175『大雁気功と永年85式療法』⑵

人間の身体は50代になると本来抱えている遺伝的弱点が、病気や故障として露呈し始める。身体の器官の一つ一つが壊れてくる。「嫌だねっ~!」「歳は取りたくねぇ~!」などと言っても仕方がないのである。身体の故障の延長線上には、着実に『死』が待っているのだ。死は自然の法則だから仕方がないが、せめて望むならその少し前までは元気で暮らしていたい。家族や廻りに居る人たちに迷惑を掛けたくない。誰もが望んでいる。私はあまり好きな表現ではないが、世に言われている「ピンピンコロリ」である。..

ここ一二年、70代を迎えてバランス感覚の低下によるフラつきを感じ始めた。同年代の生徒さんや知人に聞いて見ても、矢張り同じ症状がある人が多いようだ。先日NHKテレビの健康番組『きょうの健康』でも太極拳が取り上げられていた。島根大学医学部大野智教授によると、太極拳がその実践者に様々な健康的好結果をもたらしている事が科学的にも分かって来たらしい。

まず一番目は

⑴有酸素運動による筋肉の維持や増強など、体力作りに期待出来る。大腿四頭筋や膝廻りの筋肉が増強されれば、関節痛の軽減や骨粗鬆症の改善などにも繋がる。

⑵人を対象とした臨床試験では、腰痛や変形性関節症の痛みを軽減する。

⑶心臓病やガン患者などの生活の質を改善するという事も最近の臨床研究で分かって来ている。

病気で身体が弱っている人にも、無理な負荷をかける事なく楽しめると云う事だろう。

⑷高齢者の転倒予防。

⑸免疫力の向上。

太極拳運動ありと太極拳運動なしのグループで免疫反応した細胞の割合を調べたところ、太極拳グループに24%の向上が見られた。帯状疱疹ウイルスを使用しての免疫細胞の反応結果である。科学的な分析では、太極拳特有のゆっくりした呼吸が免疫を司る神経内分泌系に作用した可能性があると思われる。

⑷の高齢者の転倒予防について。

ハーバード大学ではパーキンソン病の転倒予防のリハビリに、太極拳運動を取り入れている。その結果、実際に転倒予防に対しての高い効果が認められている。この効果のメカニズムを研究しているのが、ハーバード大学のピーター・ウエイン准教授である。太極拳の動きをモーションキャプチャーを使って科学的に解析している。(モーションキャプチャーとは、現実の人物や物体の動きをデジタル的に記録する技術である。)その解析によると、太極拳動作中の複雑な動き(脚(腿)、腰、肩、手、頭)などが常にとどまる事なく、同時に動き続けている事が判明した。もっとも重要な事はその複雑な動きの中で地面にかかる圧力の中心が常に両足の中にあり、まっすぐ上を向いている事である。常に全体のバランスを取りながら安定した動きをしているのだ。

アメリカの研究機関が高齢者の転倒回数について調査をしている。ストレッチ運動だけのグループと太極拳グループの一年間の実際の転倒回数を調べた。その結果が、ストレッチグループの232回に対して、太極拳グループは127回と云う結果が得られた。結果として太極拳グループの転倒率はストレッチ運動グループの数値に対して50%以下であった。驚異的な運動効果と言える。

これらの結果をもたらしたのが、簡化24式太極拳を始めとする健康太極拳である。

簡化太極拳でこれだけの実績が出せたのであれば、そのベースとなっている永年伝統楊式太極拳であれば、より高い効果を得られるのは間違いない。簡化24式の動作時間の4~5分に対して、永年伝統楊式太極拳85式は23分程の時間がかかる。24式を始めとする制定拳が太極拳風健康体操なら永年伝統楊式太極拳は始祖を楊露禅とする「ホンマ物の」太極拳(武術)である。

日課として。【日課は最近はルーティンと云う言葉に置き換えられるが、私は極力カタカナの表現は避けたいと思っている。横文字を多用するのが教養人とは思えないからだ。かえって恥ずかしい。

