115.「解脱寸前」

らんぞうです。

さて、今回のつぶやき、ややテンション低めなのでございますよ・・。

ご存知の通り、日々変わらずありふれた日常を送っている私らんぞうではありますが、短い時間ではあっても朝晩の「ZAZEN」は欠かさない毎日を送っておりますよ。

何故に?と聞かれますれば、「悟るため!」などと申し上げる気など更々ないのですが、ココロのコントロール能力を上げる=穏やかに生きる・・にはZAZENによるトレーニングが特に有効である!という事に気付いてしまいましたので、拙いながらも日々取組んでおるわけです。

そのココロ・コントロール法では、先ず一番に取組まなければならないのが、瞋(シン)=怒り・・をココロから無くすトレーニングでありますよ。

ちなみに「ワシそんなにいつも怒ってないけんね!ふん!」と実は怒ってたりもして、自分でも気付かないうちにココロをジワジワと侵食したりしてるわけですよ。

何せ「瞋=怒り」は根本煩悩。前回に書いた通り、生き物が元々持っている「死にたくないー!」プログラムが発動させる感情でありますから、そう簡単には無くなってはくれません。

ちなみに初期仏教では瞋(シン)=怒りには10種類に分類されるそうです。

※「怒らないこと2」(日本テーラワーダ仏教協会 アルボムッレ・スマナサーラ著)より

①dosa(ドーサ) 基本的な怒り

②vera(ヴェーラ) 激怒

③Upanaha(ウバナーハ) 怨み

④Makkha(マッカ) 軽視

⑤Palasa(パラーサ) 張り合い

⑥Issa(イッサ) 嫉妬

⑦Macchariya(マッチャリヤ) 物惜しみ

⑧Dubbaca(ドゥッバチャ) 反抗心

⑨Kukkucca(クックッチャ) 後悔

⑩Byapada(ビャーパーダ) 激怒(度を越した)

まあ色々とあるものですなぁ。

これら怒りの感情は、その対象となった周りの人達だけでなく、自分自身のココロにも深い傷(悪業)を刻んでしまうのだそうでありますよ。

ZAZEN中に浮かぶ妄想思念。

実はココロの奥底から湧き上がってくる小さな怒り(dosa)が原因だったりするのをひたすら観察して、その瞬間瞬間に気付き(sati)を入れて、意識を呼吸に戻していく事がココロをコントロールするトレーニングになるということです。

さてらんぞう、何故にテンションが低めなのかと申しますと・・・。

こんな風に日々ココロ・トレーニングをしているにも関らず、先日大学生の息子と大ゲンカをしてしまいました・・。

息子が原因とはいえ、その場で冷静に観察して対応すればよかったのですが・・。今更ながら観察してみますと・・

①dosa(ドーサ) 基本的な怒り

からの~・・

②vera(ヴェーラ) 激怒!(残念~!)

一応原因はクリアして事は収まったものの、結局お互いのココロにしっかりと傷跡を残したようでありますよ。

ZAZENだ何だ言っておきながら、事が起きるや不覚にもコントロール不能になってしまうとは、進歩の無さに呆れておるわけでありますよ。やれやれ・・。

※これは⑨Kukkucca(クックッチャ)=後悔ですな。

さて気を取り直して、以前のつぶやきで何度か話題にいたしました「小池龍之介」さんのお話。

若き気鋭の「お坊さん」でありますな。

昨年秋に「小池龍之介」としては、最後の書籍「解脱寸前」(幻冬舎)が発刊されましたよ。

氏は「悟り」を目指して仏道坐禅瞑想に励まれていたそうですが、ついに最終解脱(ブッダと同じ究極の悟り)に至るべく、すべての文筆活動や公演をとりやめて、名前も「龍之介」から「空朴」に変え、解脱するまで日本に帰らない!という強い覚悟でアジアのどこかの国々を巡る遊行の旅に出られたそうです。

らんぞう「座右の書」の一つとなった「考えない練習」(小学館)を始め、初期仏教の理論と坐禅瞑想のテキストとしての沢山の書籍、また無償で実施されていた坐禅セッション等、私らんぞうに大きく影響を与えていただきましたよ。

どうか目的を達せられること、願って止みません。

私らんぞうも めげずに今日も座りますわよ!

(らんぞう)