36.雑事・余事

言葉には多様な意味が含まれる場合が多い。しかし、私にとってその日の目的とする事柄や完成させたい課題以外のものを雑事・余事として捉えて見た。勿論、一年を通してやりたかった事柄以外のことも同じだ。

何故か?・・・

この年の瀬を前にして、今年もあまりにもやりたい事が出来なかったと云う自戒の念が込み上げて来るからだ。

「ったく💢!あれも出来てねぇ・・・これも、出来てねぇ💢!」

「あれもこれもやらなくちゃ、いけねぇのに💢」

自分に対する自戒と苛立ちがある。

「雑事が、多いんだよ!」心の中でつぶやく。

じゃあ、一体『雑事』って何だろうと広辞苑を開くと、「種々雑多な事柄」とある。

続いて『余事』を調べる。「余力でする仕事」「余暇でする仕事」「それ以外の事柄」「他事」とある。

それならと『瑣事・些事』は、どうだ?「少しばかりのこと」「つまらぬこと」

『余事』の意味合いについては、「それ以外の事柄」「他事」と解釈する。自分の目的以外の事柄が『余事』だ。

『些事』については、「つまらぬこと」と解釈しよう。

これらの言葉はそれぞれの事柄が、その日の目的と一致していない時に使われる。

例えば休日の或る日、「今日は一日この本を読んで過ごそう。」と思って読書を始めれば、読書こそがその日の目的であり仕事でもある。こんな時、家人から「車のタイヤがパンクしている。」と告げられれば、雑事・余事の始まりだ。其処へ持って来て、チャイムが鳴り宅配便が届く。これまた雑事だ。そうこうして居る内に、今度は友人から電話が掛かって来る。何と、この世は雑事・余事の目白押しだ。

とは言え「雑事・余事」とは言っても、どれも日々の生活をして行く上では欠かせない事柄だ。

車の修理然り、宅配便の受け取り然り、電話の応対然り、買い物然り、病院通い然り、散歩然り、此処に至れば三度の食事も然りとなろう。生きて行くと言うことは、雑事にまみれて生活して行くことなのだろうか。

私の尊敬する日本の武術家に平山行蔵先生がいる。

平山先生は、江戸時代の宝暦九年(1759年)幕府の伊賀組同心の家に生まれ、文武に優れた武術家として知られている。

文政十一年(1828年)70歳で亡くなられている。先生の日課は、毎朝未明に始まる。その稽古の物音で近隣の人は起きたと言われ、四谷北伊賀町一帯では「平山の七つ(午前4時)時計」として有名であった。その朝稽古は、夜が明ける前に庭に飛び出すと、真冬であろうと真っ裸になって井戸端で水を浴びる。そのあと七尺五寸(2.3m)の白樫の棒で素振りをし、四尺(1.21m)もある長い真剣で抜刀を繰り返す。最後に仕上げとして、ひと廻り三尺(0.9m)ばかりの立木に木刀で力いっぱい打ち込みをする。この仕上げの立木打ちの音が一帯に聞こえ知られていた。その時刻が、七つ(午前4時)であった。

先生は学問と武芸以外の雑事を避けるため、官職にも就かず一生独身を通した。その家には下女と云えども決して女人は近付けなかった。しかし、その武芸と兵学の声望を伝え聞き、道場の門をたたく者が絶えなかったと言う。

派手な剣客では無く、当時は兎も角、現代ではあまり有名ではない。しかし、平山先生を私淑する武術家は案外多いように思える。玄人好みの武芸者なのだ。その一人に幕末から明治・大正期にかけて活躍した直心影流十五世山田次郎吉先生が居られる。

毎朝きっちりと時を刻むように過酷な修行を続け、世の雑事に紛れる事なきように生活を簡略化する。あくまでも学問と武術修業専一の生涯を送られた平山行蔵先生の生き様を日本人として誇りに思う。

自分のような日々雑事にまみれた、平々凡々の凡太郎の憧れとするところだ。来年は局長の「七つ時計」とまでは行かなくとも、微かにでもきっちりと時を刻むような生活を夢見よう。

はっきりと言って置くが「約束は出来ません!」

何しろ、こちとらは雑事に塗れた生活者であり、神経痛に惑い、子に惑い、尚且つ孫に惑う、惑いの申し子だ。

また取り留めの無い事ばかりを書いてしまったが、来年はみなさまに取って、良い年でありますように・・・

局長