2022年12月18日(BRAVE ADVENTURE 2) 発行済の、新アニメを見て急速にのめりこんだ記録と感想、悲鳴ツイートなどをまとめた本の再録です。(※現在在庫なし)
直接的な表現はありませんがカップリング思想が含まれます。
イベント期間中のみ公開予定。
web版として一部編集しています。(内容に変更はありません)
2022年12月18日(BRAVE ADVENTURE 2) 発行済の、新アニメを見て急速にのめりこんだ記録と感想、悲鳴ツイートなどをまとめた本の再録です。(※現在在庫なし)
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イベント期間中のみ公開予定。
web版として一部編集しています。(内容に変更はありません)
この文章は、令和アニメからダイの大冒険に触れ、めちゃくちゃにされた一個人の感想等を記録したものです。ダイとポップのフジョシが書いているので、そちら方面にやや偏った記述があります。
そもそもこの本を作ろうと思ったきっかけは、実家ジャンルであるドリフェス!のオーケストラコンサートへ行ったことでした。
ドリフェス!とは、”5次元アイドル応援プロジェクト” 簡単に言うと、一ファンである私たちが、ファンとしてアイドルを応援する作品です。
2018年10月の武道館ライブで一つの区切りを迎えたコンテンツなので、今から触れることができるのはアニメしかないのですが、”アイドルとは何か”という問いに真剣に向き合う素晴らしい作品であり、全人類向け作品ですのでぜひ見てください!youtubeで1話が見られます。
区切りを迎えたジャンルであるため、今回のオケコンは久しぶりの大きな公式イベントでした。この4年間、小さなコラボやイベント等がちょこちょこ開催されていたためドリフェス!のことを忘れたわけではなかったのですが、素晴らしいコンサートをきっかけに、改めて思い出を振り返ってみると、楽しかったという感情だけは覚えているのに、細かい出来事などを結構忘れていることに気づきました。ドリフェス!のことが本当に大好きで、この気持ちを石に彫って永遠にしたいと思っていたので、とてもショックでした。ドリフェス!は自分にとって特別な存在だったので…。
ドリフェス!と同じくらい、自分にとって大切な作品になるであろうダイの大冒険のことも、忘れたくないと強く思い、文章という形で残しておこうと思った次第です。
2021年夏、前述の自ジャンル(ドリフェス!)の展開が落ち着いていたため、部屋の掃除・運動・ゲームが旬ジャンルとなっていました。一人で掃除ができず、フォロワーのヨネダさんに度々掃除通話をせがんでいたのですが、その際に「面白いアニメあるよ」とオススメしてもらったのが、ダイの大冒険との出会いでした。
過去の経験からヨネダさんのオススメには信を置いていたのですが、1話を見た際にはそこまでビビ!っと来るものはないな〜と思いました。最近のアニメは1話からヒキが強い作品が多いので、相対的にスロースターターに感じたのかもしれません。
元々アニメを見るのが苦手な上、話数も多いのでのんびり見ようかな…と思っていたところ、ヨネダさんが7話(マァムの想い)までの内容で同人誌を出す!と聞きました。フォロワーの同人誌を読む時には、原作知識を簡単に身につけてから読む!というのが個人的な信条だったので、これを機会にペースアップして視聴しよう!と決意しました。(11月頃)
DQ11の「勇者とは決して諦めない者」というセリフがすごく好きだったので、9話(ひとかけらの勇気)の、ポップがまぞっほに「勇者とは勇気ある者!」と発破をかけられる一連のシーンにとても感じ入りました。(恐らくオマージュなのかな?と思います) 9話は映像自体も素晴らしかったのですが、ポップが仲間のために勇気を振り絞り強大な敵に立ち向かおうとし、その姿に感化されクロコダインが武人としての高潔な精神を取り戻すという、お互いがお互いに影響を与え合う脚本が、自分の好きな作劇だ!!とわかり、以降急速に視聴していくこととなりました。
ダイの大冒険の、特に序盤の話運びがかなり好きで、12話(ふたりのライデイン)でダイとポップのカップリングの自我が目覚めるまでは、主に脚本に関する感想ばかり話していました。ミスリードではありましたが、勇者アバンの行使した正義が、別の側面(ヒュンケル)からみたら暴力であるということをきちんと描いており、紋章という巨大な力に振り回されることになるダイの今後の展開を予期させるものだなと感じました。こういった、その後の展開へのさりげない導線が非常に上手く、すごいなと思います。有り余る才能のせいで、平和になった途端王宮を追われたマトリフの話の後に、ベンガーナでドラゴンを倒したことで民衆に恐れられるダイの姿を描写する流れが、本当に話運びが上手く、そして残酷なので大好きです。同じ、異種族に愛する人を殺された立場なので、ヒュンケルがラーハルト/バランとの対話を試みる役を充てられるのも本当に脚本が上手くて最高!!
