29.推手鍛錬考察1

まず始めに、お願い致します。

決してここに紹介する刃物での鍛錬法は真似をしないでください。大変危険な鍛錬法です。

この推手稽古法は、私が工夫し私の責任で、私の直接指導の中でのみ実施しています。

推手は元々至って危険な訓練法です。接近戦における奥義の体得としては理想的な稽古法の一つだろうと思います。しかし、一瞬の隙で、あっという間に勝敗は決します。暢気にゆったり動いてるだけだと思ったら、それは大変な思い違いです。

推手訓練の大きな目的の一つに聴勁(相手の意図するところを察知する感覚と反応)が有ります。聴勁を体得するのには幾つかの大切な要素がありますが、その一つが①精神の集中です。ただ決められた手順を約束事で動くだけなら、難しく有りません。しかし、一見滑らかに動いていているように見えても、形だけを作っているようなものであれば、その動きは推手の本質からは大きく外れたものと言えるでしょう。推手の動きは、技の応酬に依って形成されているからです。

①『精神の集中』、先ず動きの中でも心を静め(動中有静)、心を集中します。そして、相手をしっかり見ます。見ると言っても眼と云う身体の器官だけで見るのでは無く、心の眼でしっかりと相手を見て感じる事が重要です。眼を通して我が心でしっかりと相手を感じるのです。視覚と云う点で細かく言えば、『見る』では無く、『観る』です。一点を見つめるような見方を『見る』と言い、対象を見ながら相手の全体までを見るのを『観る』と言います。出来れば相手だけではなく、前面に対し180°を我が視界に入るように観ます。これは前の敵だけではなく、左右の敵の動きも認識する為の眼法です。

次いで②塔手で接している手首を通して相手の動きを察知します。これも手首で感じるのでは無く、手首の接点を通して、我が心で相手の動きを察知します。反対の手は、掌で相手の肘を柔らかく包み込む様にして相手の動きを見ます。相手の動きを心で見、感ずるとは、相手の動きの種類と方向、力の加減、速度などを心で感じ取る事です。

その具体的な方法が③『沾粘連随』となります。軽い粘りをもって接点に附着し、連綿と途切れる事なく、相手の動きや力に同調します。

写真のナイフによる推手鍛錬(平円単推手)は、私が相手の腕に一定の刃圧を加えながら行います。この稽古の目的は①心を研ぎ澄ます事。集中して自分の腕に加えれれている刃圧を、しっかりと感じ取れるようにします。『精神の集中』と『精神の緊張』は全く違います。緊張は身体のこわばりを生みますが、正しい集中は心身のリラックスを生みます。戦いの最中、集中して敵の動きを察知しても、身体が自由に動かなければ何にもなりません。次に②抽(自ら引く)を戒める。腕に刃圧が加えられた状態で、抽すれば刃圧に引き込みが入る為に腕は切れます。あくまでも加えられている刃圧に同調して身体が滑らかに動くようにします。決して自ら腕を引いてはいけません。③抗を戒める。加えられている刃圧に、それ以上の力で押し返す力、抗が生じたときも腕は切れます。刃圧に対して決して抗をしてはいけません。②に同じく相手の力に同調して動くことが肝要です。

多くのみなさんが陥る間違いに、純柔純弱が有ります。

「力を抜きなさい!もっと柔らかく!赤ちゃんの肌に優しく触れるような感覚で!放鬆!放鬆!」

これが純柔純弱です。

純柔純弱は、全く使い物になりません。ただ力を抜いて柔らかくすれば良いと云うのは大きな間違いです。そんな稽古を100年続けても身に付くものは何も有りません。そもそも当たり前に考えれば『剛能制柔』剛よく柔を制するのが、至って常識的な事実なのです。だから自然界は、『弱肉強食』の法則で成立しているのです。その常識をひっくり返すのが『柔能制剛』や『以弱制強』なのです。そこには深遠な心体の運用が無ければなりません。それが心の作用であり、太極拳技術なのです。

ここに中国の三国志で有名な諸葛亮孔明が残した言葉をご紹介します。当時、曹操率いる強大な力の魏軍に比して、孔明の属する蜀軍は明らかに弱でした。

善将者、其剛不可折、其柔不可巻、故以弱制強、以柔制剛。

純柔純弱、其勢必削、純剛純強、其勢必亡。

不柔不剛、合道之常。

※良き将帥たる者の心持ちは、剛であっても折れてはならぬし、また柔であってもただの軟弱であってはならない。剛柔を合わせ持ってこそ、弱を以て強を制し、柔を以て剛を制する事が出来るのだ。純柔純弱は必ず削弱され滅びる。また、純強純剛だけを誇り、力だけに頼れば必ず滅亡するだろう。柔に過ぎず剛に過ぎず、剛柔を合わせ持たなければならない。

私はいつも加藤修三先生の言葉を思い出します。

「大切な事は、上手いとか下手では無く、その動作の一つ一つに正しい内容が有るかどうかなんだ。」

太極拳も推手も全く同じ事が言えると思います。