らんぞうです。
夏も終わってそろそろ紅葉の季節ですね。
山合いの木々も赤黄色に色めいてまいりますと学生時代の山登りの記憶が蘇ってまいります。
私らんぞう、好きな食べ物は?と聞かれますと「カレー!」と即答しておりますように、好きな山は?と聞かれると、即座に「甲斐駒ケ岳!」とお答えしております。(あまり聞かれることはありませんが・・)
ということで、今回は山登りのお話にお付き合いくださいませ。
少し前に丹沢の沢登りの話をさせて頂きましたが、大学生になったばかりの若き日の私らんぞう、本格的に山登りをしたいと思いたち、入部したら最後、後輩が出来るまで卒業してはならん!という体育会系山岳部はさすがに気後れいたしましたが、けっこう硬派な山岳サークルに入りましたよ。
そして最初に参加した合宿がこの「甲斐駒ケ岳」縦走でありました。
「甲斐駒ヶ岳(かいこまがたけ)は、南アルプス国立公園内の赤石山脈(南アルプス)北端の山梨県北杜市と長野県伊那市にまたがる標高2,967 mの山である。峻険な山容をもち、半ば独立峰のような姿勢で屹立する日本アルプス屈指の名峰。(ウイキペディア)」
中央高速道を長野方面、甲府から韮崎あたりを走っていますと、左手にそびえ立つ「甲斐駒(かいこま)」が見えてまいります。
「日本百名山」の著者、深田久弥がその本文で、
「甲斐駒ケ岳は名峰である。もし日本の十名山を選べと言われたとしても、私はこの山を落とさないだろう・・・。」と賛辞しているだけあって、その雄姿は見ているだけで圧倒的な質感をもって迫ってまいります。
そういえばだいぶ前のサントリー「南アルプス天然水」のCM。女子高生のバックに映る山、見覚えがあると思っていましたところ、やはり「甲斐駒」でありましたよ。
数十年前の10月も後半、新宿23:55発 長野行の夜行列車に乗って(合宿はいつもこの列車でした)明け方3:30頃に韮崎駅に降り立ちます。
新宿駅で「見送り」?に来るOBの先輩方と駅構内で新聞を敷いて座り込み、発車時間までボトルのキャップで回し飲みしたウイスキー。
おかげでズキズキと痛む頭をかかえたまま、夜明け前にタクシーで登山口へ向かいます。
通常甲斐駒に登るルートは、バスを乗り継いで北沢峠という登山口から4時間ほどで山頂に達するコースが一般的です。しかし我ら山の会は、当時でも前時代的な自虐?山ヤ集団。(汗)
選んだルートは、登山口から山頂までの標高差は2200メートル。
急な登りが9時間も続く「日本アルプスで一番つらい登り」と深田久弥が嘆いた、黒戸尾根(くろとおね)といわれる長大なルート。
そこをバカでかいリュックを担いで、ただひたすら登り続けます。
リュックといいいますと、当時「キスリング」といわれるカーキ色の幌布製の巨大なもの。
それに鍋釜、巨大な布テントを括り付け、米、じゃがいも、にんじん、たまネギをごそっと担ぎ上げます。
恐らく30kg位の重さにはなっていたでしょう。そんなん背負って秋の驟雨に打たれながら、喘ぎながら這うように登っていきます。
当時は相当キツかったはずですが、今では登っている途中の記憶はほとんど残っていません。どこまでも続く登山道、白い霧の中から浮かび上がるように真っ赤な紅葉の色だけが、今も鮮明に頭に焼き付いています。
まる一日登り続けてようやく辿りついた七合目のテント場。
消耗しきった私らんぞうの足下に一面に広がる甲府盆地の夜景と、甲斐駒山頂を護るようにのしかかる麻利支天峰(まりしてん)の威容に圧倒され、その後登ったたくさんの有名な山のどこよりもこころに残る山となりましたよ。
さて、地獄のような思いで担ぎ上げたタマネギ、にんじん、ジャガイモ。
どうするのかと申しますと、たいてい豚汁かカレーかの二択でありました。
具材をぐつぐつと煮込んで、味噌を入れるか?カレー粉を入れる?かギリギリまで決めない!
テント一杯に広がる炊き立て白飯の匂いに包まれながら、しばしのもどかしい時間を過ごしたことも良い思い出でございました。
ふむ。当時のことを思い出しておりましたら、またぞろ甲斐駒の頂上を踏みたくなってまいりましたよ!
しかし幾多の春秋を重ね、今や立派な腰痛持ちとなったらんぞうには、少しキビシイですかね。
よっしゃ!この秋は、どこぞの山で紅葉を見ながら芋煮で一杯だな! (らんぞう)