熊野古道 文:長野小学校
熊野古道は熊野三山、熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社へと通じる参詣道の総称です。
いくつかのルートがありその中でも多くの旅人が歩いた道は京都、大阪、和歌山をへて田辺に至る紀伊路、そして田辺から山中に入って、熊野本宮に向かう中辺路です。
人々は「南無阿弥陀仏」を唱え、熊野に詣でると身分や性別に関係なくだれもが現世から救われるということで熊野詣が盛んになったそうです。
熊野三山信仰が高まり、上皇から庶民にいたるまで、切れ目なく行列のできた様子から、蟻の熊野詣と例えられるほど多くの人々でにぎわいました。
熊野古道 長尾坂~潮見峠ルート
平安時代から鎌倉時代にかけての熊野参詣道は、三栖山王子社から上富田町岡の八上王子社に至る岡越えの道を通り、富田川に沿って滝尻王子に向かうルートでした。
しかし、14世紀頃より、富田川沿いよりも近道になる、長尾坂から潮見峠を越えるルートが使われるようになりました。
清姫伝説に登場する捻木(ねじき)からは、田辺湾・白浜を一望できます。
捻木(ねじき) 文:長野小学校
捻木は、熊野古道の捻本峠にそびえる杉の木で、高さ約二十メートル、周囲約六メートルの大木です。
根元には、奈良時代の山岳修業の祖、役の行者の石像が祀られています。
役の行者は、海上を歩き、空を飛ぶ力を待っているといわれ、捻木を守るために祀られています。
参詣者は、この木を道中の目印にしたり、木の下で休息したりしました。
捻木には安珍清姫伝説があり、自分を裏切った安珍を追いかけてきた清姫は、くやしさのあまり大蛇
になってこの杉の木に登り、木を捻じ曲げてしまいました。清姫の恨みは深く、生えかわっても、大き
く枝の捻れた木が生えてくるといわれています。
この捻木から見る景色は、とてもきれいで、田辺市や白浜町を一望できます。
現在は、市指定天然記念物になっています。
聖石 文:長野小学校
長尾坂を進むと聖石があります。長尾坂は急な坂で、熊野詣の旅人が疲れ果ててしまうことが多かったそうです。
聖はこの石に座り、旅人たちに、「熊野はすぐそこ。がんばれ。」と励ましたのです。それを聞いた旅人たちは元気を
取り戻して旅を続けました。この石の近くに今も石垣が残っています。聖の住んでいた小屋の跡だと言われています
徳本上人 文:長野小学校
長尾坂を登ってすぐに、とくほん上人の「南無阿弥陀仏」の石碑があります。
とくほん上人は江戸時代の僧で、厳しい修行をしながら全国を行脚し人々の苦しみを救いました。
「南無阿弥陀仏」の石碑は、徳本上人が巡教した各地に多く建てられています。