54.日本橋千疋屋総本店「また来たよっ!」

そう云う訳なんだけど、今日も寒いね!

今も外じゃ、けたたましくサイレン鳴らして消防車が走ってったけど。この寒空に火事で投げ出されたら、本当に気の毒だね。おとといのテレビニュースでも言ってたけど、ストーブの火事が多いんだって。灯油ストーブかと思ったら、ストーブ火事の原因の75%が電気ストーブだってんだから驚いたね。灯油ストーブのように火が見えないから、逆にチョット油断しちゃうらしい。電気ストーブつけっ放しでベッドに寝て、布団が電気ストーブに落ちて16分で炎が出るらしい。実際に世の中で起きてる火事だから怖い。気を付けましょう。そう云うおいらも昨日の夜は、灯油ストーブをつけっ放しで寝てしまいました。ちょうど、うちの奥さんが娘が出産で居なかったからバレなかったけど、コリャ危ない!布団からは、かなり離れているから火事にはならないだろうが、一酸化炭素中毒はあり得る。朝起きて深く反省を致しました。

おっといけねぇ!『千疋屋総本店』。

前にもお話ししましたが。おいらがちょくちょくフルーツパフェを食べに行っていた店。

まだ行かれたことのない皆様は、是非とも東京日本橋にある千疋屋総本店を目指してください。

特に地方の皆様、行ってください。おいしいですよ!

創業は1834年(天保5年)武蔵国埼玉郡千疋の郷(現在の埼玉県越谷市千疋)の侍であった初代弁蔵が江戸、葺屋町(現日本橋人形町3丁目)に「水菓子安うり処」の看板を掲げ、果物と野菜類を商う店を構えた。

1864年(元治元年)12月二代目文蔵が店を継ぐ。

文蔵の妻むらが茶の湯の師匠として知られた渡辺治右衛門に茶の湯奉公をした縁で、浅草山谷の料亭八百善に上がるようになった。ここに出入りすることで各界の寵を受け、文蔵は徳川家御用商人ともなった。

1867年(慶応3年)6月三代目大島代次郎生まれる。

三代目代次郎は、日本橋本町(室町)に店を移し、しばらくして、当時としては最新式の洋館三階建の店舗とした。三代目は経営の近代化に心を砕き、外国産の果物を輸入し、また国産果物の品質改良に心血を注いだ。結果、我が国初の果物専門店が創立され、千疋屋総本店の基礎が出来あがった。

今じゃ、日本を代表する高級フルーツ店だけど、こう云う歴史があったのです。

普段はね、平日サッと来て、パフェをサッと食ってサッと帰る。この店ではパフェしか食いませんでした。たまたま、寝具の日本橋西川本店に枕の調整の為に家族で来たのです。土曜日に。普段は土日祝日は、出歩きません。なぜなら混雑するからです。「ついでに折角日本橋に来たんだから、千疋屋でなんか食べようか。」ってことになりました。行って見ると、案の定並んでました。お客の列。一人ならどんなに旨い店でも並んだことはありません。家族と一緒なのでジッと我慢の子でありました。大分時間が経ちましたが、やっとテーブルに通されました。

家族で来たので、千疋屋で初めての食事。おいらは『洋食プレート』¥3,024-。それと、いつもの『スペシャルパフェ』¥2,160を3人分。夫婦は同じメニューを頼み、息子は『フルーツサンド』¥1,404-と『マンゴーカレー』¥1,512-を注文。参考のために値段を出しました。日本橋だし、しかも千疋屋総本店だからしょうがないね。

我が家にとっちゃ、たまの贅沢でありました。庶民の幸せのひとときです。家族でおいしいものを食べるのって楽しいよね。千疋屋の食事は『おいしい!』としか憶えていません。まずい筈は無いんだけど、家族でいただいて大満足の一日でした。

そう言えば、この前テレビで言ってたけど『日本橋』の橋の表示。あれって何と最後の将軍『徳川慶喜公』の揮毫とのこと。何回もなんとなく見てたけど、世の中色んなとこに色んなものがあるんだね。またまたビックリ。