教会の歴史
日本バプテスト横浜教会は、1873(明治6)年キリシタン禁制の高札が撤廃された直後の日曜日の3月2日、山手203番の仮住いの地に米国バプテスト宣教師同盟のネーサン・ブラウン、ジョナサン・ゴーブル両宣教師夫妻によって設立されました。数日後、準備されていた本拠地山手75番に移り、宣教活動が始められた日本で二番目のプロテスタント教会です。この教会から、横浜バプテスト神学校(現:関東学院)が生まれ、ブラウン牧師の建てた聖書の印刷所は、夫人のシャーロットが7名の女子教育を行い、捜真学院のはじまりとなりました。
ネサン・ブラウン宣教師 ジョナサン・ゴーブル宣教師
教会設立の契約書
山手から町に伝道するために寿町に建てた会堂は、関東大震災と横浜大空襲で二度焼けましたが、コンクリートの外壁が残ったので、1980(昭和55)までの57年間使用した後、取り壊しました。現在の教会堂は、1981年に献堂し、今に至ります。
戦後、寿町は駐留軍に接収されます。当時の時田信夫牧師は、教会が米国から伝えられたバプテスト教会であることをGHQに伝え、米軍接収地内に教会が存続する許可を得ます。教会は、接収解除まで9年間、カマボコ兵舎に囲まれた状態が続きました。(合わせて歴史写真をご覧下さい。)
旧会堂 現在の会堂