先日、中学・高校時代の親友と二人で新宿へ墓参りに行って来た。これまた中学・高校時代の親友で4年前に脳内出血で他界した友の墓だ。学生時代から良く三人で行動した。しばらく会わなくても、ちょっと連絡して会えば、昔とちっとも変わらずに話しがはずむ。友達とはそんなもので、いつだって、いつまで経ってもそんな友情が変わらずに続いて行くものだと思っていた。その友の一人が急死した。墓は新宿御苑の近くにある6階建ての都市型納骨堂だ。洒落たエントランスホールがあり、受付で故人の名前を告げるとICカードを渡してくれる。それを持って指定のフロアーに行き、お参りするのだ。生花もお線香も不要。すべて揃っているので、行って手を合わせて来るだけで墓参りは完了する。
友の遺影に向かって「また来るからな!」と言って、納骨堂をあとにした。・・・4年前は、とてもショックだった。
墓参りに一緒に行った『M』は中学生時代から身体が大きく、柔道が好きで柔道部に所属していた。もちろんケンカも柔道も強かった。大学も柔道で推薦をもらって入ったほどの腕前だ。勉強は三人ともからきしダメだったが、それはそれで人生何とか生き抜いて来れることを、それぞれに実証出来たように思う。亡くなった『H』は、20代で起業し大きな成功を収めた。『M』も今ではビルのオーナーで悠々自適の生活をしている。私はどうかと言えば、「昔から貧乏武術家と言う言葉がある。貧乏は威張れるほどのものでは無いけれど、別に恥ずべきものでは無い。」などと言って、孫を煙に巻いている。
『M』は酒もタバコもやらないが、その分美味しいものが大好きのようだ。前回の墓参りでは帰りに上野池之端にある江戸時代から続く老舗の鰻屋でうな重を『ゴチ』になった。
その『M』曰く、「『H』が創業したての頃、秋葉原に会社があっただろ。あの前にうまいとんかつ屋があるんだよ。オレはもう40年通っているよ。今日は其処へ行こう!これも供養になるだろ。」
続いて「あの店はさあ、昼は午後2時で閉めちゃうから急ごう。」
秋葉原にやっと着いたのが午後1時40分。友は元気な急ぎ足。私は『脊柱管狭窄症』の身分ではあったが、何とか後ろから付いて行った。やっと店に着いたのは1時55分、昼の閉店直前であった。時間内はいつも行列が出来るそうだ。その日は時間もギリギリだったので、私たちの前には一人の紳士だけが静かに待っていた。その紳士が案内されて入店すると、店の人が昼時間の終了を告げる看板を私たちの後ろに置いた。
「此処はね、頼むならロースでもヒレでも特上だよ。」
『M』にそう言われて、私は特上のロースを頼んだ。キャベツもご飯も一回はおかわり無料だそうだ。私はもちろん美味しいものは大好きだが、時間とお金をかけて目的の名店に通うほどの『美食家』ではない。貧乏育ちのせいか、何を食べても結構おいしくいただけてしまう。現役の頃は職場が銀座にあったので、とんかつは銀座井泉に良く食べに行った。亡くなった『H』に誘われて青山のまい泉にも食べに行った事がある。チェーン店のとんかつ和幸も好きだ。地元の八千代市にも支店がある。
しばらくして特上のロースが運ばれて来た。今まで食べたどのとんかつより分厚い出来上がりだ。特製ソースとレモン、からしで口の中へ・・・Muuuoooon@#%&・・・うまいっ!
何とも肉が柔らかく、かと言って柔らか過ぎず適度な歯ごたえがあって肉汁がジューシーなのだ。
早速私は『M』に言った。
「オレが今まで食べたとんかつの中で一番うまい!」
『M』は待ってましたとばかりに「そうだろ、だからオレは40年通ってるんだ。味も40年前と変わってないよ。」
今日は仲良しの友と、今は亡き友を偲んでほのぼのとした1日をゆったりと過ごすことが出来た。日々の雑事に追われる中で、どんどん月日が過ぎて行く。もう新年かと思っているうちに、エッ?もう六月か!今日のように「エイッ!」と気合を入れて墓参りに来ないと何事も実現出来ない。我ながら、情けない話しだ。
私は『美食家』ではないが武術家である関係上、技術には少々うるさい。加藤修三先生のような良い先生の指導を受けるためなら、何時間かかろうがどこまでも通う。下手な太極拳指導者などはすぐ見抜けるし、どんなに費用が安くあがろうとも全く心が動かない。大切な金と時間をドブに捨てるようなことはしない。
美味しいものを食べるために東京から横浜まで足取りも軽く通う人が、こと太極拳になると「横浜は遠すぎて無理。」などとおっしゃる。その程度の思い入れでは、先が思いやられます。・・・・
太極拳を心から愛さなくてはダメなのです。てきとうにやってうまくなろうなんて虫がよすぎる。太極拳を心から愛すれば、太極拳もあなたを愛してくれることでしょう。それが向上につながるのです。
仕事は楽しく、趣味は真剣に取り組みましょう。