関口:朝倉さんの講演の中で特に面白いと思ったのは、情報活用能力を「情報スキル」「情報リテラシー」「デジタルシチズンシップ」と明確に分けていたところです。
朝倉:自分自身がメディアリテラシーを意識しながら、教育の現場で新聞を使ってきました。当初は新聞記事を活用して授業作りをするくらいにしか考えていなかったのですが、徐々に、学校現場に新聞を根付かせ、教育課程の中に位置づけていくには、もっと科学的に考えないといけないと思うようになりました。その際に文科省の「資質・能力の三本柱」である「知識・技能」「思考力・判断力・表現力等」「学びに向かう力・人間性」で整理してみたらどうかと考えるようになりました。新聞活用の実践例を見ていくと、一つ目は新聞を作る授業、二つ目は新聞記事から思考を深める授業、そして三つ目は新聞を比較読みする授業。この三つが基本と思い、意識的に取り組んできました。
関口:「批判的思考力」のような力を育むうえで、授業の中で新聞記事を選ぶ場面があると思います。教材選びの視点から、どのような点を意識していますか。
朝倉:以前は教師が主体の一斉授業が基本だったので、子どもたちの思考を揺さぶるような記事を見つけるという点から授業作りに燃えていました。児童が考えていることに対して、「実はこんな見方もあるんだよ」と、意図的に児童の予想を裏切るような、異なった視点を提示する。新聞に載っているというだけで、子どもたちにとっても説得力がありますから、新しい視点で物事を考える機会を作る流れができました。そうした授業作りは社会科の基本でもあると思います。最近の時代の流れを考えると、子どもたちに主体的に考えさせる方向に変わってきましたし、記事検索もできるようになったので、今後は子どもたち自身がそういう記事を見つけて、多様な記事をもとに議論する授業ができたらいいなと考えています。
関口:最初に子どもたちの思考を揺さぶるようなネタを提供することで、それが触媒になって子どもたちが活性化し、自分たちでいろいろ調べ始める。そこから先生の手を離れて、子どもたち自身がテーマを見つけ、議論しながら学びを深めていく──そういう主体的・対話的で深い学びにつながれば素晴らしいですね。
梶田さんにお聞きします。校閲に必要な感性をどのように培ったのか、ぜひ教えてください。
梶田:新聞社では記事に間違いや問題があった場合は即座にお詫びと訂正を出します。訂正は校閲記者にとって、本当に辛いものです。もちろん、取材した記者本人でないと防げないミスもありますが、「校閲の段階で防げたのではないか」と思うケースもたくさんあり、「あの時の訂正はこういう理由だった」「読者からこういった指摘があった」というような経験の積み重ねで覚えていくところもあります。また、経験を共有することで早めに「これはちょっと怪しい」と気づけるようになり、あらためて調べてみたら誤りが判明、事前に直すことができたということも少なくありません。
関口:朝倉さんにお聞きしたいのですが、「ファクトチェック」や「この情報は本当に正しいのか」といった視点を子どもたちに身につけさせるための近道や良いアイデアがあれば教えてください。
朝倉:「この情報って本当かな」といった感性は、仰る通り経験からしか身につかないと思います。校閲記者の場合でも、新人がいきなり教わってすぐに発揮できるような力ではないので、経験を積み重ねることが必要です。そう考えると、学校現場で子どもたちがそうした力を涵養していくには、やはり継続的な取り組みが欠かせないと思います。例えば、関口さんが現役教員の頃に実践されていた「NIEタイム」のように、新聞記事を毎朝取り上げて、それについてクラスで意見を交わす――そうした取り組みを、日々短時間でも続けていくことが、大事ではないかなと思います。
関口:単なる知識ではなく経験も含めた蓄積によって情報を見極める力が涵養されるのだと思います。「情報の海」とも言われる状況で子どもたちが時には溺れてしまいそうな場面もある中で、どうすれば本当に求めている情報や信頼できる情報にたどり着けるでしょうか。
朝倉:子どもたちが実際の生活の中でどのように情報を得ているのかを、きちんと見ていくことが不可欠です。インターネットなどに情報が溢れる中、新聞は社会の日々の出来事をうまくまとめてあり、かなり信頼できる教材性の高いメディアだということは確かです。物事のいろいろな基礎を学ぶ小学生が新聞を入り口に情報に触れることで、情報の見方というものが養われていきますし、大人になったときに自分で考えることができるようになるのではないかと思います。
