あるきはじめる大学 #ある大
過去実施次第
過去実施次第
(当日ご来場した皆様へ)
ご来場ありがとうございます。以下から感想・質問・意見等お送りすることができます。どしどしお寄せくださいませ。
https://forms.gle/RqPqxCYUMpGCGdj87
日時:2/23(木・休)15:00〜16:30
登壇:
ティーアガルテン(細見和之[Vo./Gt.]、小林哲也[Dr.])
会場:吉田寮食堂
※本企画は「吉田寮での公開イベント開催における感染症対策ガイドライン」に準拠して行われます。
主催:アドソキア
第1部 金時鐘とは誰か?[聞き手:小林、語り手:細見](20分)
演奏「序詩」「遠い日」「政策発表会」(10分)
第2部 細見の体験した80年代学生時代と金時鐘。[同上](20分)
演奏「骨」「予感」「化石の夏」(15分)
第3部 小林と細見のやり取り+会場からの質問(10分)
演奏「夢みたいなこと」「京大からタテ看が消える日」「夢のなかで約束の時間に遅れないように」(15分)
*「夢みたいなこと」までの各曲は、金時鐘の詩に細見が曲を付けた。
どなたでも参加いただけます。
事前登録にご協力ください(下記QR参照)。
https://forms.gle/qUBFbExM3dBLr4Wx6
金時鐘さんは1929年釜山に生まれ、済州島で育ちました。ちょうど日本が朝鮮半島を植民地支配していた時期でしたので、あろうことか「皇国少年」のひとりとして育ち、日本の敗戦に際しては米兵と刺し違える覚悟すらしていたといいます。学校からも朝鮮語が失われてゆくことにもその時点では心を痛めることがありませんでした。
しかし、日本が敗戦した8月の終わり、お父さんが朝鮮語で歌っていた「クレメンタインの歌」が不意に蘇り、そこから朝鮮人へと立ち返ってゆくことになります。「壁に爪を立てるようにして」朝鮮語を学び直したとは、金さんがよく言われていることです。
社会主義を志向する若い活動家のひとりとして、金さんは1948年4月3日にはじまる済州島の四・三事件の渦中を生き、1949年6月6日、命からがら日本に渡ってきます。四・三事件というのは、朝鮮半島の分断を間近に控え、南朝鮮で単独選挙が行われることに抗議して、済州島で蜂起がなされ、米軍を背景に徹底して弾圧された事件です。金さんは7万人が殺されたと言います。当時の済州島の人口は25万人あまりですので、いかにすさまじい弾圧だったかが分かります。現在、具体的に判明している被害者で3万数千に及んでいます(うち1割程度は蜂起した側による殺戮です)。金石範さんの『火山島』はこの出来事を描いた大長編です。
こうして金さんは日本に渡り、ふたたび恨み多い日本語で詩を書くことをはじめました。日本語を生活言語としている日本の二世、三世に語りかけるためです。しかし、第1詩集『地平線』を刊行した1955年、日本の左派の朝鮮人たちはあらためて北朝鮮の指導下に置かれる形で再編され、それに馴染まない金さんは思想悪のサンプルとして批判にさらされてゆきます。組織との厳しい対峙状況の結果、第3詩集『日本風土記Ⅱ』は刊行できなくなり、原稿も散逸してしまいます。1970年に金さんはいっさいの組織から離れることによって、長編詩集『新潟』をようやく出版します。帰国事業が盛んだった1960年にはほぼ原稿が書かれていたとされる作品です。
以後、神戸の湊川高校の夜間部で朝鮮語の教師として教壇に立ち、優れた詩とエッセイを書き続け、1980年の光州事件に際しては『光州詩片』をまとめ、エッセイ集の集成『「在日」のはざまで』(1986年、毎日出版文化賞。現在、平凡社ライブラリー)、集成詩集『原野の詩』(1991年)の刊行のあとも、詩集『失くした季節』(2010年、高見順賞)などを出版され、さらに自伝『朝鮮と日本に生きる』(岩波新書、2015年。大佛次郎賞)を出されています。朝鮮半島が分断されているなかで、「在日こそが統一を生きる」――それが若いころから金さんが一貫して追い求めてきた立場です。また、金さんが四・三事件について公的に語りはじめられたのも50年後の1998年になってからだということも、私たちは忘れてはならないでしょう。
