新規材料設計の実現のためには、材料の構造とダイナミクスを分子論的立場から理解することが必要だと考え、大規模計算を中核とした分子シミュレーションを用いて研究を行っている。高分子材料、生体材料、セラミックス材料などの物性解明に取り組んでいる。
ソフトマター材料に関しては、実材料の複雑な構造をモデル化することが難しく、マクロな実験事実に比べて分子スケールの物性解明が遅れている。ソフトマターは分子が集合して構造や機能を発現することや、階層的な秩序構造を持つことから、その構造や物性を分子レベルからメゾスケールまで幅広く理解する必要がある。そこで、化学・工学・物理・情報などを基盤とした量子化学計算・全原子計算・粗視化計算を用いてマルチスケールにモデリングとシミュレーションを行っている。
省資源・安全性への貢献を目指し、ゴム・プラスチック・ゲル等の高分子材料の高耐久化のために、量子化学計算や粗視化分子動力学法(MD)により構造と物性解明を行っている。(粗視化:特徴的なユニットを一つの球で表す) 独自開発した大規模計算シミュレータ・モデリングプログラムを用い、実験からは解明が困難な、破壊の原因や高強度に必要な構成条件を明らかにしてきた。劣化反応なども明らかにしており、マルチスケールに高分子材料の物性を解明している。実学的要素の強い研究ではあるが、理論的な理解は実験事実に比べて遅れており、高分子化学・物理学などの学理発展にも貢献していく。
*Yuji Higuchi, Keisuke Saito, Takamasa Sakai, Jian Ping Gong, and Momoji Kubo, “Fracture Process of Double-Network Gels by Coarse-Grained Molecular Dynamics Simulation”
Macromolecules 51, 3075–3087 (2018).
生体材料などへの応用が期待されているダブルネットワーク(DN)ゲルは、は粗・密の異なるネットワーク構造を適切に組み合わせることで、高い機械的特性を示す。しかし、ネットワークの構成条件(網目の比率・鎖長・網目構造)が多く、高い機械的特性を示すメカニズムは未解明であった。DNゲル構造のモデリング手法を開発することで、世界で初めて機械的特性の再現に成功した。分子シミュレーションにより、実験では解明困難な、ネットワークの構成条件と機械的特性の関係を解明した。多自由度の中で本質的に重要なパラメータを解明し、分子設計指針に重要なネットワーク構造の条件を得た。本研究以前の分子論的立場からのゲルの物性解明は単純な構造に限られていたが、複雑な網目構造を持つDNゲルへと対象を拡大することに成功した。
*Yuji Higuchi and Momoji Kubo, “Deformation and Fracture Processes of a Lamellar Structure in Polyethylene at the Molecular Level by a Coarse-grained Molecular Dynamics Simulation”
Macromolecules 50, 3690–3702(2017).
*Yuji Higuchi
“Stress Transmitters at the Molecular Level in the Deformation and Fracture Processes of the Lamellar Structure of Polyethylene via Coarse-Grained Molecular Dynamics Simulations”
Macromolecules 52, 6201–6212 (2019).
安全性や省資源の観点から、プラスチック等に用いられる結晶性高分子の機械的特性の向上は重要である。しかし、結晶性高分子は階層的な秩序構造を示し、分子スケールとマクロな物性の相似が単純に成立せず、分子スケールの物性は未解明のことが多い。分子スケールにおける構造と機械的特性の関係性の解明が、機械的特性の向上につながると考え、分子シミュレーションで結晶性高分子の一種であるポリエチレンの破壊プロセスに迫った。
シミュレーションによる先行研究では基礎的な構造(ラメラ構造)や、実験値の再現すらできていなかった。これに対し、独自開発した大規模計算シミュレータを用い、世界に先駆けて基礎構造(ラメラ構造)の作成と機械的特性の再現に成功し、分子スケールにおける破壊プロセスを明らかにした。実験からは解明困難な、高分子鎖末端が欠陥として働くことを解明した。これは劣化現象とも関係していると考えられ、高分子鎖末端の集中を防ぐことの重要性を示唆した。
さらに、分子設計を目指し、高分子特有の分子スケールの構造である「絡み合い」や、「タイ分子」などの、低ひずみ領域と高ひずみ領域での働きを解明した。分子論的立場からの結晶性高分子の機械的特性の解明というブレークスルーとなった。
*Yuji Higuchi, Yuta Hikima, Naoto Kamiuchi, Erica Uehara, Yutaka Oya, Go Yamamoto, and Keita Sakakibara
“Interfacial Delamination between Semicrystalline Polymers and Filler Materials by Coarse-Grained Molecular Dynamics Simulations”
Polymer 333, 128539 (2025).
バンパーなど車の構造材料に用いられているプラスチック・フィラー複合材料は衝撃強度の向上が一つの課題であり、衝撃破壊の現象解明が必須となる。しかし、コントロールパラメータが多く、現象が複雑すぎるため未解明のことが多い。そこで、分子シミュレーションを用いることで、プラスチックとフィラーの界面における相互作用や、高分子の配向性が界面のはく離プロセスに与える影響を明らかにした。経験的な材料設計が多く行われている現状に対し、現象理解に基づく設計指針提案へとつながる成果である。
ライフサイエンスへの貢献を目指し、人工細胞モデルやDNAの構造と物性解明に関して研究を行っている。生体内にはイオンや蛋白質など多くの物質が存在し、現象の理解が困難である。そこで、系を理解するために適切なモデル化が必要と考え、全原子MDと粗視化MDで研究を行っている。人工細胞モデルの水和状態、相分離や大変形プロセスと、DNAの構造転移を明らかにしてきた。
Yuji Higuchi, Takafumi Iwaki, and *Kenichi Yoshikawa, “Confinement causes opposite effects on the folding transition of a single polymer chain depending on its stiffness”
Phys. Rev. E 84, 021924 (2011).
