2025年1月15日 拙著『AI時代になぜ英語を学ぶのか』にスペリングミスがあるとの指摘をいただきました。ありがとうございます。pp.54-56の「ルパン」です。お恥ずかしい。
(誤) Rupin → (正) Lupin
たしかに執筆中に何か違和感のようなものを感じていたんですよね。でもそのたびに「(確認したから)大丈夫」と心の中でつぶやいていました。今となっては,どこで確認したんだろう?,とは思いますが,覆水盆に返らずですね。ちなみに,これこそまさに本書のテーマの一つですね。英語やフランス語ではLとRは区別していますが,日本語では基本的にラ行になってしまって区別していないので,こういうことになってしまうんですね。日本語にとらわれた日本語話者らしいスペリングミスということになります。m(- _ -)m
2025年1月13日 大修館書店の『英語教育』2月号に拙著『AI時代になぜ英語を学ぶのか』の書評が載りました。この本に関しましては異論もあろうかと思いますが,実際に教壇に立って日々,学生・生徒・児童に接している英語の先生方にはぜひ考えておいて欲しいテーマなので,とても感謝しています。
2025年1月9日 明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。恥ずかしながら,文藝春秋PLUSというYouTube番組に出演いたしました。相変わらず,自分の顔を見るのと自分の声を聞くのは苦行ですね。https://youtu.be/KOPOsTx1lss
2025年12月23日 本日,山崎様(読者の方)より拙著のp.60のA cicada buzzed.「セミが鳴いた」に関して,セミが鳴くときはsingを使う方が普通のようだという情報を頂きました。貴重な情報ありがとうございます。たしかに,GoogleのBooks Ngram Viewerで調べてみますと,singが多く使われているようです。他にもchirpやchorusなんていうのもありました。COCAでもそうでした。SKELLではdeafen(耳を聞こえなくする)の次にbuzzが出てきています。「鳴く」一つとってもなかなか奥が深いです。以前どこかで,英語話者は虫の声をnoiseとして捉えているという説を読んだことがあるのですが,セミにsingやchorusも使えるとなるとnoiseと言ってしまうのは明らかに言いすぎですね。いずれにしても,セミの鳴き声をbuzzとするのかsing/chorusとするのか,chirpとするのかは話し手の捉え方によるのでしょうね。メロディーを感じればsing/chorusでしょうし,感じなければbuzzなのかもしれませんね(どんな時にchirpするのかは不明です)。もしかしたら,関西に多いクマゼミなんかbuzzで,ミンミンゼミやツクツクボウシなんかはsinng/chorusが似合うのかもしれません。これも同じく山崎様からの情報なのですが,大修館書店『英語教育』(August, 2025)の p. 55 に金井さやか氏の<セミの鳴き声>に関する記述があるそうです。ご関心のある方は是非読んでみてください。山崎様,情報提供ありがとうございました。
2025年12月10日 ちょっと驚く記述を見つけました。認知言語学者の中にも以下の引用にあるようなことを主張している人がいるんですね。僕も一応認知言語学者ですが,主張が僕とは全く逆です。多分,ほとんどの認知言語学者は僕に同意してくれると思うのですが,僕はむしろAIがネイティブの発想(=対象言語話者らしい表現)にかなり忠実に翻訳していることに驚くと同時に,認知言語学の重要な主張である用法基盤主義とAIの設計思想との親和性に心を躍らせているくらいです。ただ,心配なのがこの記述を読んだ人がこれを認知言語学のもっとも一般的な主張だと過剰一般化してしまうことです。僕が知る限り,こんな主張をしている認知言語学者は一人もいませんので,仮にいたとしても少数派だと思ってくださいね。以下,引用。
「AIが作成する文は,ネイティブが作成する文としばしば異なる。AIに関係している研究会でこのことを問題にするのは,決まって認知言語学の研究者である。でも,CEFRの「行動中心アプローチ」では言語はコミュニケーションの道具で,「ネイティブを目標にしない」のだから,これで問題はない。つまり,ネイティブと同じような発音をしたり,ネイティブを同じ発想に基づいた文を書いたり,話したりする必要はない。AI翻訳をする場合は,意味が通じるならば,この発想の違いを翻訳に反映する必要はない。要するに自分の言いたいことが相手に伝わり,相手の言っていることが理解できれば良い。CEFRの「行動中心アプローチ」の立場からすると,ネイティブの発想と同じではないからと言ってAIの翻訳を批判するのはお門違いである。」(大木充・小田登志子・岩根久(編)『AIを外国語教育で使わない選択肢はもうない』ひつじ書房,pp.81-82)
ちなみに,僕の主張は,言語をコミュニケーションの道具としてだけしか捉えないのであれば,多くの人が言うように,その仕事はAIにとられてしまう可能性が高いよ,ということです。たしかに,AIを使ったコミュニケーションは完ぺきではありませんが,何しろ手軽なので。そのうち海外旅行先で現地の人からAI片手に日本語で話しかけられるかもしれませんよ。その時何語で返答しますか。問題はあるにしてもAI翻訳は手ごろで便利なんです。その意味で,言語をコミュニケーションの道具と捉えるCEFRの「行動中心アプローチ」を絶対的な教典のようにありがたがるのではなく,むしろ,こちらの方をAI時代に合わせて臨機応変に変えていくという選択肢もあるのではないでしょうか。もちろん,それでも,言語がコミュニケーションの道具として重要な役割を果たすことは今後も変わりませんから,AIを利用してどんどん外国語のコミュニケーション能力を高めていったらいいと思います。せっかく便利な道具ができたのですから。
2025年11月20日 今日は霜月二十日ですね。霜月二十日と言えば,勇気のある子供が独りでしか見られないという栃の木が輝く日(『モチモチの木』)ですが,奇しくも,豆太と同じように小心者の僕が,勇気を振り絞って書いた初の新書が世に出る日となりました。この本を読んで不快に思われる方もいるかもしれませんが,悪意はありませんのでどうかご容赦ください。 それから,この本は多くの研究を土台として書かれていますが,一般書という性質上,参考文献は最小限にとどめております。ご理解いただけますと幸いです。最後に,この本の出版に携わっていただいたすべての方々には心より感謝申し上げます。それから,いつも僕のどうでもよい話に付き合ってくれる家族にも感謝したいと思います。リンク
2025年10月30日 11月20日(木)に文春新書より新刊が出ることになりました。『AI時代になぜ英語を学ぶのか』というタイトルです。なぜ英語を学ぶのか,僕ら日本人は,ちょっと立ち止まってこの問題を真面目に考える時期に来ていると思います。コミュニケーション一辺倒の英語観では見えてこない英語学習の意義について検討していますので,批判もあろうかと思いますが,考えるヒントとなればと思います。リンク
2025年9月12日 10月13日(月)に日本英文学会北海道支部大会(於 北海道大学)において「生成AIと認知言語学との対話—生成AIが照らす言語の姿— 」というタイトルでセミナーを行います。興味がある方は是非いらしてください。リンク
2025年9月12日 10月11日(土)に英語語法文法学会(於 京都外国語大学)でシンポジウムをやります。僕の発表のタイトルは「ネットワークを用いた構文分析―BE V-en to INF構文を例に―」です。学会の性質上あまり理論に偏らないようにしつつ,それでも僕らしさを失わないようにやりたいと思います。興味のある方は是非いらしてください。リンク