〈不在を確かめるために〉より
〈不在を確かめるために〉より
人は小さな喪失体験をいくつ重ねていくのでしょうか。
室内飼いの猫の平均寿命は16歳ぐらいであるといわれています。
でもわたしの猫は10歳を迎えたときに突然倒れて、一日で息を引きとりました。
それでも日々は続くので、わたしは無理やり体を日常にもっていきました。
ところが次第に頭と体のバランスが壊れ、疼きが始まりました。
あまりにも潔く去った猫の「不在」と正しく向き合うことができていないことに
原因があるのではないかと思いました。
わたしは定型の「悲しみ」のループに馴染めていませんでした。
この感情は「悲しみ」といったラベルでよいのだろうか。
そこで、正しく「不在」と向き合うために必要な作業をはじめました。
小さなスケッチを起点に、「ない」ものをないと確かめ、
「あった」ことを追体験していきました。
被写体を求めて作品にするのではなく、目の前を観察していきました。
観察を続けると猫の毛や骨に集中していた関心は猫のいた空間に移り、
意識は時間の流れに移りました。
ですからこれらは作品未満の「何か」なのかもしれません。