植物学者の牧野富太郎は小学校を中退したあと、学校と名のつく所では学んでいない。49歳で東京帝大の講師となり、77歳で退職するまで肩書きは講師だった。
学識の世評は高くとも学歴のない老講師に、ひと恥かかせる魂胆だろう。野外観察の折、ひとりの学生が枯れ草の根を取り出し、牧野の前に黙って差し出した。名前を当てられるものなら当ててごらん。
学生たちが好奇の目で見つめる中、牧野は草の根をそっと口に含むと、関東地方では見られない南方種のヒルガオの名を静かに告げた。特徴としてその根にはサツマイモに似た甘みのあることを言い添えた。渋谷章「牧野富太郎」に記された挿話である。
生涯に50万点の標本を採集し、1000種の新種を発見した植物分類学の巨人が94歳で死去したのは1957年(昭和32年)の1月18日、今日は没後50年の忌日にあたる。
「学者には学問があれば何も要らない」。冷遇と貧窮の時代にも、そう語っていたという。(中略)
たわむれに詠んだ都々逸が残っている。「草を褥に木の根を枕 花を恋して五十年」。教育というものを煎じ詰めれば、ひと筋に恋する人をつくることかもしれない。
2007年1月18日 読売新聞編集手帳