今回の「あるきはじめる大学」第五歩では、この金時鐘さんと大阪文学学校で協働し、かつ氏の著述活動を編纂している細見和之が、金時鐘さんの詩のアレンジ(作曲)したものを演奏します。この演奏とともに、金時鐘さんの作品形成、そして在日コリアンとしての生き方について講義します。日本の植民地支配、およびそれ以降の運動の生き証人である当事者(金時鐘さん)を、帝国の威信をかけ様々な収奪を経て設置された学生寄宿舎(京都大学吉田寮)に迎えることで、わたしたち(大学構成員など)の生活を下支えしている帝国主義/植民地主義的なレガシーを問い直すべく、今回の第五歩が開かれます。大学そして社会を、抑圧のない、より開かれたものにしていくことを、金時鐘さんの言葉とともに、実践的に志向していきませんか。
※本企画は「吉田寮での公開イベント開催における感染症対策ガイドライン」に準拠して行われます。来場される方は、事前登録および会場における感染症対策にご協力ください。
また二週間以内に体調不良が生じた際は、以下の連絡先までご連絡ください。
アドソキアaddsocia@gmail.com
吉田寮コロナ対策特別委員会yosidacovid19@gmail.com
主催:アドソキア
登壇者:
北山エリアを考える府大学生有志の会
吉田寮生(京都大学農学部)
井﨑敦子(市民活動家)
森千香子(同志社大学教授)
入場無料・予約不要
日時:11月20日(日)14:00~16:00 (13:30会場)
場所:京都大学人間・環境学研究科地下大講義室
2020年12月に京都府は「北山エリア整備基本計画」を発表しました。府立植物園の機能を削って商業施設を建てるとか、府立大学の体育館を一万人規模のアリーナにするとか、なんだかすごい話が聞こえてきます。一体なにが起こっているんだろう?
そして、よくよく話を聞いていると、これまで京都大学で起こってきたこととも重なるような……。
本来はみんなのものであるはずの公共財が、一部の企業(資本)の論理によって形を変えられていく。当事者の声を聞かずに少数の人たちがトップダウンで物事を決めていく。現場の経験や知恵が軽視される。こんなことでいいのだろうか。
いま大学で、京都の街で、そして世界中で起こっている様々な問題を、繋がり合った一つの問題として考えたい。そして、どんな社会にしていきたいかみんなで一緒に考えたい。
大学は誰のためのもの? 街は誰のためのもの?
いろいろな人のお話を聞きながら、一緒に考えてみませんか?
主催:アドソキア
共催:NEKKO
共催:JSPS領域開拓プログラム「パンデミックの歴史研究に基づいたポストパンデミックの社会・環境理論の構築」(代表:藤原辰史)
コーディネーター :藤原辰史(人文科学研究所)
ポストコロナの時代、大学と学問はどのようにあるべきでしょうか。今後感染症が蔓延した場合、やはり今回のように活動は制限されるのでしょうか。危機の時代に、私たちは、誰と、何を、どのように学び合うことができるでしょうか。どのような手段で、社会とつながっていくべきでしょうか。今年4月26日に、京都大学で始まった「あるきはじめる大学」は、第二歩目、第三歩目へと向かいたいと思います。はじめての方ももちろん歓迎です。お誘い合わせの上、ご参加くださいませ。お子さん連れも大歓迎です。
サブ・コーディネーター:鷺志緒(理学部・アドソキア代表)
夏の「あるきはじめる大学」で私たちは第二歩、第三歩と足を進めたいと思います。
現在、「ポストコロナ」「ポストコロナの大学」に焦点があたりつつあります。京都大学を含む多くの国立大学法人は、広大なキャンパス用地と莫大な(目減りしているとはいえ!)国家予算を用いて教育・研究・経営を行っています。しかし、いま私たちが経験しているような大学が、大学の唯一のあり方であるとは限りません。
いやむしろ、「大学とは別様に/大学の彼方に、大学がある」という矛盾しているかにみえる判断こそが、大学の本来的な精神を描くのかもしれません。ここで私たちには、大学の歴史を検討する余地が出てきます。第二歩では、小山哲(文学研究科)がロシア支配下のポーランドで生まれた「空飛ぶ大学」という非正規の大学について、第三歩では、大河内泰樹(文学研究科)が大学を「人生の日曜日」と捉えた哲学者ヘーゲルによる「世俗」と「知性」をめぐる思考を報告します。それぞれ別日に行いますが、いずれも大学の精神がいかにありうるかという点でテーマは共通します。そしてその精神の内容は、参加者各位が集い、言葉を交わすことで、初めて経験されるでしょう。
暑い日が続きますが、どうぞお集まりください。
実施形態
対面
※ポスター等においてzoom.usでも配信予定の旨をお知らせしておりましたが、会場の機材の関係により、アーカイブ形式でダイジェストをyoutube等で公開することといたします。
