151.玄宗皇帝『梨園(りえん)』から『二代目中村吉右衛門』

梨園(りえん)を広辞苑で調べると、「唐の玄宗が、梨の木の植えてある庭園で自ら俳優の技を教えたという故事から、俳優の社会・劇壇・演劇界・特に歌舞伎役者の社会。」とある。書き出しに「唐書 礼楽志」とあるから、唐書の礼楽志に由るということであろう。唐書には旧唐書と新唐書があり、一般的に「唐書」といった場合は新唐書を指すらしい。唐書は中国唐帝国の正史である。225巻からなり、宋代の仁宗が撰せしめた。広辞苑では俳優、演劇、歌舞伎役者の社会とあるが、これはあくまで現在の日本社会としての解釈である。どう考えても、唐帝国に存在した梨園と日本の歌舞伎社会は時代も意味もつながらない。

・漢学者の多久弘一先生の『漢文楽話』によれば、もともとは俳優・戯曲家・音楽家養成所として存在していた。玄宗皇帝が自ら指導した養成所のそばに梨の木が植えてあったことから、一般的に演劇の社会や劇界のことを『梨園』というようになった。音楽の演奏に関しては皇帝自らも演奏・指導し、誤りがあれば後で訂正をするという熱心さであった。現代の日本では演劇界を指すより、もっと限定的に使われているのが実情だ。今、『梨園』といえば日本では必ず歌舞伎役者の社会を意味している。

歌舞伎といえば、残念ながら私はまだ実際に観たことが無い。勿論テレビなどでは観たことはあるが、こればかりは実際に歌舞伎座に観劇に行かなければならないだろう。命の持ち時間も少なくなって来ているので、コロナが終息したら是非行って観たいものだ。観に行くなら『二代目 中村吉右衛門』と決めている。

『二代目中村吉右衛門』。この役者さんには池波正太郎原作の『鬼平犯科帳』で大変に楽しませていただいて来た。この番組はフジテレビ系列で1989年7月よりシリーズ化され、スペシャル番組としても2016年12月まで続いた大人気時代劇である。笑いあり涙ありで、しかも武士の生き様を見せつけてくれる希少な作品であったと思う。中村吉右衛門が40歳の時にフジテレビから出演の依頼があったが、「長谷川平蔵を演じるには、まだ若すぎる」という理由でこれを辞退している。45歳の時に再度出演の依頼があり、実際の長谷川平蔵が火付盗賊改方に着任した年齢とほぼ同じになった為、出演を了承することになったらしい。原作者の池波正太郎からも、長谷川平蔵と同じ年齢になったら「是非、演じて欲しい」と言う強い要望を当初から受けていたとのこと。

『鬼平犯科帳』の初代長谷川平蔵役は、二代目中村吉右衛門の実父である八代目松本幸四郎(後の松本白鸚)が1969年から1972年まで演じている。この時も大いに人気があり、ついつい画面に引き込まれるように観ていたものだ。八代目松本幸四郎と二代目中村吉右衛門は実の親子だから容貌も語り口も似ているのだけれど、ただ単に似ているのでは無い気がする。その演技と存在感は歌舞伎役者の厳しい修行から生まれる、芸域の広さと奥行きの深さから醸し出されているような気がしてならない。親子共々『重要無形文化財保持者(人間国宝)』に認定されている。もっともこの二人はそんな称号にかかわらず、その存在そのものが国の宝であることに相違ないし、そんなものは無くったって光るものは光っていると言うことだろう。

時代劇『鬼平犯科帳』は原作の秀逸さに続いて主役の素晴らしさもあるが、脇を固める役者の豪華さ、優秀な制作スタッフの地道な努力の積み重ねが高視聴率を生んだものであろう。プロデューサー・ディレクター・監督・カメラマン・音声・大道具・小道具・衣装・殺陣・音楽・編集等々、気の遠くなるようなチームワークの力が結集され、一つ一つ丁寧に作品が作られている。

音楽は故津島利章氏が担当している。オープニングの迫力あるテーマ曲や劇中のそれぞれのシーンに合わせた数多くの作曲も素晴らしい。津島利章氏は映画・テレビ音楽の世界で幅広く活躍されて来たが、私が映画で強く印象に残っている曲は『仁義なき戦い』のテーマ曲である。

『鬼平犯科帳』には良く泣かされたが、トドメはエンディングに流れる映像とテーマ曲だ。私だけが泣かされていると思っていたら、だいぶ多くの人がこのエンディングでやられているようだ。エンディングテーマ曲に限っては津島利章氏作曲のものではない。この曲はフランスのジプシー・キングスによる、インスピレーションという曲である。江戸時代の四季を描いた映像は小野田嘉幹メイン監督に依る。エンディングの選曲にあたっては、原作者の池波正太郎がラテン音楽を好んでいる事を知っていた、フジテレビ鈴木哲夫プロデューサーが決定した。どう考えても日本の四季の映像とこの曲は一見ミスマッチと思われる。ところが、これほど映像と融合している曲がほかにあるだろうか。日本の四季の移り変わりの中で営まれる江戸庶民の生活。春の桜、梅雨の紫陽花、夏の風鈴と花火、秋の紅葉、冬の雪の中のそば屋の屋台、この映像のためにこの曲があり、この曲のために江戸の四季の映像があるようだ。なぜこのエンディングで私たちは心を強く揺さぶられるのだろうか。この四季の映像の中には、あたたかな庶民の暮らしの温もりがある。その暮らしの中にある出会いや別れ、人の情け、郷愁など、人々の心の中にある憂愁の想いが瞬間に交錯するのではないだろうか。四季の移ろいは時の移ろいであり、時の移ろいは、人の心の移ろいにつながり、人の暮らしの移ろいへと姿を変えて行く。そんなこの世の儚さを感じてならない。

2020年の現在も中村吉右衛門演じる『鬼平犯科帳』はBSフジテレビで再放送されている。

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