三味線をひき、唄をうたい、門付けをして歩く盲目の女性を瞽女(ごぜ)という。旅先で一夜の宿を請い、雨露をしのぐ。身づくろいをするときには皆、見えない目で持参の鏡に向かったという。
「今度生まれてきたとき目が見えるようにという祈りがあったようです」。昨年、105歳で亡くなった "最後の瞽女" 、小林ハルさんの評伝「光を求めた105歳」(川野楠己著、日本放送協会)に、宿を提供してきた人の談話がある。
生後まもなく失明し、意地の悪い師匠に伴われ、8歳で旅に出た。村人に唄を褒められると、「いい気になりおって」と罰を受けた。食事ひとつにまで、いじめにも似た差別があった。理由をつげられぬまま、夜の山中に置き去りにされたこともある。
「次の世に来るときは虫になってもいいから明るい目をもらってきたいと願っています」。無形文化財、黄綬褒章、吉川英治文化賞をはじめ数々の光彩に包まれた晩年の述懐である。
ハルさんが幾度となく通った、新潟県胎内市から山形県に通じる通称「瞽女街道」は白い雪に覆われているだろう。人生は旅だという。生き惑い、若くして路傍に倒れ伏す人の多さに、旅することのむずかしさを思い知らされた1年もまもなく暮れる。
「いい人と歩けば祭り。悪い人と歩けば修行」。ハルさんの言葉にあった。
2006年12月30日 読売新聞編集手帳