47.「坐禅セッション潜入記」(後編:おむすび妄想編)
こんにちは らんぞうです。
気鋭の若き僧侶:小池龍之介氏の坐禅セッションに突入した後編。
鎌倉・稲村ガ崎のご自宅兼坐禅堂「月読寺」で12:00までみっちりと坐禅のあと
お昼は持参のおむすびをいただきました。
禅宗では食事も坐禅との考えから厳しい諸作法がある事はご存知と思いますが、食事も重要な修行なのですね。
小池氏は禅宗ではありませんが、当セッションでは、「食禅」といって、坐禅をしながら目をつむり、おむすびを食べながら、その味だけではなく、発生するいろいろな感覚を味わい尽くすという練習をします。
少し長いですが、著書「考えない練習」の中で 「食禅」に関する部分。
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食べものを口に入れるためには動作が必要です。その動作ひとつひとつをぼんやり考えごとをしながらではなく、鋭敏に意識を置いていってください。
手の筋肉の動きを感じ取りながら、手を伸ばします。食器をつかんだ際には、いま触れたなという触感を感じ取ります。そうして口に持っていきます。
口に入ってきたという触感、舌に触れた触感を感じます。
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お箸を使って口に何かを入れたら、お箸もいったん下に置いてください。置きながら噛むとか、お箸を持ちながら噛むというようなことをすると、意識がいろいろなところに分散してぼんやりしたすきに余計な思考が始まり、食べることに集中しにくくなります。
そして食物が口に入ってきたら、噛むことや味や触感に集中しやすくするため、便宜上、目を閉じて、見ることを遮断してください。
噛み始めると、口の中でだんだん食物がバラバラになっていきます。バラバラになっているものが舌にあたります。普段は舌の動きに注意を払うことなどないかもしれませんが、気をつけてみると、舌は絶えず動いています。口の中を舌が回りながら、食物をかき混ぜたり、味を感じたり、触感を感じたりしているでしょう。
いま舌がここにある、触れた。移動した、触れた。食物が口の中を一周する間に、噛まれ、咀嚼されて、流動化している。食物が流動化したこのとよって、より滑らかにドロドロになっていく。味が変化した、触感が変わった、味が変わった、食感が変わった、・・・・・という具合に、舌の感覚をずーっと追いかけながら、感じ続けてください。
このように食べる練習を続けるうち、いままで大ざっぱにまとめあげ切り捨ててきた、細やかな「現実」そのものが少しずつ見えてくるはずです。それに向かって意識を肉薄させ、しっかり食事に取り組めば、充実しているとか幸せであるということは、実は「何を食べているか」にはほとんど依存しておらず、単に「食べているものに、しっかり心がとどまっているか、いないか」というこのことによってのみ決まっているのだ、とわかってくることでしょう。
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なるほど普段の食事では 「食べること」だけに集中している事などほとんど無いですね。
テレビを見ながら、あるいは会話をしながら、なんとなく食べ物を口に運び、咀嚼し、飲み込みながら、
かといってテレビや会話に集中するでもなく、野放しになった思考はあっちこっちと彷徨います。
試しに食べる事だけに集中しようとしてみると、なぜか今まで気付かなかった思考ノイズが、実はチラチラと頻繁に意識に挟み込まれていることに気付くようになります。
ご飯をたべながらも、ふと・・・「このあいだ一時停止違反で罰金とられたんだっけなー(汗)」、「あしたの会議の資料の数字だいじょうぶかな。間違っていたらどうしよー(やばー)」「おっ石原さとみー(CM)」「やっぱ深キョンだな(ふむふむ)」・・・などなど、イヤな記憶や未来への不安、或いは意味のない思考の連続。
そういえば確かテレビ番組で、あのウサイン・ボルトに対し、「走っている時には何を考えているか?」との記者からの質問に対して 「なにかとてもくだらない事を考えているよ(笑)」と答えていた事を思い出しました。
それを聞いたときは、まあ何のこともない、普通の答えだなあ・・などと思ったのですが、もしかすると自分の肉体感覚に集中している状態の時には、自分の思考を客観的に見ることが出来る状態になるのではないか?
つまり、まさに飛び回っている思考の最中では、その思考が自分自身そのものになっているため、それを客観的に見ることはできないのは道理ですが、坐禅や食禅、歩行禅(経行きんひん)または、それ以外でも体の感覚を主体とする運動・行為に没入することで、集中している自分が思考している自分を客観的に見る事ができるようになるのではないかと考えられます。
よく坐禅をしていても雑念が湧いてきて集中できないという事がありますが、実は頻繁に湧いては消え、飛び回っている思考ノイズに普段は気づかないのですが、坐禅等によって呼吸に意識を集中していると、いつもは気づかない思考のノイズが浮き上がって見えてくるのではないかと。。
話がおむすびからだいぶはずれました。
小池氏と一緒に坐禅をしながら、コンビニの塩むすびを一時間かけて食べたあとは、夕方までまた坐禅と歩行禅(畳の間をひたすら歩きます)が続きました。
夕暮れ間近、ようやく坐禅が終わると最後に「寺子屋」と称する質疑応答の時間。
この時間まで残っているのは約10名くらいでしょうか。ほぼ女性がほとんどです。
小池氏の「何か質問はありますか?」との問いに、最前列で朝から熱心に坐禅をされていた女性がやおら手をあげると
「猫が好きすぎて困っています。どうしたら良いですか?」
というなんとも可愛らしいご質問。
空気がふわりと緩んで坐禅セッションは終了しました。
朝から夕方まで、ずうっと坐禅の贅沢な時間を過ごしたらんぞうめは、珍しく澄んだココロで夕暮れの鎌倉をあとに家路につきましたよ。
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しかしこんな日でもやっぱりビールは飲んでしまいますなあ。
ということで今日はのどごしと味わいに集中!ビールを味わい尽くしますよ!
(らんぞう)
※(画像説明)
坐禅セッション中にNHKの撮影がありました。 後日テレビで放映されたのを見ると、らんぞうも映り込んでおりましたよ。