私のアートについて / 山﨑博満
まずいくつかのもっともよく質問される事柄に答えることから始めます。
私のアートを見た人はたいてい「これらはどうやってつくられているのか」と訊くのですが、いまのところ私の作品はコンピューターのみを使って制作されています。つまり手で描くのではなくMacやWindowsといった機材を使用して私は自分の頭の中にあるイメージを表現しているということです。
次によく尋ねられるのが「どういうきっかけでアートをつくるようになったのか。もともと美術系の学校に行っていたのか」というようなことで、まず後者について答えると、私は美大やそれに類するところの出身ではなくて、独学のアーティストです。
ではいかなる経緯で、いま皆さんが目にしているような作品の数々を生み出すようになったのか。以下にそれを説明します。
詩人T.S.エリオットはかつて「心身の不調が詩的霊感の訪れを助けることもある」と述べましたが、私の場合も創造的精神が胸のうちに芽生えたのは、人生においてもっとも心身共に苦しい時期においてでした。具体的に言うと、二十代の頃に私は原因不明の鋭い痛みをともなう皮膚疾患に罹り、一時期は歩行するのさえ困難なほど体調が悪化していました。そしてその暗い日々において私の心が求めたのが、芸術作品という形でいま自分がいるところとはまったく違った世界をつくり出すということだったのです。
綺麗、明るい、華やか、このような言葉で私の作品が形容されることがよくありますが、それらを聞くと私は、嬉しく思うのと同時に、いつも奇妙な感慨にとらわれます。表面だけ見ればたしかに私のアートはそういった形容にふさわしい雰囲気を持っているけれども、しかし内側の深い部分にあるのは、むしろそれらとは対極にあるような感情だということを作者は知っているからです。
では私は作品をつくるときに綺麗なもの、明るいもの、華やかなものを目指していなかったのかというと、もちろんそんなことはなくて、影の世界にいるからこそ光を求めるというような心境にあったからこそ、こういう作品が出来たと、いまから振り返ると思います。しかし本当のところは、創作の際の真の動機については作者自身にとっても謎としか言いようがありません。自分のアートの成り立ちを他人に説明しようとしても、芸術制作には常に無意識が大きく絡むから、奇術師の種明かしの場合と違って、事はそう簡単には運ばないようです。
私のアートの変遷をたどると、初期の抽象画から最近の具象画へという流れになっていますが、上に述べたようなことは主に抽象画時代の作品について当てはまります。近作においては物語的・ロマンティックな要素がより多く盛り込まれていて、これには幸いにして現在は体調が回復したという事実がいくらか関係しています。興味深いのは、私の近作の鑑賞者の中にクリムトという名前を引き合いに出して感想を語る人が少なからずいるということで、もしあのオーストリアの巨匠の官能的な世界と私の作品に何か相通ずるものがあるとすれば、非常に光栄なことだと思います。
クリムトのことは以前から知っていましたが、しかし私の美術史に関する教養はそれほど深いものではないので、もし現代美術作家として自分をどこかに位置付けるという課題を出されたのなら、途方に暮れてしまうでしょう。しかし網をもう少し広く張って、美術史に限らず文化史全般に目を転じて自分にふさわしい場所を探すならば、幻想の世界においてこそ想像力が開花するタイプの芸術家の系譜に自分も連なっていると言ってよいかもしれません。とりわけ私が親近感を抱くのが文学者たちで、たとえばミヒャエル・エンデの物語や多田智満子の詩やボルヘスの哲学などに通底している、この世ならぬものにこそリアリティを感じるという要素は、自分の血の中にも濃厚にあると思います。
ついでに言うと、私はこれまで美術館めぐりや画廊探訪などはあまりした経験がなくて、美術愛好家としてはいささか失格の気味があるけれども、そのかわりに読書は昔から好きで、これまで少なからぬ量の本を日本語と英語で読んできました。私の表芸は一応ビジュアルアートということになると思いますが、しかしそれと同じくらい詩や文章を書くことにも愛着があり、ペインティングとライティング、この両者は私が芸術表現をする上で相互補完関係にあると言えます。
さらに第三の表現手段として、少し前から写真を撮ることも始めました。被写体は多岐にわたりますが、もっとも特徴的なものとしては数々の花の写真が挙げられると思います。私の写真はただ撮るだけのものではなくて、そこからコンピューターを用いた編集作業がともなうので、ときにはデジタルペインティングとの境界があいまいになりますが、にもかかわらず写真でしか表現できない世界というものがあり、私はそれを大切にしています。
この文章は日本語で書かれているけれども、これは例外的なことで、インターネットなどで広く国内外向けに作品を発表する際には私はいつも英語を使っているから、アーティストとしての自分にとっては英語こそが正式な言葉だという感じがするのですが、しかし二重言語者には利点だけではなく欠点もあって、しばしば私は自分の人格が分裂しているような感覚にとらわれています。そして日本と世界、東洋と西洋が自分の中で常にせめぎ合っているようなこの感覚は、何も私に限らず、現在多くの日本人が大なり小なり経験していることだと思います。このさき私のアートが新たな段階を迎えるなら、この分裂状態をどう乗り越えるかということが主要なテーマになるでしょう。
(2016年1月)
*これは久しい以前、私がまだ現代アートの世界で成功したいと多少は考えていた頃に書かれた短文です。現代アートの世界というのは非常に気取ったところなので、それに合わせようと私もいささか大仰な口調で語っています。長らくこの文章の存在自体を忘れていたのですが、先日ふとしたきっかけで見つけて読んだら、簡にして要を得た自己紹介だと思ったのでここに再録しました。
**ちなみに、私のTOEICスコアは満点に近い950で、英語でも一応自由にコミュニケーションは取れるけれども、やはり愛着が深いのは母国語である日本語です。