意拳とは
太気拳は太平洋戦争中、中国で意拳を修行して帰国した澤井健一先生によって創始された中国憲法です。
意拳は中国で国手と謳われた王郷斎先生によって創始されました。 はじめ、王郷斎先生は半歩遍く天下を制すと称された名人郭雲深先生より形意拳を学びましたが、後にすべての中国拳法の長所のみをまとめた意拳の訓練体型を作り上げることに成功しました。意拳は中国憲法のエッセンスを抽出することに成功した最も優れた拳法という意味で大成拳と呼ばれることもあります。
澤井健一先生
諸説ありますが、1903年生まれとされる日本の武道家です。幼少の頃より、武道に興味を持ちさまざまな武道を修行しました。柔道、剣道、居合道の名人としても知られています。特に柔道では、4段同士の試合の中で5人抜きを達成したことから、それをみていた嘉納治五郎先生より、今後は五段の席に列すと命ぜられ、言い渡しの5段を受けたことは有名なエピソードです。
若い頃に大志を抱いて中国に渡り、軍の作戦を指揮してそれが成功したことにより、以降、軍の仕事をするようになりました。柔道に自信を持っていた澤井先生は、中国のさまざまな武術家と対戦するも引けを取ることはなかったといわれています。そんな中、王郷斎先生というとんでもない名人がいることを知った澤井先生は、王郷斎先生に挑戦するも全く歯が立たず、完敗を喫します。そのことにショックを受けるも、王郷斎先生に入門する事を決意し、日参がかなって弟子入りを認められます。
太平洋戦争終結後、王郷斎先生は家族とともに自害しようとしていた澤井先生を諫め、日本に戻って意拳を広める使命を与えて日本に帰国させます。帰国を前に、澤井先生はご自身の拳法を太気至誠拳法(通称:太気拳)という名で日本で普及する許可を王郷斎先生からいただきました。
帰国後、澤井先生は空手を意識して対空手への対処方法など自分なりの工夫を加え、神宮の森でご自分を慕って集まってくる若者たちに太気拳を教え始めました。
太気拳(正式名称:太気至誠拳法)とは
中国拳法では、套路(とうろ)と呼ばれる方法を中心に稽古を行います。套路(とうろ)とは空手でいう型と同様のものです。太気拳には套路の練習はありません。太気拳は、以下に述べる基本稽古を主とする稽古体系を持っています。
立禅
脚を開いて真っ直ぐ立ちます。このときの歩幅は歩くときの一歩の歩幅と考えてください。後に述べる這いの稽古を進めていくにつれて自ずと歩幅は決まっていくと思います。その後膝をゆるめて腰を落とします。背の高い椅子に腰を下ろすような感じです。その状態で両手を前に差しだし、大木を抱えているような形に両腕を丸めた姿勢をとります。意識の中でも大木を抱えているとイメージしてください。ほんのわずか踵を浮かして、そのままの姿勢で無駄な力を抜いてリラックスして立ち続けます。はじめの内は2~3分も立てればいい方ですが、辛抱強く続けていれば30分、1時間と立てるようになります。
揺り
立禅を解いて、ゆっくり手を下ろしながら落とした腰を上げて一度真っ直ぐ立ちます。その後、片足を前に出して、闘いのスタンスになり再び腰を落とします。体重の乗せ方は後ろ脚に6~7、前足に4~3という感じです。再び両手を前に差し出し両手の平で大木をはさみ、大木を引き抜くイメージで両手だけでなく全身を使って両手を後ろに引きます。あくまでも全身を使って両手を引くのであり、手だけの動きになってはいけません。その後、大木を埋め戻すイメージで再び全身を使って両手を前に差し出します。前に出した足を入れ換えながら、この動作を何回か繰り返します。
揺りは立禅の気分を大事にして立禅の延長としてゆっくり行います。
這い
腰を落として両手を高くかかげ、左右に蛇行しながら、ゆっくり前後に歩く稽古です。5メートルの距離を20分程かけてゆっくり歩くのが理想ですが、そこまでゆっくり歩くことはとても難しく、足腰の強さを要求される運動になります。実際には歩いている瞬間、瞬間でバランスがとれていることを確認できる早さであればいいと思います。このような練習を繰り返しながら、徐々に遅くすることを心がけてください。
練り
上半身でさまざまな動きを行いながら、バランスを崩さず前後に歩く訓練です。具体的な闘いの技を訓練するというよりも、身体を粘土のように捏ねることが大切であると、澤井先生はおっしゃいました。練の中では、腕回し練という練習がとても大切な練習として頻繁に練習されています。