この場を共有している皆さんは、学校にいた頃にメディアリテラシーを学んできたわけではないと思います。それでもネットが発展していく中で、それなりに上手に使いこなしている。それはやはり、小学生のころから基本的な倫理観をしっかり学んできたからこそであり、今の小学校現場でも、倫理観など基本的なことをしっかり教えていかなければならないと思います。
関口:視聴者からの質問です。「メディアリテラシーを年間指導計画の中でどう位置づければよいか」という悩みに、朝倉さんからアドバイスをいただけますか。
朝倉:メディアリテラシーに限らず、もっと根源的なことですが、学校現場において、教育課程というのは学校ごとに編成する権利があり、学校としてどのようなカリキュラムをつくるのかということが、まず大前提としてあります。その中に教科の教育もあれば、総合的な学習の時間もある。この総合的な学習の時間の中にメディアリテラシーなども位置づけられていくと思います。校長先生を中心に、学校全体で総合的な学習の時間のカリキュラムをしっかりと整えながら、メディアリテラシーの位置づけを明確にして取り組むことが必要だと思います。
関口:話題が変わりますが、梶田さんから新聞社もしくは校閲記者の立場で教育界に対して何か望むことがあれば、教えていただけたらと思います。
梶田:子ども新聞の制作に携わっていた時に「今は差別表現にあたる言葉がどんどん使われなくなっていて、子どもたちはそうした言葉をそもそも知らない。ならば、新聞があえて教える必要はないのではないか」といった議論が出たことがありました。私はその意見には賛同できない立場です。子どもたちは私たち大人が思っている以上に情報を得る力があるし、素直でとても賢いからこそ、自らネットなどから有象無象の情報を得て、結果的には偏見に満ちているように思える「知識」を無意識に形作ってしまうかもしれません。
自分自身を振り返っても、子どもの頃に学んだことは深く残っていると感じます。このことを踏まえ、この時の議論では「誤った知識を身につけてしまう前に、新聞が正しいことを教えることに意味があるんじゃないか」と話しました。
朝倉さんのお話を聞きながら、ネットとの上手な付き合い方をきちんと教えることは本当に難しいと、あらためて感じました。教育を通じて、子どもたちが誤った知識を身につける前に正しい知識を教えてほしいと思います。この表現・考え方がなぜ良くないのか、といったことを理屈とともに教えてあげてほしいなと思います。
関口:新聞記事は好むと好まざるとにかかわらず、さまざまな情報が飛び込んでくるところが面白いと思います。新聞を読む経験をもっともっと子どもたちにさせたいと強く思っています。多くの情報が集まる場所として、図書館の存在があると思っていますが、梶田さんは小さい頃に図書館には通いましたか。
梶田:子どもの頃はよく図書館に行っていました。今の子どもたちにも、もっと図書館に足を運んでもらいたいなと思っています。何年か前、地方で取材記者をしていた時に、当時の県知事が「図書館は民主主義の砦だ。図書館が充実している自治体は、必ずいい自治体になる」という趣旨のことを述べており、本当にその通りだなと感じます。もちろんネットも、自分の好きな情報を選び取れるという点では図書館と同じかもしれませんが、あとからあとから好きな情報が流れてきます。一方で図書館は、情報が向こうから流れては来ないので、自分で取りに行かなければなりません。その「自分で取りに行く」という体験が、知識の蓄積につながると思います。
関口:朝倉さんからは教育者として、新聞社や新聞界に望むことをお聞かせください。
朝倉:学校現場では、学習のまとめとして「〇〇新聞を作ろう」といった活動が今も続いています。新聞購読数がこれだけ減ってきているにもかかわらず、新聞づくりの活動が長く残っているのは、それだけ「新聞」という概念が学校現場にしっかりなじんでいる証拠だと思います。特に、子ども向けの新聞は小学校で非常に効果的だと感じています。子ども向け新聞がもっと置かれるようになれば、新聞を手に取る子どもたちが増えていくのではないかと思います。
関口:新聞社のプロの方々が、新聞の作り方を子どもたちに伝えてくださることで、子どもたちが「本物の新聞づくり」を体験できるようになればいいなと思います。そして、ぜひ本物の新聞を手に取る子どもたちが一人でも増えて、その良さに触れてもらえたらと思います。ページをめくることで、梶田さんのような校閲記者をはじめ取材記者や整理記者も含めて、多くの人の手で新聞が作られているということを子どもたちに少しでも感じてもらえたらと、そんな思いを持ちながらセッションを締めくくらせていただきます。梶田さん、朝倉さん本日はありがとうございました。