82.「ZAZENのツヅキ(ヴィパッサナーのこと)」

らんぞうです。

前回の連続カレーパンによる吹き出物発生の後、『蒙古タンメン中本:チーズの一撃!』に見事にはまった上、先日訪れました中国での連日の豪華中華料理コテコテ油攻撃(1日4食?×4日)により、ついには全身に蕁麻疹というヒサンな状態になりましてございますよ・・・。

これから迎える忘年・新年会の怒涛の嵐を乗り切らんが為、しばしの間は玄米おにぎり+コンビニのサラダチキンというOLのお昼みたいなメニューで、しばし体内浄化をはかる毎日を送ることにいたしました。

体の浄化と一緒に、ヨゴれた心の浄化も図るべく、今回も「ZAZENのススメ,Ⅱ」のつづきでございます。

前回らんぞうがトライしている「ZAZEN」=「ヴィパッサナー(vipassanā)」といわれるものでありますよ!とお伝えいたしました。

今回はもう少しだけ詳しく、ギュウっとコアな感じでお伝えいたします。

※「ヴィパッサナー瞑想」(ウィキペディア)

『ヴィパッサナー瞑想とは、こころのはたらき (名〔みょう〕)と物質(色〔しき〕)を観察することによって、仏教において真理とされる無常・苦・無我を洞察する瞑想である。

ヴィパッサナー(パーリ語: vipassanā)は「観察する」を意味する・・・(一部略)』

ヴィパッサナー(観の瞑想)は、釈迦=ブッダが最終的に悟りを開いた瞑想法であると伝えられます。

原始仏教(ブッダの教え)を頑なに守ろうとした部派がスリランカ、タイ、ミャンマーなどに伝えた仏教を上座部仏教=南伝仏教といいますね。

(昔は学校で小乗仏教と習いました。小乗=侮蔑的表現ということで使われなくなった?)

その上座部仏教の出家者に2500年も前から綿々と伝えられてきたのが、このヴィパッサナーという瞑想法であり、近年になってその技法、瞑想法が在家(一般人)に発信され拡大していったとのことです。

一方、日本に伝わっている仏教瞑想は、空海が伝えた阿字観など、神仏との合一感を目的とする集中型の瞑想(サマタ=三昧)と、或いは皆様お馴染みの禅宗の坐禅がございますね。

もともと日本に伝わった大乗仏教自体が、ブッダが説いた悟り・解脱・真理への到達などの個の完成を目指してはおらず、おおむね死後の救済や現世利益を希求する人々の心の拠り所として拡大していったが故、検証不可能な教え(教義)と題目や念仏、祈祷、などのマントラや呪術的方法論が主となり、一部禅宗に坐禅とういう形で伝わっている以外は、心そのものを対照とする瞑想技法は伝わらなかったのでありますね。

ちなみに中国禅宗の開祖、達磨大師はその出自は謎だそうですが、一説にはヴィパッサナー系の僧侶であったという説もあるようです。

基本、瞑想というと瞑想中に光を見たとか、声が聞こえたとか神サマと一体になったとか、何やらヤバいイメージが強いので、ちょっと違和感があるのですが・・。

その点、ヴィパッサナーはといいますと「観の瞑想」というだけあり、今目の前にある現象(心と体そのものの感覚)を先入観や概念を入れずに、ひたすら観察するトレーニングです。

あやふやな物、在るか無いか分からない事(者)に捕らわれない為の訓練法であり、知らず知らずにココロを不幸にしている「怒り、欲、無知」の対象自体が実は実体がない事、さらにはそれを感じている自分自身の心もカラダも、じいーっと観察をいたしますと、あたかも玉ネギの皮をめくっていくと最後は何もなくなってしまうように、やはり実体がないことを実体験していくメソッドなわけです。

すべては原因と結果の連鎖、日々一刻一秒変化して何一つ留まることはなく、ゆえにココロを縛り付けるものには実体はなく、また自分自身と認識をしているカラダやココロさえ一瞬一瞬に変化していて、皮をすべて剥いてみたら何も無くなってしまったラッキョのように実体がないことを観じること。

もちろん 飲んだくれのらんぞう如き、そんな境地にはほど遠いのですが、それでもイヤな事、イラっとした事があるたび、じぃーっと、その現象とそれを感じている自分のココロを観察しておりますと、面白いようにフワリと心が楽になってまいります。

故に、今まではイヤだなぁ・・と思っていた色々な物事が、実は自分の頭の中で湧き上がった妄想に過ぎない事に気づいてしまいますと、その後はもう大して気にならなくなるのですね。

だから、前回に書いたようになぜか良い出来事ばかりが記憶に残るのでありますよ。

「ここの所ツイてないなぁ」

「老後はどうなる?年金少なーい!」

「東京に地震がおきたらどうしよう・・・」

「月曜の朝はユーウツ、仕事行きたくなーい」

「目覚ましテレビの今日の運勢サイアクだし」

もしこんな悩みが頭をよぎって気持ちが凹んだときは、ちょっと試してみてはいかがでしょうか?らんぞうお奨めの書籍をちょっとだけご紹介しておきます。

アルボムッレ・スマナサーラ『自分を変える気づきの瞑想法』 サンガ出版

地橋秀雄 『ブッダの瞑想法――ヴィパッサナー瞑想の理論と実践』 春秋社

山下良道『青空としてのわたし』 幻冬舎

小池龍之介『「自分」を浄化する坐禅入門』 PHP研究所

さて、昨今「マインドフルネス」というヴィパッサナーをベースにしたココロ管理メソッドがアメリカのIT企業を中心に流行っているという話をいたしました。

ヴィパッサナーの本質である仏教色を払拭して、シャレオツなイメージではありますね。

自分も他の方に初めてお奨めするときは「マインドフルネス」を紹介しているのですが、お奨めしておりながらも・・実はかなり批判的な心持ちでおる話はまた次回!

しつこいようですがZAZENトークはまだ続きますよ!

(らんぞう)