157.『痛風から虫時雨』

今にして思えば加齢・老化を感じさせられたのは53歳であった。いきなり痛風におそわれた。訳も分からないままに、片方の足の親指の付け根に激痛が走った。この病気は、関節内に尿酸ナトリウム結晶という長い針状の結晶が沈着し、関節痛をきたす疾患と言われている。「針が関節の中に溜まるのだから、それは痛い!」「すごく、痛い!」初めての事なので、その時は何が起こったのか全く分からなかった。炎症と痛みが落ち着くまでの三日から四日は動く事もままならない。病院に行っても投薬治療は炎症が落ち着いてからとの話で一週間から十日はじっと我慢するしかない。以来17年、尿酸値を抑える薬を飲み続けている。痛風は侮れない怖い病気で、悪化すれば腎不全となり命を落とす。

この4年後、57歳で今度は高血圧症を発症した。つらつらと考えれば、人間の寿命は本来50年くらいなのだろうか?その頃から、平均的な人間のからだの耐用年数はおおよそ50年だ!と思えるようになって来た。あくまでも、私の場合で言えば、【体のこわれ始め】が50代であったからだ。それは私の遺伝子が持っている先祖代々受け継がれて来た遺伝的弱点の顕在化の始まりを意味する。高血圧症以降も次々と身体のあちこちから不具合が生じ続けている。上から見ていけば、頭髪は確実に無くなって来ているし、目は結膜弛緩症で涙目ではあってもドライアイという状態である。耳はテレビの音量が高めだし、はっきりと耳鳴りが確認されている。歯科では歯周病予防及び治療は定期的に欠かせない。頭部だけでもこんな調子である。2014年正月から気管支ぜんそくにかかり、内科の呼吸器科に通院するようになった。ぜんそくがひどい時は、呼吸も出来ない。現代医学の進歩のおかげで何とか命を保てている。

私の実感では人間の寿命・身体の耐用年数は50年くらいと思っていたが、その辺を調べて見て驚いた。

時代別の変化を見ると、江戸時代の平均寿命は32歳~44歳・明治時代44歳・大正時代43歳となっている。平成時代の平均寿命83歳がいかに長命であるかが分かる。むかしの平均寿命の短さの大きな要因の一つは乳幼児の死亡率の高さではないだろうか。お産での死亡率も高かったと思う。現に我が家の高崎の墓には、明治時代お産で亡くなった記録が記されている。20代・30代の若さである。私なども現代医学の恩恵を受けていなければ、確実に50代か60代前半で寿命を迎えていたことだろう。

私の尊敬する日本人の一人に肥前国平戸藩九代藩主、松浦静山いう名君がいた。歳を重ねればいずれは到来する老いの特徴を言い得て妙である。「手はふるう足はひょろつく歯は抜ける、耳は聞こえず目はうとくなる」。

いつの時代も歳を重ねれば必ず到来するのが老いの症状なのだ。何があっても自然、命を全うすることは自然の摂理でもある。

ちなみに松浦静山は1760年に生まれ、1841年没。当時としては81歳という長命であった。名君というだけでは無く、一流の武術家であった事でも有名である。

「勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし」野球監督の野村克也氏が取り上げた言葉として現代でも知られている。17男16女に恵まれて、孫の慶子が孝明天皇との間に明治天皇を生んでいる。松浦静山は明治天皇の曽祖父にもあたる。

最近知った事なのだが、眼瞼黄色腫(上まぶたに出来る脂肪)は心臓病に密接な関係が認められたらしい。従来、皮膚科の判断では無害とされて来たが、デンマーク・コペンハーゲン大学病院で心筋梗塞や虚血性心疾患あるいは死亡の予測因子となりうることが報告されている。私の母は、心臓病で亡くなっているので私としてはおおいに頷ける医療記事であった。(また一つ憂いの種が増えた)

表題の『虫時雨』だが、私の耳鳴りの種類である。蝉時雨(せみしぐれ)は、せみが一斉に鳴き立てる様を時雨(しぐれ)の音に見立ててあらわした言葉だが、秋の夕暮れの野に鈴虫などの虫たちが一斉に鳴く様を、虫時雨(むししぐれ)と言う。蝉時雨は夏の風物詩であり、虫時雨は秋の風物詩である。秋風にあたりながら夕暮れの野に鳴く虫の音を聞くことは何と風流だろう。ほぼ毎日虫時雨が聞こえている。少し飽きて来た。かと言って、それ程の耳障りではない。人によっては不眠症の原因になっているかも知れない。私は鈍感なようで、眠りにもスッと入る事ができる。一応、耳鼻科を受診したのだが加齢性なので治らないとの事であった。

董さんに教えてもらったのだが、中国に『命長多辱』命長ければ辱(はじ)多し。と言う言葉があるそうだ。

歳取ってもうろくするのは、とても自然なことで世界共通という事だ。

とは言え、現代医療と太極拳で日常生活を何とか維持出来ているのは、何とありがたい事だろう。

隠居