プログラム(途中休憩を挟みます)
18:30-19:30 提起(提題:空とぶ大学——ウクライナ侵攻の時代に学ぶこと)
19:30-20:30 討議(テーマ:ポストコロナの大学を考える)
提起者コメント:小山 哲(文学研究科)
「大学で学ぶ」とは何を意味するのでしょうか? 大学のカリキュラムに沿って授業を受け、単位を揃え、学位を取得することでしょうか? 私たちは何のために「大学で学ぶ」のでしょうか? キャリア形成のために? 企業や官庁で即戦力となる人材となるために? 19世紀末、ロシア支配下のポーランドで「空飛ぶ大学」と呼ばれる学びの場が生まれました。大学への門戸を閉ざされた女性たち、大学の授業に満足できない学生たちが、ロシア帝国の大学の教壇に立てない学者たちと連帯して組織した連続講座です。この伝統は20世紀後半、社会主義体制下の知識人と若者たちに受け継がれ、ポーランドの体制転換の原動力となりました。東ヨーロッパの歴史のなかの経験を手がかりにしながら、大学とは何か、みなさんと共に考えます。
実施形態
対面
※ポスター等においてzoom.usでも配信予定の旨をお知らせしておりましたが、会場の機材の関係により、アーカイブ形式でダイジェストをyoutube等で公開することといたします。
プログラム(途中休憩を挟みます)
18:30-19:30 提起(提題:人生の日曜日——ヘーゲルの大学論)
19:30-20:30 討議(テーマ:ポストコロナの大学を考える)
提起者コメント:大河内泰樹(文学研究科)
大学原論第三歩では、哲学を扱います。実は、「大学」もまた、「真理」や「正義」とならんで哲学者たちが論じてきたテーマのひとつでした。そうして大学を論じた哲学者のひとりであるヘーゲルは、大学を「人生の日曜日」と呼びました。そういわれるとすこし上の世代の方は、かつて大学が「レジャーランド」と呼ばれていた頃のことを思い起こすかもしれません。しかし、ヘーゲルはもちろん大学を(狭い意味で)遊ぶところと考えていたわけではありません。ヘーゲルのこの言葉には、ヘーゲルの時代認識が大きく関係しています。この講義では、この時代認識がこの二一世紀の私たちの時代と無関係ではないことをお話ししたいと思います。むしろ、ヘーゲルが一九世紀に認識していたような時代が、今また繰り返されているといってもいいでしょう。ヘーゲルの時代と大学論を通して、現代がどういう時代なのか、そして大学はそこでどうあるべきなのかを考えてみたいと思います。
日時:2022年4月26日(火)
場所:京都大学百周年記念時計台ホール
時間:18:30―20:30
*感染状況に応じて、オンライン開催に切り替えます。
#藤原辰史(ふじはら・たつし 京都大学人文科学研究所教員) #井崎敦子(いざき・あつこ 雑誌NEKKO編集長) #齊藤ゆずか(さいとう・ゆずか 文学部学生) #中村峻太郎(なかむら・しゅんたろう 文学研究科院生) #学生サークルからのリレー・メッセージ #会場との意見交換 #学生の演奏もあるかも? #一夜限りの教員ユニット「ティーアガルテン(通称TG)」(小林哲也+細見和之)ミニライブ
入学はしたけれど、前向きになれない。課外活動の制限があって思い切ってできない。大学の講義や演習以外で、もっと世界のことを学びたいけれど、どう学べばいいかわらかない。ウクライナへの侵攻やコロナ禍のニュース、残酷な事件を見て、自分の未来を見失いそうになる。もっと、いろんな友だちを作って、いろんな考えを聞きたい。もっと、大学の教員や職員とざっくばらんに話したい。社会人になったけど、学び足りない。若い頃にもっと勉強しておけばよかった。
そんな思いをかかえた方と一緒に、学生や市民の枠を超えて、街と出会い、大学と出会い、世界と出会う「まなびの場」をいっしょに育てていきませんか。大学の本来の意味に戻り、「くらし」と「まなび」が溶け合った大学を一緒に作りませんか。
そのスタートは、京都大学で現代史を研究する藤原辰史が、各所で高く評価されている京都発のおしゃれな自治マガジン「NEKKO」を立ち上げた井崎敦子さんをゲストに、これからの世界はどうなるか、不安の時代に、学びの場は、生活の場は、どうあったらいいのかについて、徹底討論をします。京都大学の学生や院生にも参加してもらい、「くらし」と「まなび」がゆるやかに交錯する「つどいのかたち」を探っていきたいと思います。