21話(マァムの決意)以降、自覚している、あるいは無自覚のヘキに合致した要素が次々に登場して、本当に怖かったです。インターネットで検索していると、「ダイの大冒険でヘキを開拓された」と言及されている人が少なからず散見されるのにも得心がいくというものです…。以下当時のツイートです。
”おしまい”の音聞こえた”
”私が化け物になったら退治してください”
”脳破壊されて記憶ないし身体は疲れています”
おねショタ、人外と人間の差異と摩擦、記憶喪失・精神退行が本当に好きなので、バラン編は視聴しながらずっと怯えていました。なんて恐ろしいコンテンツなんだ…。旧アニ劇場版1作目も良かったですね…。
ちょうど2021年にDO11とDQビルダーズ2をプレイしており、そこでも主人公と相棒の二人に情緒をめちゃくちゃにされていたので、またDQの主人公/相棒にめちゃくちゃにされてる!!!と思いました。
ビルダーズ2はゲームという媒体ならではの体験をすることができる(破壊と創造というテーマとブロックメイキングというシステムが噛み合っている)本当に素晴らしいゲームですので、やったことがない方がもしいらしたら、ぜひプレイしてみてほしいです!みんなで最悪花火を味わおう!!
最新話まで追いついてからは、ヨネダさん・メゴさんの二人と毎週最新話を同時視聴する→該当箇所の原作を読みながら感想を言う、という形で視聴していました。普段原作付きアニメを観る時には、なんとなく観て「良かったな〜」あるいは「イマイチだったな〜」という感想を持つくらいだったのですが、一緒に視聴している二人が、原作からの変更点などのかなり細かい部分まで注視しており、自分でも、それまで気にしたことなかった演出にも注目するようになりました。原作とアニメを比較しながら、それがどういう意図で変更したものなのか推測する楽しみを初めて知りました。
メディアミックス作品において、原作をそのままなぞることが必ずしも正しいことではないと個人的に思っており(その媒体で表現する長所・短所があると思っているので)そういった観点から言うと、73話(炎の中の希望)が一番好きな回です。ハドラーが身を挺してダイとポップを庇うシーンが、縦長で映える漫画でのレイアウトから、横長で映えるように変更されてるところが本当に良いです。
現代の価値観に合わせたスケベ・セクハラ等の表現の削除についても、個人的にはかなり好感を持ちました。全て削るのではなく、原作で否定的もしくは制裁とセットで描かれているところだけを上手く残すことで、こういったセクハラ行為・表現はやってはいけないものなのだと伝えることができるのでは?と思いました。また、全ての表現を削除してしまうと、そのキャラらしさも消えてしまうと思うので…。
外見だけの第一印象だと、少年漫画によくある直情型熱血主人公なのかな?と思っていたのですが、内面は全く違った印象で不思議でした。聡明さを感じ、年齢の割に達観しているようでもあり、それとは逆に、年相応の幼さも感じさせる不思議な少年だなと思いました。
原作と旧アニメからはあまり感じとれない要素だったので、ひとえに種﨑さんの声と演技の印象が大きかったのかなと序盤は思っていたのですが、最終話まで完走した今は、終盤の要素を汲み取った上での演技プランだったのかな?と感じました。旧アニメの藤田さんの演技もワンパクショタで最高ですよね!女性声優さんの少年声が大好きなので喜びました!
