9.『太極拳四態』

太極拳に健康運動としての起源は無い。もともとは純然たる武術として生まれている。ただその副産物として健康に益する事が歴史上で実証され、今に至っている。

現代では、その役割は益々大きくなっている。我が国では、2030年には高齢者の増加による病院不足で、凡そ50万人の人が入院出来ないと云う状況が予想されている。加えて今現在、特別養護老人ホームへの待機高齢者は、32万人に及んでいる。その中でも10万人は緊急性を要する人達なのだ。これからは、高齢者は病気になんかなれない世の中だ。

現在日本の太極拳人口は、100万人と推定されている。2013年9月の高齢者推定人口は、65歳以上で3186万人。国民の4人に1人が高齢者の社会になってしまった。この数字から見ると、まだまだ太極拳愛好者人口は少ない。

漁師は『板子一枚下は、地獄。』と言うが、高齢者の健康も同じことが言える。誰しも望んで、介護を受ける状況になるのでは無い。断じて無い!いつまでも元気に普段通りの生活がしたいのだ。これから先、太極拳の担う責任はとても大きいと言える。

さて、本題の『太極拳四態』に入ろう。太極拳をやる人は、おおよそ四つの枠に当てはまる。勿論、見方によっても色々な枠の捉え方は他にも有るだろうが。

まず一つ目は健康グループ。太極拳が好きな人もいれば、あまり興味の無い人もいる。ただ太極拳は健康に良いと云う理由で続けている。週に一度練習に参加して健康維持に努める。順序と定式は覚えたいけれど、年数が経ってはいても1人では中々通して出来ない。套路を通してやる時は回りの人や、先生の動きを見ながら何とか最後まで動く。

こんな感じで太極拳を愛好されている皆さんが一番多いと思う。一番大切にされて然るべきである。

二つ目は真面目な取り組みグループ。先生から指導された事を、きっちりと勉強する。套路も定式もかなり頑張って覚える。ただ、教えられた事に疑問を挟む事はあまり無いし、他でどんな太極拳をやっていようが自分たちの太極拳こそがと信じて疑わない。幸運にも指導者に恵まれ、良い指導を受けられる環境にあれば、順調に実力を伸ばす事が出来る。しかし、そうでない指導者にあたった人の事を考えると、とても悲しくなる。日本人は真面目で勤勉と云う部分が強いから、この人達もかなりの数にのぼるだろう。

三つ目は、向上型のグループ。自分なりに太極拳に対する感性を持っている。指導された事柄に対して、納得すればとことん頑張るが、得心しない事には従わない。自分なりに研究模索する人達。日本人には、高い太極拳感性を持っている人は至極稀だが、そこまで行かなくても、向上型グループは美的感性や技術感性は持っている人が多い。加えて研究熱心だ。良く中国に行って、直接中国人老師から指導を受けるのもこのタイプの人達が多い。ただ問題は、中国人老師がすべて優秀な指導者とは限らないので、良き指導者に巡り会えた人達は幸運と云える。何もかも中国に行けば問題解決とは限らない。なかなか自分の思うように行かないのが、世の常なのだ。多少物が見えて来ると、悩みもその分多くなる筈。謙虚に『千鍛万練』するのが、一番の近道だろう。

さて、四つ目のグループは、指導層グループ。指導層グループは上記のグループの二番目か三番目に属している人達によって構成されている。小は地域の小さなサークルから、大は大組織の運営者まで。ここではっきりさせて置きたいのは、大なれ小なれ組織を運営する運営能力・経営能力と、技術指導能力とは全くの別物と云う事である。優秀な運営能力を持った人間は、技術指導能力と云う点においては、運営能力に比べそれはグッと見劣りする。反対に優秀な技術指導能力のある人達は、経営能力などとは全く無関係な人間が多い。どの業界でもそうだが、最高の職人(技術者)にして、最高の経営者などは存在しない。たとえ、そう云う評判の人が居たとしてもそれは最高の職人では決して無い。技術を極めるとは、きりが無い事なのだ。一流の技術者を目指す人達は死ぬまで気が抜けない。江戸の天才絵師『葛飾北斎』は超一流と云われた晩年になっても、「この歳になっても、猫一匹思うように描けない。」と涙を流したそうだ。

組織の大小はあれ、指導者が道を誤るとその害は組織全体に及び取り返しのつかない事態を招く。葛飾北斎のように、謙虚に高きを目指す姿勢こそが、技術の世界においては最も大切な事柄だ。

迷ったら、

論語の為政第二の『子曰、温故而知新、可以為子矣』「子曰く、故(ふる)きを温(たず)ねて新しきを知れば、以(もっ)て師と為すべし。」

孔子言う、昔得た知識を再びよく考えたずねて、そこから新しい知識を導き出し、古い事実を尋ね究めて、そこから現在将来の新しい道を導き知ることの出来る人であれば、その人を師として仰いでもよろしい。

謙虚に先人達の智慧をお借りしよう。

局長