。
ポスターという商業印刷物への展開は「一点物」「現物」といった唯一性へ収束するような価値を重視するのではなく、多種のプロセスが介在し、成果物自体が複数性(複製可能)を持っていること、安価で、テクノロジーへの依存を肯定していること、といった、排他的な純粋さではない浸蝕性のある「雑多」なものへの思いも重ねています。
今回、特に平仮名について興味を持ち調べました。永原康史「日本語のデザイン:文字からみる視覚文化史」によれば、「日本の文字はひらがなであり、女手とよばれた文化がその本質」であり、「常に破格に身を置き、くずれ、かしぐ、『たおやめぶり』である」とあります。
現代におけるそれぞれのひらがな(現行仮名)は、明治33年(1900年)の小学校令施行規則でようやく一音一字に統合され、固定されたもので、それ以前は、決まった形や確定的なルールを持たないものだったようです。
同じ音でも字母となる漢字が複数あり、その崩し方の段階でも複数の形を取っていました。現行仮名として採用されなかったそれらの無数の形は変体仮名とされました。
後ろに来る文字によって形を変える連綿(続け字)もまた平仮名の本質で、僕の理解では、平仮名は、本当の形というものがそもそも存在しない、記号としては甚だ不完全で曖昧な体系です。
あえて平仮名の「本当の形」を問えば、元の字母である漢字(真名)としか言いようがない、まさに「仮」であること自体を本質として持った存在なのだと思います。記号でありつつ、絵画的で柔軟な表現性も元々合い持って生まれてきた存在が平仮名なのだと捉えています。
日本語や日本文化、日本製品における、外来物を容易く呑み込んでしまう異常とも言える柔軟性は、ひらがなにも由来しているのかもしれません。
真名と仮名の関係は、子供が描いた本物とそれをサンプリングして再構成(リミックス)した模倣との関係にも似ていると思います。
真であること、本物であることに価値があることを認めつつ、仮であること、コピーであることの魅力もまたあること。それらを排他的に捉えるのではなく並置して複数化してみること。
その上で、仮でありコピーであるからこそ、そこから展開可能な豊かな世界の開けがあることにより多くの賭け金を置いてみたいと思っています。
本館1階
おおたにたかし
「まるネコ堂」代表。宇治市出身。企画編集会社、NPO出版部門で勤務ののち独立。生きている時間の大半を考え事に費やしつつ、自分の文章を書きたい人のための編集面談、寄ってたかって本を読む「まるネコ堂ゼミ」など、読む書くことにまつわる仕事をしています。まるネコ堂芸術祭実行委員。