173.『大雁気功と永年85式療法』 ⑴

子供の頃は「つかれる」と云う言葉の意味が理解出来なかった。「痛い」とか「かゆい」とかは理解出来ても、大人が良く口にする「疲れた~!」は、自分には直接結び付かない言葉であった。それと「神経痛」・・・。「神経痛」って何だ?高校生くらいになってやっと、「神経が痛む」こと位は理解が出来たが、実際にどうなのかは全く分からないままであった。

71歳を迎えた今「神経痛」について大いに語ることは出来るが、孫に理解できる様に説明することは難しい。子供は元気で「痛い」所などないからだ。みな子供の頃は「元気」にあふれていた。その頃と比べて自分自身の頭の中はあまり変わっていない様な気がする。心の本質の進歩や変化は、ほとんど無い。歌や音楽についても思春期から二十歳前後に流行っていたものをズーッと引きずり、愛唱している。先日、車の中でムード歌謡の和田弘とマヒナスターズを聞いていた所、後部座席に居た孫の『あお君』に、「この歌いつまでかけてるの?」と言われてしまった。自分では、なんとなく自然に習慣的に聞いていた曲であったが、『あお君』にとっては聞き馴れない、親しめない音の流れだったのだろう。あわてて曲を止めた。あお君は『令和』に生きる小学校3年生だ。

私はあお君に向かって説明した。

「今の曲はね、昭和の時代に流行っていた曲なんだ。」

すると、あお君は「昭和って、どんな時代だったの?」と聞いて来た。

「昭和は私の生まれた時代で、その頃はテレビも無かったし、冷蔵庫や洗濯機も無かった。自動車や電話も普通の家には無かった。ラジオ位はあったかな。」

あお君に説明して、改めて今の時代との大きな違いに我ながらハッとした。

聞く歌は半世紀以上も前の曲。心の内もあまり変わっていない。

残念ながら半世紀を経て、身体は大きく変化をとげている。日々薬の世話になり、医者に行くのは当たり前。目はしょぼしょぼ、耳は耳鳴り、足、腰、手は何とか動く状態。すでに『満身創痍』なのだ。冷蔵庫や洗濯機ならば10年~20年で処分になる。でなければ火災事故などの危険な事故につながるからだ。

それを、なんとこの身体は70年以上も耐えて来ているのだ。いつ壊れても仕方が無い。私は人間の身体の『耐用年数』は50年と考えている。男は特に弱いと思う。

最近70歳を過ぎて、フラッとすることが増えて来た。筋力の衰えに加え、バランス感覚が落ちて来ているのだ。誰しも40年前、50年前にフラッとすることは無かった筈だ。明らかに加齢による身体能力の低下の一症状。放って置けば、転倒→骨折→寝たきりになる。太極拳をやっていても、これだから何とかしなくてはならない。

そこで改めて考えた日課のメニューが大雁気功と傅老師の85式だ。傅老師以外の制定拳等の85式などは一切やらない。自分の命が懸かっているので本物での治療のみが頼みの綱だ。こうなると日本の武術家の目で見て、本物と確信出来るものしか受け付けられない。

まず朝起きたら大雁気功で身体をほぐす。なんと言っても1000年以上の歴史ある気功だから、確実に実績も千年以上は保証されている様なものだ。何らかの効果が無ければこの世知辛い世の中!1年も経たずに消えてしまうだろう。

私は朝起きた時は身体がとてもこわばっている。ちょっとした動きでも腰を痛めそうだ。だが、大雁気功を一度通すと効果てきめん、普通に歩けるようになる。こわばっていた身体が自然にほぐれて呉れる。今日も一日、人並みに生活を始められるのはとてもありがたい。

身体が動かせるようになったら、永年楊式太極拳を始める。永年と言うのは、太極拳が生まれた地名から来ている。簡化24式太極拳を始めとする制定拳とは全く違うと云うことだ。普通、傅老師の85式を全套路通すと22分から23分掛かるのが標準的な時間だ。

私の場合、何も考えずに起勢から動きだすと収勢まで15分前後で終わってしまう。これはどう云う事かと言えば、一つ一つの動作をただ流して動いているだけで、ちゃんとした動作になっていないのだ。起勢から攬雀尾・転身して単鞭、そして提手上勢へと、しっかりと基本の用法を守りながら動かねばならない。私は太極拳を楽しもうとしているのでは無い。楽しみながら身体の壊れて来ている所を修復する『太極拳治療』・『太極拳療法』をやろうとしているのだ。これをやれば良くなるのは身体が分かっている。

次回も引き続き『大雁気功と永年85式療法(2)』をご紹介いたします。

隠居