112.「午前3時のユウウツ THE NEXT」

らんぞうです。

以前のつぶやき「ZAZENのススメ,Ⅱ」(午前3時のユウウツ編)では、加齢にともなって寝付きが悪くなり、真夜中に目が覚めては、いろいろな事が気になって眠れなくなる・・という、中高年以降に発症する睡眠障害「午前3時症候群」もしくは「午前3時病」というヤマイ。

そいつをついに「ZAZEN」で克服しました!というお話をいたしました。

でもその後の状態はどうやねん!?ということで、今回はその続編でありますよ。

さて結論から申し上げますと、しっかりと今もちゃーんと夜中、もしくは明け方にキッチリと目が覚めておりますよ。

さて前回の眠れない時のZAZENの復習

夜中目が覚めて、ココロに何やらモヤモヤとした嫌ぁ~な感情が湧き出し始めましたら、次々とネガティブなことが思い浮かんでしまう前にすかさず「metta」(慈悲の瞑想)。

心地よいプラスイメージをココロに強制的に上書きして、荒ぶるハートを治めたのち、また眠りにつきましょう!という方法でございました。

おかげで睡眠不足にもならず、もしまた目が覚めてしまったとしても大丈夫!と思うと、このヤマイは大した悩みにならなくなりましたよ。

しかし、そもそも何故にザワザワ感というか不安感というか、そのイヤな~感じが夜の夜中に湧き上がってくるのでしょうか・・。

そこのところ、ココロのザワつき加減をらんぞう、よーく観察してみましたよ。

そして、ふむ。なるほど。分かったことがございますよ!

夜中に目が覚めて、程なくいつものように胸の辺りにモヤモヤ漠然としたザワザワ不快感が発生します。

このザワザワ感、何なん?・・

その理由をにアタマは必死に検索します。

あー、またあのクレームじじいが来たらどうしよう・・

ワシの晩御飯もう作ってくれんようになったし・・

メッチャ業績悪くて、遠くに飛ばされたらどーしよ・・

などなど、仕事や家庭の問題などの具体的な不安材料や腹立つ出来事をわざわざ記憶から探して、無理やりザワザワ不安感に紐付け、なんとかココロを納得させているフシがあるのですよ。

どうやらココロに元々デフォルト設定されている 「生存欲」=すべての生命がもっている「生きたい」「死にたくない」という基本プログラムが備わっていて、そのザワザワ感はココロの深~いところにある「生存欲アプリ」からオートマチックに浸み出てくる、死にたくない!アラートのようなものだと理解しましたよ。

この「死にたくない」「生きていたい」という全ての生き物の持っている、このエネルギーのことを仏教では「渇愛」(かつあいtaṇhā)というそうです。 この「渇愛」がすべての原因、無明からでてくる根本煩悩。 イライラするのも、お金が欲しいのも、お酒のみたいのも、輪廻転生してしまう?のもこれが原因だそうです。

「生きているものは必ず死ぬ」という絶対に逃れられない事実をアタマでは理解はしているつもりでも、普段はなるべく考えないように、見ないように・・。 妄想と目先の刺激や楽しさという「目隠し・耳栓」をして必死に見えないフリをしていても、特に無防備な睡眠中には「見えないんだもんねー妄想バリア」を掻い潜って、そいつはココロの表面近くまで湧き上がってくるのですな。

この「午前3時病」、脳医学的にも説明できるのかもしれません。

けれどこのヤマイ、少しづつ「死ぬ」ことが現実味を帯びてくる中高年以降に発症し出すのも、なるほど納得がいくというものです。

mettaでザワザワを強制終了させて眠ることは、不眠対策として非常に優れたメソッドには違いはありませんが、生きている以上はこの嫌な不安感がなくなることはあり得ないので、結局毎晩イタチごっこをすることになるのですな。

どうせ消えることのないザワザワ感、むしろ眠れない対策をやめてしまって、ポジティブ「ZAZEN TIME」に変えてしまうことにしましたよ。

夜中に目が覚めてしまいましたら、もうムリに寝ようとはしません。水を一口飲んだら布団の上に座ってー、ハイZAZEN開始―!

呼吸を整えながら、ココロのザワザワを「ザワザワしているー」「不安な気持ちがあるー」とラベリングします。

あらゆる妄想や不安感に気付き(sati)を入れまして、暫くの間ゆっくりと呼吸に合わせてただただ観察いたします。

すると、アラ不思議!

スゥ〜っ・・とその嫌ぁ~な感覚がいつの間にか薄れていることに気付きますよ。

やがて身体の感覚がドンドン研ぎ澄まされるように敏感になってきます。

呼吸の空気が気道と摺れる感覚

全身の皮膚が帯電したような感覚

お腹の中がうごく感覚

細やかにそれらの感覚を静かに感じとっておりますと、今まで切れ目なく湧き上がっていた妄想・思念が少しずつ途切れてまいります。

そして、やがてココロに静か〜で穏やか〜な凪のような状態が訪れたりいたしますよ。

受け止めること。観察すること。無駄になやまないこと。そして、諦めること。

死ぬまで淡々と穏やかに生きていきたいものでありますな。

そうそう。稀勢の里が引退しましたね。

「土俵人生に一片の悔いなし!」という引退の言葉が、北斗の拳(また!)のラオウが昇魂するときと一緒!と一部で話題になっているようです。

この引退に関しては、色々世間様はキビシイ意見もあるようです。でも頑張ったんだから、みんなもっと優しくすればいいのに・・などと思ってしまいますよ。

なるほど!稀勢の里もラオウも「一片の悔い」もないので「午前3時病」にもならないんでしょうね。

(らんぞう)