ダイが場に合わせて礼儀正しく敬語を使っているシーンが度々あるのですが、ブラスによる教育の片鱗を感じさせてとても好きです。いつか島を出て行く日のことを想定していたのかと思うと…切ない…。
テランでの”人間はおれが人間じゃないと…仲良くしてくれないんだよね”というセリフがダイのセリフの中で一番印象に残っています(というより、呪いのように心にこびり付いている)
夢の中で母親に花輪を作ってあげるような心優しい少年が、世界の命運を背負って最後の戦いの場へ身を投じるという構図がとても辛かったし、竜の騎士の巨大な力を持つ自分が、人間の世では受け入れられない存在だということを自覚しているがために「この地上を去る」と決断したことに心を痛めました。12歳にこんなことを決断させるな…。ダイとレオナは自分のエゴよりも公共の益を優先し、身を削る人だなと感じるので、似た二人だなと思います。(反対にポップとマァムは私情の人だなと感じます)
フレイザード戦後の宴のシーンから続く、クロコダインとバダックの種族という垣根を越えた友情がとても好きなのですが、人間社会にとってのダイという存在もそうあって欲しいと願っています。
師であるアバンから伝授された必殺技のアバンストラッシュを最終戦までずっと使い続けていくことも、個人的には新鮮に感じました。ダイ大の好きなところのひとつです。少年漫画の主人公は、後々自分自身で技を生み出して行く印象があったので、紋章を使いこなす・剣や鞘を手に入れるといった外付け拡張パーツで強化していくのが面白いなと。
私自身はダイ大世代ではないのですが、ダイのことは全く知らなくても、先生のビジュアルとアバンストラッシュのことだけは知っていたので、知名度がすごいなと思います。私が世代だったら絶対に傘でアバンストラッシュやってただろうな…。
魔王を倒した勇者が家庭教師をしているというのが新鮮で驚きましたし、あまりにも早い退場も驚きました。(実際は再登場するわけですが…)前日譚である『勇者アバンと獄炎の魔王』でも描写されているように、知力と創意工夫で道を切り開くクレバーさも格好いいと思います。
主人公であるダイよりも共感しやすい悩みを抱えていること、精神的な葛藤や成長描写が作中で多いことから、読者が感情移入しやすいタイプのキャラクターなのかな?という印象があります。
臆病で勇気がないポップが、どうしてメガンテという自らの命を懸ける行動をとったのか、ずっと理解できず、半年くらい悩んでいたのですが、『ぼくのメジャースプーン(辻村 深月 著)』という作品の舞台を見に行った際に、”誰かが死んで、それで悲しくなって泣いてても、それは結局、その人がいなくなっちゃった自分のことがかわいそうで泣いているんだって。人間は、自分のためにしか涙が出ないんだって”というセリフを聞いて、自分の命をかけるというのは、誰かのためだけじゃない、自己満足の場合もあるのかな?という視点を得ました。自分の命しか差し出せるものを持っていないという自己評価の低さからとった行動、という要素も少しはあるのかな…と。
生来の逃げ癖のある人間が、仲間のために物事に立ち向かうようになった時点で勇気を獲得したと思っていましたが、しるしが光るまでのポップは、無謀と勇気を混同していたようにも思えました。しるしが光ったきっかけは、メルルに言葉として自分の存在を肯定してもらったことが一番の要因であると思いますが、それだけでなく、命を賭して庇われたことで、かつての自分の姿を客観的に見られた側面もあるのではないかと感じていました。
ポップの旅立ちが先に行くダイを追いかけるように始まり、追いかけることに失敗して幕を閉じるという対比構造になっているのが、美しくも残酷だなと思っています。どこへもいかないでほしかったレオナとどこまでも一緒に行きたかったポップ。
当初、マァムのことを視野が広く全体を俯瞰で見られる人(博愛)だと思っていたのですが、物語が進むにつれその印象は誤りで、自分の大切な人全てが等しく大事で一人に肩入れできず選べない人なんだなと思い直しました。ロモス武術大会で覇者の剣を手に入れようとするダイに対し、”実の親子が殺し合うための手助けなんてできない…!!”と止めようとするところに、マァムの優しさと、そして甘さが表れていて、とても好きなシーンです。
ポップからマァム(友愛/恋愛)、アルビナスからハドラー(忠誠心/恋愛)への割り切れない不可分感情について、お互い鏡合わせのような関係性になっているのが美しい構図だと思いますし、恋愛感情じゃない広義の愛を肯定してくれているようで好きです。
ヒュンケルの過去が明かされた時、モンスターに育てられたショタが一作品に二人もいていいんだ!?と驚きました。
ダイの大冒険は、今この話をしている人がなぜ選出されているかの意図がかなりわかりやすいなと感じており、そうしたポジションにヒュンケルがいることが多いのが面白いなと思います。バラン編でヒュンケルが、同じ異種族に愛する人を殺された立場として、ラーハルト/バランと対話する役を充てられているところが、脚本の意図を強く感じて好きです。
近年、真面目クールキャラのガワを被った天然面白男のことが非常に好きなので、そういう意味でもヒュンケルに対する好感度が高いです。使徒五人の中で、一番身内に対しての情が厚い印象があります。
14歳ということを考えるたびに新鮮に驚いてしまいます…人間が…できている!
