国立健康危機管理研究機構 国立感染症研究所 治療薬開発研究部 室長
「ファージと細菌の攻防から見えてくる絶え間ない進化のサイクル」
ファージは細菌に感染するウイルスです。細菌はファージからの感染を防ぐために、制限修飾系やCRISPR-Casシステムなど、さまざまな防御機構を進化させてきました。一方でファージも、それらの防御を回避するための戦略を巧みに発達させてきました。両者はまさに「絶え間ない挑戦と進化」を繰り広げています。本講演では、この分子レベルでの攻防を、最新の研究成果とともに「どのように発見に至ったか」というプロセスに焦点を当てながら紹介します。
今回ご紹介する成果は、もともと別の目的で行っていた実験中に、「あれ、何かおかしい」という小さな違和感から始まりました。研究の醍醐味は、こうした予想外の現象との出会いにあると思います。こうした「例外」や「違和感」は、実は頻繁に起きているのかもしれません。しかし多くの場合、私たちはそれに気づかずに見過ごしたり、気づいても深く掘り下げずに終えてしまっているのではないでしょうか。日々の基礎実験を丁寧に積み重ねていれば、ちょっとした例外が「異常」として浮かび上がり、やがて「発見」へとつながっていくものだと私は思っています。若い頃に取り組んだ基礎の蓄積は、きっと将来、思いがけない形であなたの力になるはずです。
北島 正章 先生
『ウイルス感染症の下水疫学:学問分野の開拓から社会実装まで』
下水疫学は、下水中に含まれるウイルスなどの病原体を検出し、地域全体の感染状況を把握する比較的新しい研究分野です。人を対象とする従来の疫学調査と異なり、下水には地域住民の排泄物や生活排水が集まるため、個人を検査しなくても、効率的かつ低コストで感染の広がりを捉えることができます。新型コロナウイルス感染症の流行では、症状のない感染者が感染拡大を助長したことが大きな課題となりました。しかし、無症状の人も日常的にウイルスを下水に排出するため、下水を解析すれば受診行動に左右されずに“真の感染状況”を反映できます。この特徴から「下水は嘘をつかない」とよく言われます。さらに、感染者は発症前からウイルスを排出することが知られており、下水中の濃度上昇は流行拡大の先行指標としても注目されています。現在では、いくつかの自治体で下水疫学の実用化が進んでおり、国の事業としても展開が広がっています。本講演では、水中ウイルス研究に学生時代から約 20 年間携わってきた演者の経験をもとに、下水疫学という新たな学問分野の開拓、研究開発と社会実装を両立させる取り組み、そして学際的・国際的な連携やキャリア形成の歩みについて紹介します。