86.「セトウツミ(友情について語るの巻)」

らんぞうです。

わたくし寒~い冬も雪さえ降らなければ、相変わらず駅まで自転車に乗っておるのですが、少し前までは家を出る時間はまだ暗くて街灯がついていたのですが、最近めっきりとに明るくなってまいりましたよ。

まだまだ顔に当る風は冷え冷えとしていますけれど、それでも少しだけ冷たさが緩んできたような気がします。

一陽来復、春の兆しを感じる今日この頃でございますよ。

で、前回のつぶやきは『心のコントロール法「慈悲の瞑想」が即効で効く!』

『mtta(メッター)」=慈悲=友情!』という内容でありましたけれども、あとで読み返しておりましたところ、書いておきながら申し訳ないのですが、そもそも友情ってなんやろ?と少し疑問に思ってしまったのであります。

ということで、今回は友情についての考察です。

改めて友情といいますと、やはりちょっとハズカシイ感じもありますよね。

まあ友達はいるんですけど・・新橋の飲み友とか・・(やっぱり)。

あるいは太極拳の仲間でも仲の良い方も増えてきておりますよ。

ただここで言う本当の友情(=metta)とは何なのか?と考えてみまするに、どうやら一番重要なポイントは「対等であること」のようでありますな。

仕事でも趣味の世界でも、そこに利害や上下関係が発生すると、そこには真の友情=対等な関係にはならないのですね。

以前ご紹介しました初期仏教のスマナサーラ長老の著書によりますと、本来の慈悲(metta)の意味に最も近い感情というのは、子供~学生時代の友達関係だとありました。

お互いに一緒にいて、いつもくだらないことや楽しいことを共有し、好き勝手なことを言い合って、でも何かあると相手を心配する。

見返り目的や打算があると成り立たない。気の置けない関係。

うーん。言われてみれば確かに学生時代には、そんな感じの楽しい友達がおりましたな。

歳を重ねて世間に擦れてまいりますと、他人を心配しているつもりで、あるいは親切にしているようで、実は教えてあげている、面倒を見てあげているというように、実際は大体が自分本位で自分の方が立場が上なんだからね!という自己承認のアピールだったりして、それを親切という甘いチョコレートでコーティングして見かけを繕っているだけ・・。


例えばかく言うらんぞうめも、悩んでおられる方がいた時には、良かれと思ってZAZENやら本やらをお勧めしたりもしていたのですが、「良かれと思って」という部分をこれまたじーっと「観察」してみますと、実は「こんないい方法を教えてあげるんだからねっ。」というように自己主張と申しますか、少なからず上からの立場での物言いをしておったのではないか?と思い至るのでありますよ。

やれやれ・・無私だとか思いやりとか私心が無いとか、表面上はそう思っていても心の深~いところでは、やっぱりジコチューなのですなぁ。(反省・・)

そんなこんなと思いを巡らしておりましたところ、たまたま我が家の次男坊(大学生)から「こんなオモシロいのがあるから見てみー!?」とススめられたのが、

「セトウツミ」(2017年7月)という映画でございます。

大阪の男子高校生、瀬戸(菅田将暉)と内海(池松壮亮)が放課後に川辺でひたすら会話をし続けるだけのオムニバス的映画です。

ずうーっとくだらない会話をしているだけなのに、不思議な間とツッコミ、切り替えしになぜか目が(耳が)離せなくなりました。

何の意外性もハプニングもなく、小っちゃーいエピソードがたまに入るだけで、ただひたすら暇つぶしの会話を続ける高校二年生2人のお話。

伝わりづらいので映画ネタバレサイト(humhum)から引用(一部改)させてもらいます。

〔第3話 イカクとギタイ〕

いつもの川辺にて・・

「ものすっごい面白い遊びを思い付いた!」「ふしがある選手権!」と言い出した瀬戸。「客観的な観察ができるし、ステップアップできるし、円満な人間関係が築ける!」嫌がる内海に対し「お前はそうやって、すぐめんどくさがる『ふしがある』」と、早速ふしがある選手権を開始。

内海も「瀬戸はアフリカオオコノハズクのようやな。自分よりも弱い相手に対しては体の羽を広げて大きく見せ、強い相手には羽をすぼめて体が細くなる。オマエも鳴山(不良)相手の時には体が細っそくなって「長いものに巻かれる『ふしがある』」とやり返す。

互いになんでも「ふしがある」と語尾につけて罵りあったものの、そろそろ苦しくなり、「ふしがある」の用法がおかしくなってきた頃、背後に不良の鳴山が!

2人ともアフリカオオコノハズクのように体を細っそくした・・。(終わり)

すみません・・・。やっぱり伝わりづらいです(汗)。

まぁこんなどーでもいい会話が続くのですが、それでも落ち込んでいるときは必死で励ましたり、元気付けたり、ちょっと感動したりもするのであります。

これも漫画原作(別冊少年チャンピオン)の実写化なのですが、変身シーンも爆発もゾンビも出てきませんが、ついつい見入ってしまい結局2回も見てしまいましたよ。

馬鹿にしたり、怒ったり、どうでも良いことで盛り上がったり、でも相手のことを実は思いやっている「対等」な関係。

なるほど、学生のころの友達ってくだらなくも楽しく、打算も上下もない、こんな感じだったかもなぁ・・とナイスタイミングで思った次第でありますよ。

すべての人、すべての生き物にこんな気持ちでいることが出来れば、それはそれは幸せな日々過ごせることでありましょうなぁ。

もうすぐ卒業式の季節。 若かりし学生の頃を思い出しながら、今夜は一人で飲むことといたしますよ。

(らんぞう)