2 歴史写真

戦後、旧会堂は医療拠点として用いられた。

ミッション診療所で横浜教会の一階、焼跡のコンクリートの窓上部から明かりが差し込み、全てベニア板が施され、部屋の中央に三十脚の椅子と小さなオルガン一台が置かれ、四方に厚手の真白な布で仕切られた各入口は、同じ布のカーテンであった。新納(ニイロ)時行〔内科・外科〕長岡二郎〔歯科〕と長谷川・河村看護婦各二名で事務に青年と掃除夫の老人一名で、これらが初めて目にした状態であった。私達の仕事は、包帯やガーゼ、綿を各形に切り、必要に応じて消毒する事であった。診察時間は午前十時より午後六時で患者数六、七十人で休む暇も無い

中西クレテさんの文章より抜粋