久保田喜美雄(昭和29)
令和4年(2022)8月、自動車部の整備工場の整備責任者(整備主任者)を退きました。
昭和35年(1960)、当時の車検制度の流れから自動車部の整備場を法的に認められた「認証工場」にするあたり、資格を持つ整備責任者(当時は検査主任者と呼称)の選任が必要となり私が適任と言うことで引き受けたことが始まりです。
以後62年、皆様のご支援のもと無事に務められたことに感謝しております。
この間、6名の部長先生10名の監督と接し、自動車正科授業の講師も担当するなど有意義な経験をいたしました。
私の退任後は、併任していた岡島昭英(昭和61)、井上 卓(昭和41)が引き続き指導にあたりますので今後ともご支援をお願いいたします。
今から70年前、昭和28年(1953)の春に早稲田の3連覇をかけた「第3回全日本フィギュア」がありました。3年生でしたが小型4輪車の選手として出場した私のミスで3連覇を逃した悔しい思い出があります。
責任を感じ退部を申し出ましたが、難波部長先生、本郷監督から「退部はならん、何かで自動車部に貢献することを考えろ」とのお言葉を戴きました。
その後車両委員、主務を担当して卒部しましたが、自然の成り行きで整備主任者として自動車部の活動に長年携われたことに奇縁を感じています。
自動車部の創部90周年も間近です。記念誌の発刊なども企画されていると伺っています。これに先立ち、「長く部の活動に携わってきた経験などを含めて記事にして欲しい」との要請がありました。
今までも部誌「前照燈」発刊の折には整備主任者或いは先輩の立場からの寄稿をしていましたが、今回は創部から現在までの事象について先輩諸氏から承ったこと、自身で経験したことなどを一貫して綴ることにしました。
古を語る先輩方も少なくなり私自身も記憶が薄れつつありますので皆様の記憶と異なることがありましたら遠慮無くご教示ください。
自動車部の整備主任として歩んだ62年(目次)