日本経済復活の会は2002年に設立された。当時は小泉首相が「痛みに耐えよ」と国民に訴えていた。しかし小泉首相は国民が痛みに耐えたら、ますます需要が減少し、企業の売上げが減少、日本の経済規模が縮小し日本が貧乏になるのは明かだ。実際日本国民はこの恐ろしい提案を素直に受け入れて、みるみる貧乏になってしまった。そもそも国の借金が大変だという考えが根本的に間違っていた。それを示す最良の方法は計量経済学を駆使しシミュレーションをして結果を見せる事だと思った。そこでこの分野で日本の第一人者である宍戸駿太郎先生にご協力をお願いし、快く引き受けて頂いた。そこで私と宍戸先生、さらに協力すると約束して下さった牧野聖修衆議院議員の3名で日本経済復活の会を立ち上げた。

亀井静香衆議院議員から赤坂の料亭に誘われた


2003年2月24日、亀井静香衆議院議員から電話があった。赤坂の料亭「重箱」に来てくれとのこと。そこで筆者と亀井氏に加え川路耕一光陽グループ代表(毎年日本の長者番付で上位にランクイン)と前野徹元東急エージェンシー社長が同席した。亀井氏は「今年の秋の総裁選で自分が総裁になるし、そうならなくても重要ポストに就く。そのとき亀井氏は小野盛司さんを私のブレーンにしたい。」と述べた。