フレイザード戦後、自らを裁いて欲しいと申告するヒュンケルに対して裁定を下すシーンが本当に好きだし、レオナの魅力が凝縮されている場面だなと思います。私情ではなく社会全体の益を追求できるところは、王族として人の上に立つ資質を有していると思いますし、かといって情のない冷酷な指導者として描写されているわけではないところに親しみを感じます。彼女が年相応にはしゃいでるシーンを見るたびに、世が平和であったなら…と願わずにはいられません。
城を抜け出すおてんばレオナ姫とバダックの番外編読みたいのですが〜!?
えっちな女騎士!!!!!度々股間からのアオリアングルで描写されてるのめちゃくちゃ笑っていました。あまりにもヒロイン。
中盤あたりまで、ヒュンケルと二人で解説役を担当してたのがかわいくて好きでした。バラン戦で地面に倒れながらの解説…腰痛持ちからすると、腰が心配でハラハラしてました…。バルジ島で合流する際に、何の説明もなく流れるような動きでダイがクロコダインの肩に乗るところがめちゃくちゃめちゃくちゃかわいくて一番好きなシーンと言っても過言ではないです…。本当に好きだったので、アニメEDでダイとポップを両肩に乗せた姿を見せてくれたの…LOVEや…になりました。最高すぎ。
ポップに対して言った「たとえ両眼が失われようとおれにはまだ心の目がある おまえがぬぐってくれた心の目がな…!!」というセリフ、すごく良いですよね。主人公のダイが人間と神の創造物のハーフであり、モンスターに育てられたという境遇であることや、ヒュンケル・ラーハルトといった複雑な立場のキャラクターが登場人物に複数いることなどから、ダイの大冒険のテーマの一つとして、出自や属性に拘わらず心の交流をすることが含まれていると感じているのですが、クロコダインがポップを始めとした人間たちのことを認めるというエピソードは、そういう表現の一つなのかもなと思います。
バランに対して、ダイを一個人として認めることなく、自分の付属物あるいは竜の騎士という存在として扱っているようで、そこにほのかな暴力性を感じとっていて、ずっと、許せね~~~~!!という気持ちを持っていたのですが、最近になってようやく、バランも人間一年生みたいな感じだったろうし、仕方ないのかもな…とやや飲み込めるように思えてきました。良くも悪くも不器用すぎる人なのかも。
バランにとってのソアラがダイにとってのポップ、という対象関係になっていると思うので、奇しくも自らの手で憎い人間たちと同じ殺人行為を犯しているのが皮肉だな…と思いました。
界隈の雰囲気的に、ダイが最終話で姿を消すことはなんとなくわかっていたのですが、バーンを倒してそのまま去る!END!だと思っていました。地上に一度帰還するとは予想してなかったし、こんなことされたら、余計に”傷”になるんじゃないですか?と思いました。登場人物もそうですし、我々読者にとっても…。
物語の結末がああいった形の、いわゆるハッピーエンドではない締めだったことこそが、多くの人の心に残り、いつまでも刺さって抜けない棘であり続けている理由のうちのひとつなのかなと感じます。続編を望む声や、最終回後の二次創作を生み出す方が今も多くあることがその表れなのかなとも。
ポップを蹴落とすダイの心情については理解できるけど、心中覚悟(あえて強い言い方をしています)でポップが飛び出したことについて、最終回を見てからしばらく考えていましたが、理解する糸口すら見つけられていない気がします。
作品から受け取った気持ちや感情は、その人個人のものだけだと思っているので、自分のこの消化しきれない気持ちについても、向き合いながら少しずつ咀嚼していたいと思っています。
