ゴッドファーザー, Part I, III 2006 年 5 月 5 日

Blog - Yutaka Yamamoto

はじめに

このブログは日記というより,折々に私山本が感じたことを エッセイにして綴ったものです.あくまで個人的な感想なので, 読まれた方の意見とは異なることも多いでしょうが,それに対して 誹謗中傷(ことに匿名の)などはされないようにお願いします.

ゴッドファーザー, Part I, III

改めて言うまでもない,世評の高い作品である.最近DVDのお蔭で3部作をまとめて 観る機会があった.ここではPart IIを抜いて,IとIIIについて書いてみたい.

Part I: Part I で中でもすごいのは前半の主役のマーロン・ブランド演じるマフィアの大ボスに 代わって,後半の主役の息子のマイケル・コルリオーネを演じるアル・パチーノの存在感 だと思う.秀才のこの子だけは 堅気の道を歩ませたいという父親の願いも空しく,マフィアの抗争の中で次第に血と復讐 の中に身を投じて,やがて組織にとってなくてはならないリーダーになっていくその過程 の中で変貌していく彼の目の色の強さの変わりようが,何とも見事だった.メークも与って 力があったのだろうか.

で,ファミリーの愛と団結を重視しつつ,自分は汚れた行動に手を染めざるを得ないのだが, それを悔いているというより進んで自らの使命と受け止めているという感じが迫ってくる. 確かに犯罪集団の筆頭なのだけれども,この人にとってはそれがすべてなのだと感 じさせる説得力がアル・パチーノの演技力にはある.どこか弱々 しげだった学生時代の彼の眼つきが,父親の仇を討つころから俄然それらしくなってきて, しかも決断力に満ちてくるところなどは見もの.

にもかかわらず,ファミリーを守るためには抗争相手だけでなく身内の裏切りを処分しな ければならなくなってくる.そうすると,守るはずの ファミリー自体もだんだん崩壊してくるわけで,ここいらあたり脚本もなかなかよく 出来ていると思わざるを得ない.守るはずのものを守っているつもりが,いつしか逆の目となっ て自分に振りかかって来るというのは人生でしばしば起こる皮肉でもある.

一見するとマフィア肯定と見做されかねない映画だけれども,それなりの多角的な 視点があるので一本調子にならないよさがあるのだと思う.

Part III: 74年にPartII が 作られてから実に16年ぶりのPart III 完結編となった.Part IIでファミリーを 守るために圧倒的な力と存在感を誇示した2代目のドン,アル・パチーノ扮する マイケルコルリオーネが,今度はファミリーを表社会に認めさせるために,合法的な組織にするため に努力する,しかし周りの状勢はかならずしもそれに味方しない,といった筋になっていきます. これは悲しい,哀しい映画でした.世間では,やれストーリーが分裂しているだの, コッポラの娘が魅力がないだの,PartI, IIであれほど手を焼いたアホのコニー(妹)が ファミリー大事に大変身しているだの,いろいろと欠点をあげつらっているが,私にとっては マイケルの孤独がすべてである.確かにストーリーの展開はちょっと強引だし,ラストのシーンも それほどよいとは思えないし,アル・パチーノのごま塩頭もちょっとかっこよくない. にもかかわらず,ファミリーに一生を捧げたあげくにおそってくる孤独感と虚無の表出は やはり見るものの胸を,少なくとも私の胸を打つ.世評では3部作の中で一番落ちると言われている し,殆ど駄作扱いにする人もいるのだが,なかなかどうして,深い哀感に満ちた見応えのある映画だと 思う.機会があれば観てみられることをお勧めする.

2006 年 5 月 5 日

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