本校の沿革
明治8年 7月15日 上芳養村字馬頭3142番地に本校を設置し、字 中谷2925番地に分教場を設け開校する。22年 大水害により休校。古今未曾有の大水害に見舞われ、被害甚だしく人心競々、出席児童なきをもって本校、分校とも一時閉校する。23年 字日向及び東山2カ所に仮校舎を設けて再び開校する。30年 字中谷2915番地に仮校舎を設けて従来の日向、東山の2カ所で教 育していたものを、この1カ所に集めて教育する。34年 50坪校舎1棟新築。44年上芳養裁縫学校を付設開校する。
大正8年 校歌を制定する。訓導野田政雄作詞。和歌山県師範学校教諭、益山謙吾が作詞の修正並びに作曲。10年 卒業生が瀬戸鉛山村へ1日往復の修学旅行を行う。12年 田辺町大字福路町郵便局敷地に動物園が開設され、尋常4年以上が見学する。14年 創立50周年記念祝賀式。 教育功労者、硲良蔵氏の表彰。職員、死去者の供養、児童一同に記念品の授与。午後音楽会開催、観覧車場外に溢れる。青年の投餅、4時よりは宴会。
昭和4年 天皇陛下紀南行幸奉迎式に参列。4年以上と職員は白浜に出迎える。5年 3年間の工事の末運動場拡張工事終了。6年 2教室を改築。13年 校舎新築及び増改築竣工し落成式を行う。15年 校旗を制定する。20年 児童数560人に達する。空襲激化による疎開児童転入が多いため、机が不足し、田辺第一小学校より50脚借りる。22年 新憲法実施記念式、新制中学校開校式典を挙行。それにより校舎を区切り合併。授業開始。23年 軍司令によりPTAを設立。25年 中学校舎落成。寄り合い所帯が解消される。30年 運動場拡張、新校舎落成式。37年 学校給食開始。38年 集団赤痢により卒業式を延期。卒業証書を卒業生家庭に配布してまわる。43年 明治100年記念事業として校歌碑を建立する。50年 創立100周年記念式典を挙行。
平成元年 校舎建築促進委員会を結成。新校舎建築に向けて第一歩を踏み出す。7年 沢地区に新校舎建設地を造成。11年 新校舎建設工事着工。12年 旧校舎のお別れ式を行う。卒業式は新校舎体育館で行う。13年 上芳養3334番地に新校舎が完成。4月始業式、入学式より使用開始。5月9日には落成式典、及びこけら落としの行事が盛大に挙行される。14年 旧校舎跡地に知的障碍者福祉施設「第二のぞみ園」が完成する。15年 学校下の里道を育友会員が舗装し、通学路として整備する。16年 郵便局前より学校に通じる道に架けられていた橋の改修工事が始まる。田辺市教育委員会から指定された、3年間の教育研究の最終年度に当たり研究発表会を持つ。テーマ「生きてはたらく学力の育成」17年 タイムカプセル(30年前)開封式典を開催する。18年 正門横通路の斜面崩落、里道通学路が一部埋まる。19年 新東郷橋完成、斜面改修工事完了。里道開通。21年 プール建築委員会を結成。新プール建築に向けて第一歩を踏み出す。22年 開校135周年を迎える。23年 台風12号(9月)で、取水緯度と小プール破損。小プールの敷地内移転、新建築が決定。24年 小プールが敷地内に完成。26年 大プールの使用状況を視察。(市議会議員団)27年 里道通学壁面補修。29年 11月23日に上芳養中学校と共に道徳教育研究発表会を開催する。
令和2年 新型コロナウイルス感染症対策として、3月2日~5月31日臨時休校。卒業式、入学式を規模を縮小して行う。5年 5月から新型コロナウイルス感染症が5類へ移行されたことにより、学校生活が通常に戻り始めた。(令和6年3月31日)