作品やコンテンツと出会えることは、当たり前ではなく、多くの関わった人の存在もそうですし、タイミングやめぐり合わせのようなものもあると思います。ダイの大冒険という素晴らしい作品と出会えたことにとても感謝しています。
主人公→攻め、人外→攻め、ショタ→どちらとも言えないがめちゃくちゃにされてほしい。助けて〜
すごく気軽な気持ちで見始めたのに助けて〜になってるのコワイですね
人の狂いを気軽な気持ちで覗きに行くなってコト…
助けて〜〜〜!!21話後半ずっと脳がシュワシュワしてたけど、ラストでダイとレオナがお茶会してて脳溶けた…。
助けて!!!!!この展開マズイですよ!!!!見進めると寝られなくなるから寝ます
このアニメ危険ですよ…
こんなん、リアルタイム視聴してたら次の週までに記憶喪失えっち漫画描いてアップロードしてたからリアタイじゃなくてよかった
まずは30話が…って言われてるのにそれより前からこんなんなってるの先が不安すぎる助けて!!
原作、記憶喪失シーンアカチャンすぎる!!!!助けて……
アカチャンの攻めが好きなんだなという性癖が可視化されて本当に怖い 助けて~~~~
ダイがポップに掛ける声優しすぎて怖くなって再生止めた…何?!助けて!
単独行動をして危険な目に遭う仲間に対して叱ったりしない→ダイの性格を考えたらわかる
あまりにも優しい声をかける→????
バランの作ってくれたチャンスを活かして…という提案は圧倒的に正しくて、勇者としての選択は絶対にそうすべきでダイもそれはわかってるからああいう振る舞いをしたと思うんだけど、でも、立ち止まって悲しむ気持ちがダイ個人の本当の気持ちじゃん…
押し殺したその気持ちに寄り添って掬い上げて一緒に泣いてくれるのはポップだけじゃん………愛だよ…
今眉間にしわ寄せながらツイートしております 動悸おさまらねえんだわ
生活が終わるので一日一話までしか見ません………助けて~
もともとおねショタえっちBOOKがかなり好きで、ヘキなんだろうな~という自覚がややあったのですが、自分でフジョシ二次創作をする際にショタに性欲を向けたことが一度たりともなかったので、ヘキってこんなに簡単に曲がるものなんだな~と恐怖を感じています。怖いよ…。どちらかというとショタ攻めの民だったので……。
以前フォロワーと、CPの左右判定の話をした際に「えっちな姿を見たいと思う方を受けにしている」という意見を聞き、「自分にはない・わからない感情だな~」と思っていたのですが、急速に理解が進み、全ての回路が繋がった感じがします。怖いです。
リバ・不定関係に関しても、元々ヘキとして所持してはいたとは思うのですが、いわゆる一次創作の作品で読めたら嬉しいが、二次創作で積極的にリバ関係であるという解釈をしたことがなかったので、なんども"左右がわからなすぎるからカップリング鑑定師になりたい"とツイートしている状況が、自分でも怖かったです。
これまで自分のヘキよりも解釈を優先して二次創作をしてきたので、自分の頭を殴ってくるヘキの圧が強くて本当に怖いです。ダイ大でヘキを開発されたというよりは、潜在的に所持していたヘキに自覚を持つきっかけをもらったという方が正しいのかもしれません。
メギド72というソシャゲのストーリーの中で、男性体をとる者同士(性別のない人外が人の形を取っています)の恋愛感情にも似た親密な関係性について、“特別な仲”と表現しているのですが、ダイとポップに関しても同様のことが言えるなと思っています。カップリングとして見てなくても、全員がわかるでしょ…”特別な仲”だってことは…。 双方向から互いに対する強い感情の矢印(広義の愛)が向いていることは明白な事実だと思います。自分にとって、そういった大切な存在が、今後の人生で現れることってあるのかな…と眩しく感じました。
最高の友達、良い言葉です。