DNAの安定構造・構造転移のダイナミクスは生体機能と密接な関係があり、生体理解や遺伝子治療への応用のためには、そのメカニズム解明と構造の制御は重要な課題である。しかし、生体内にはイオンやたんぱく質など多くの物質が存在し、DNAの構造も複雑である。そこで、統計物理学の立場から少数自由度で系を理解して重要な要素を特定することが必要だと考え、DNAをセミフレキシブル高分子鎖として扱い、分子シミュレーションで構造転移の研究を行った。生体内でDNAは狭い空間に閉じ込められていることから、閉じ込め空間における構造転移を解明した。生体に近い条件における構造転移は生物学的にも意義深く、拘束条件下における高分子の相転移現象を解明したことは物理学的に意義深い。
*Naofumi Shimokawa, Hiroaki Ito, and Yuji Higuchi, “Coarse-grained molecular dynamics simulation for uptake of nanoparticles into a charged lipid vesicle dominated by electrostatic interactions”
Phys. Rev. E 100, 012407 (2019).
*Hiroaki Ito, Yuji Higuchi, and Naofumi Shimokawa
“Coarse-Grained Molecular Dynamics Simulation of Charged Lipid Membranes: Phase Separation and Morphological Dynamics”
Phys. Rev. E 94, 042611 (2016).
生体には電荷を有した分子が多く存在することから電荷の効果が分子集合体の構造形成に重要となる。電荷の効果によるベシクルからディスク状に変形するプロセスや、 ドラッグデリバリーやナノ物質による細胞毒性評価を想定した、粒子のリン脂質ベシクルへの取り込みプロセスへの電荷の効果を解明した。
*Rie Wakabayashi, Rino Imatani, Mutsuhiro Katsuya, Yuji Higuchi, Hiroshi Noguchi, Noriho Kamiya, and Masahiro Goto
“Hydrophobic Immiscibility Controls Self-Sorting or Co-Assembly of Peptide Amphiphiles”
Chem. Commun. 58, 585–588 (2022).
自己組織化プロセス
実験では可視化の難しい両親媒性分子の自己組織化プロセスを解明することで、分子集合体の構造制御を達成できると考えた。実験研究者と協働し、プロセス解明と、構造制御につながる分子構造の違いを明らかにした。
水の構造やダイナミクスは物理・化学から興味深い対象である。さらに、ソフトマター周囲の水分子の動態は、ソフトマターの自己組織化構造、生体材料の生体親和性、細胞の生体機能へ影響するため、水分子の詳細な動態の解明は生体理解や生体材料設計に重要となる。ソフトマター周囲の水分子のダイナミクスを理解するために、規格化した水素結合数を提案した。ソフトマター分子と水分子の単純な近距離相互作用だけではなく、周囲の水分子間相互作用まで考慮する重要性を示している。
*Yuji Higuchi, Yuta Asano, Takuya Kuwahara, and *Mafumi Hishida, “Rotational Dynamics of Water at Phospholipid Bilayer Depending on the Head Groups Studied by Molecular Dynamics Simulations”
Langmuir 37, 5329–5338 (2021).
両親媒性のリン脂質分子は水中で二重膜を形成する。この自己組織化した高次構造はドラッグデリバリーシステムのキャリアなどの生体材料への応用や、細胞モデル系として研究が行われている。細胞膜では帯電した親水基を含むが、電荷が周囲の水分子や、自己組織化した構造に与える影響は未解明であった。分子シミュレーションにより詳細なダイナミクスを解析すると、直観とは全く逆の、水との引力相互作用が強い親水基の方が水を束縛しない「負の水和」状態を明らかにした。親水基への強い水和は、周囲の水分子間の水素結合ネットワークを壊し、水分子を束縛しないことが分かった。脂質分子や水分子だけに着目した研究が多いが、脂質分子と水分子が相互作用しながら決定される動態を解明し、新しい系の理解に成功したと言える。
*Yuji Higuchi, Md Abu Saleh, Takahisa Anada, Masaru Tanaka, and *Mafumi Hishida
“Rotational Dynamics of Water near Osmolytes by Molecular Dynamics Simulations”
J. Phys. Chem. B 128, 5008–5017 (2024).
15種類の低分子(オスモライト)水溶液に対して、新しく提案した規格化した水素結合数は、水分子の回転緩和と相関があることを見出した。さらに、溶質分子と水分子の直接の相互作用だけではなく、その周囲の水分子の水素結合ネットワーク状態の重要性を明らかにした。
セラミックス材料の物性
材料開発の微細化により、原子スケールの「衝撃、応力を考慮した化学反応ダイナミクス」が重要となっているため、量子化学MDと全原子MDを用いて、結晶成長、エッチング、摩擦、摩耗を解明してきた。統計物理と量子化学を融合し、理論モデルにより実験結果と比較可能なマクロな物性値を得ている。