(ルーティン(ルーティーン、routine)とは、決まったときにやる一連の動作のこと。「日課」ともいう。)】

先ず朝起きて、大雁気功64式を通す。

何をやるにしても大切な事は良いお手本を見る事が第一。私は日本太極拳友会の三代正廣先生の動きをお手本にさせて頂いている。

第二は動作名称とその動作が何を表現しているかの意味合いを知る事。

これは本を買って勉強すると良い。

C.Aアーカイブ出版の『大雁気功』がおすすめである。インターネットで購入が可能。

第三は動作名称と動作範囲を的確に把握することである。ただ何となく動いているのではなく、自分が何の動作をしているかを自覚して動く事が大事なのだ。

第四は両手を翼のように震わせ羽ばたく『顫動(チャンドン)』である。羽ばたきの振動はより細かく早くやる事が肝要である。最初はパタパタと勢いの無い羽ばたきになってしまいがちだが、慣れて来たら出来るだけ細かく早い羽ばたきを心がけよう。指先を動かす動作は脳にとても良い刺激を与えてくれる。これが認知症予防にも大きくつながる。

第五は出す足はすぐに着地しない事を心がけている。前に出す足は出来るだけゆっくり着地させる。軸足はしっかり踏んで足裏全体と足指全体で床を掴み、前に出した足はすぐに着地せず、床から1ミリで良いから浮かせ続け、着地はゆっくり、そうっと丁寧に行う。動作時間は私の場合は7分~8分くらいを標準にしている。

永年楊式太極拳については85式を通してやった場合、標準で22分から23分かかる。私などは何も考えずに、順序をなぞるように通すと13分~14分で終わってしまう。明らかに内容の無い動きで、そこにあるのは順序と定式動作だけの情けないものとなる。これを自分の為の『太極拳療法』レベルまで引き上げるには、単式練習でやるようなきめの細かい歩法・身法・手法・眼法の協調が必要である。永年楊式の基本である抽絲勁・纏絲勁・.折畳勁はもちろん、動作運用の重要項目である鎖胯転腰、脚(腿)、腰、手の動きも大切だ。開合・平円・立円・提襠開胯・合胯転腰など次から次へ遵守項目をあげたらきりがなく、頭の芯がキーンとなって来そうだ。これらの課題をいっぺんに解決するのは無理なので、「思い出したらやりましょう・・・」。

『太極拳療法』で私が最も気にしているのが、上歩する足の着地前の滞空時間だ。人間は両足で立っている時に比べ、片足立ちの時はおおよそ3倍の負荷が軸足にかかると言われている。上げている足は1ミリでも良いから宙に浮かせる。着地しなければ片足立ちだ。軸足の筋力・骨力強化だけでなくバランス感覚の向上にもつながる。提膝でも踼脚でも良いから、軸足にしっかり坐ってガマンする。

フラフラしようが、ヨロヨロしようが体裁を繕ってはいけない。上歩する足のかかとは軸足の操作でそーっとやさしく着地する。

起勢から攬雀尾左掤の時も左足の滞空時間を確保してから、そっとかかとを着地させ左弓歩となる。

右攬雀尾の右足上歩も同じ。転身からの単鞭の左足も右軸足にしっかり坐実した上で少しでも滞空時間を確保してから左足かかとを着地する。次の提手上勢も同じで全套路動作一つ一つを片足立ちでやり続けるのだ。こんな調子で太極拳治療をしていると、時間も20分~26分位かかるようになった。もっとも、私は『暑がり、寒がり。痛がりの上に、意気地なし』なので一気に套路を通すことはしない。85式第一段をやってからタイムをチェックする。第二段・第三段も同じ。その間、疲れたら途中休憩をいれる。休憩は5分の時もあれば10分の時もある。お茶を飲む時もある。食事時にかかれば、食事後に続きをやる。これから死を迎えるまでの日課だから、どっしりと構えて行くつもりだ。套路を終えると、身体全体が制定拳では得られない癒しの感覚に包まれる。

隠居