12.東京『日本橋千疋屋総本店』

昭和三十年代の東京下町は、駄菓子屋でもんじゃ焼きを出している店が多くあったものだ。五円出すと、水気の多いもんじゃの材料が入ったご飯茶碗が出て来て、小さなヘラで友達とはしゃぎながら鉄板で焼いて食べた。中学生になるまで、焼き物はもんじゃ焼きしか知らなかった。中学三年生の時に、初めて荒川の南千住でお好み焼きを食べた時は、そのおいしさに体中衝撃が走った。それ以来、おいらは関西の粉食文化にすっかり魅せられてしまったのだ。

さて、今日の題名が千疋屋なのに、スタートがもんじゃ焼きとお好み焼きになってしまった。申し訳ない。食べ物の話しに成ると、頭の中で色々な出来事が錯綜する。

千疋屋を知ったのは四十年前ほどだ。当時は銀座三丁目にある会社のサラリーマンであった関係上、銀座五丁目の銀座千疋屋に極まれにフルーツパフェを食べに行った。あくまでも極まれだ。一階は高級フルーツ店。二階でその高級フルーツの入ったパフェが食べられた。さすがに美味しかった。しかし、レジで支払いを済ますと、安月給取りの本性が出る。おいらは紳士なので、あくまでも心の中での話しとご理解願いたい。

『ったく、たかがフルーツパフェでこの値段かよ!💢』

日本橋千疋屋総本店の話しなのに、銀座千疋屋に来てしまった。

そもそも、生まれて初めてフルーツパフェを食べたのは上野駅の前にあった、レストラン聚落台であったと思う。1959年の創業で2008年に残念ながら西郷会館の建て替えでなくなってしまった。小学生の時に、ここでパフェを食べたのが初体験。三ヶ月に一度か、半年に一度くらいの割で親に連れて行ってもらうのは、至福の喜びであった。当時住んでいた葛飾立石には、世間狭いおいらの知る限りでは、日本そば屋・中華ソバ屋・すし屋くらいしか、食べ物屋は無かった。もちろん、洋食屋もファミリーレストランもある訳がない。

日本橋千疋屋総本店を知ったのは、三十年ほど前の事。銀座店は知っていたので、『あっ、ここにも千疋屋があるんだ!』銀座店で果物の値段から、パフェの値段まで知っていたので、おいそれと入りはしない。何しろこっちは、安月給なのだ。それから、あっという間に二十一年の歳月が過ぎた。ちょうど九年前に出来た日本橋三井タワーに千疋屋日本橋本店がオープンした時。この時初めて、日本橋総本店を初体験した。

この時に千疋屋の由来も知った。みなさんにもご紹介して置こう。

千疋屋は江戸時代の天保五年(1834年)庶民的な『水菓子安売り処』に始まっている。武蔵の国埼玉郡千疋の郷で大島流槍術の指南をしていた武士の大島弁蔵が、道場の庭でとれた果物や野菜を船で運び、江戸で商いを始めた。出身地の名から『千疋屋弁蔵』と名乗り、柿やびわ、ぶどう、みかんなどを販売していたが、後に愛称で『千疋屋』と呼ばれ、屋号となった。

二代目文蔵の代になって商売は大きく発展した。文蔵の妻むらの茶の湯の縁で幕末の著名人の愛顧を受け、幕府の御用商ともなった。これ以降、高級品を扱うようになったと云う。

明治十年に三代目を継いだ代次郎が、現在の日本橋室町に店舗を移し外国産の果物や種子の輸入に力を入れて現在の礎を築いた。

四代目はフルーツパーラーを開業。明治時代には、京橋千疋屋、銀座千疋屋と二つののれん分けをしている。

今でこそ千疋屋と云えば高級フルーツ店の代名詞だが、歴史を遡って創業当時は庶民的な『水菓子安売り処』であったとは、何とも親しみを感じる。しかも、侍のアルバイト的なスタートだったとは驚いた。

今では、日本橋に行く度に本店のパフェを食べるのを楽しみにしている。我が家は家族全員が千疋屋ファンである。特に、日本橋は店内が広くてとても快適だ。

フルーツパフェは、種類によって値段も違うが凡そ、¥2,000-から¥3,000-前後であろう。

ちなみに写真のものは、千疋屋スペシャルパフェ。

見た目の美しさ、高級フルーツの素材の力、生クリームの上品な味と舌触り。

安くはないが、客を納得させる力が十分に感じられる一品だ。

DONさん美味しそうでしょ!

ちなみに、『日本橋千疋屋総本店』の住所、電話番号は下記の通り。

住所:〒103-0022東京都中央区日本橋室町2-1-2 日本橋三井タワー 1階・2階

電話番号:03-3241-1630(フルーツパーラー&レストラン)

土・日は混みますから、出来れば平日がお薦めです。

局長