第十五回 『健康・競技・武術』太極拳3つの顔

今や太極拳を代表する顔となっているのが、1956年に編纂された『簡化24式太極拳』です。ご存知のように中華人民共和国が中国国民の健康促進のために、国家体育運動委員会に作らせた健康太極拳套路です。今や太極拳と云えば『24式』。『24式』と云えば太極拳となります。初めは中国国民のためであったものが、今や世界の健康促進に大きく貢献しています。

日本では1960年に楊名時氏が、簡化24式太極拳を元に『楊名時太極拳(24式)』の普及を始められました。日中国交回復が1972年の事ですから、さかのぼること12年前からの普及となります。この太極拳は日本にとって、また日本の高齢者にとって大きな健康効果をもたらし、その功績はとても大きいとされています。

1972年日中国交回復以降、急激に簡化24式太極拳は日本全国に発展を始めます。1987年の日本武術太極拳連盟設立と共に日本国民に広く普及し始めました。

以上の様に、日本における太極拳の一番の顔は簡化24式太極拳。『健康太極拳』です。この太極拳の大きな目的は一つ『健康の維持と促進』です。この本来的な意味合いからすれば、定式の手法が多少上であろうが、下であろうが大した問題ではない。伝統太極拳の様に、実足の転身をしなくても后坐してゆっくり動作すれば良いのです。太極拳愛好者の99.9%がこの『健康太極拳』愛好者であると思います。

それでは、太極拳の二つ目の顔とは何でしょう。

スポーツとしての『競技用太極拳』になります。48式太極拳・42式総合太極拳・太極剣等々、主に競技会で行われている太極拳を意味します。日本では、『健康太極拳』愛好者の延長線上に存在する様にも見受けられます。簡化24式太極拳を経験して、体力・身体能力・太極拳技術をもっとスポーツとして競技会で楽しみたいと云う層の人たちです。競技会で要求されるのは武術性ではなく、最も重要なのが表現力と云われています。『競技用太極拳』で選手の皆さんが目標としているのが、優勝の二文字。誰もがアスリートとして一番を目指して頑張っています。一般人が全日本選手権のチャンピオンになるのは夢のまた夢ですが、優れた身体能力・感性・技術力・豊かな表現力を合わせ持ったアスリートでもそれ程簡単には行きません。そのような資質も大切な要因の一つですが、最も大切な条件は、良き指導者との巡り合いです。どの世界でも同じ事が言えると思います。太極拳の世界でも、地方の選手のみなさんで良き師に出会えない人たちはとても苦労しています。毎年、全日本に出場するのだけれど、実際交通費と宿泊費ばかりがかさむだけ。それとは反対に、良き師に巡り会えて、僅か3ヶ月で全日本チャンピオンになった人もいます。この伝説的な指導者の力は、計り知れません。しかも、今もこの日本で指導・活躍されています。選手一人で出来る事には限りがあるのです。

「こんな事、やってて良いんだろうか?」

「このまま一生流されて後悔しないだろうか?」と思い悩む人達も少なくありません。

「こんなしがらみや虚しい地位に縛られて良いのか!」「喝!」

優れた感性を持っている人ほど『踠く(もが-く)』ものです。残念ながら感性を持ち合わせていない人は、そもそも疑問が生じないから悩みにも出会いません。ひょっとして、その方が幸せかも知れませんね。

日本人は向上心が強いから、もう一つ上を目指して頑張る人が多い。時間とお金がかかっても、是非良き師を諦めずに探して見てください。

三つ目の太極拳は、みなさん良くご存知の伝統太極拳です。これが本来の太極拳。武術そのものです。

まず陳式についての私見を申し上げましょう。

陳式の歴史については、ご存知の方も多いと思いますので省きます。陳式はそれ自体素晴らしい中国武術です。楊式太極拳の創始者である『楊露禅』も陳家溝でこの武術を修行し身に付け、太極拳と名付けました。陳式は当時『沾綿拳』(てんめんけん)言われる拳法で、一族家伝の武術として代々伝えられていました。伝統があり、真に誇り高き武術です。本来なら、この武術に『太極拳』と云う名称を付ける必要などありません。何故なら、楊露禅が自分の武術を太極拳と命名する前から存在していたからです。

では何故、太極拳と付けたのでしょう。私は陳式に太極拳なんて付いてない方が良いと思います。その方が歴史の重みを感じます。

楊露禅の広めた太極拳が清王朝朝廷からあっと云う間に中国全土に広がりを見せようとした時、陳家溝が受けた衝撃は大きかったと思います。この前まで名もない弟子の一人だったのですから。結局この時代のうねりに巻き込まれたのだと思います。『太極拳』と付けざるをえなくなったのでしょう。

伝統太極拳と言えばやはりその代表は『楊式太極拳』です。

この伝統楊式太極拳もしっかり選別しないと次代の人たちを迷わせる事になるような状況にあります。加藤修三先生や事情を知っている私などが今後の日本の太極拳の為の仕分けを致さねばなりません。とは云っても加藤先生は既に旅立たれて居りますので、旅立つ前の私がやらせていただきましょう。世に『楊式太極拳』と言われているものを分けると、三つに大別出来ます。

1. 一番目は正式な楊式ではありません。それでも『楊式太極拳』と名称に入れている太極拳。その代表が『楊式太極拳伝統套路81式』・『楊式太極拳競技套路40式』。81式は山東省国術館の李景林氏が中心となって1931年に編纂されています。40式は81式をベースに競技用套路として1989年に中国武術研究院に依って作られました。何れも伝統楊式太極拳の正式な継承者が編纂した訳ではありません。本家とは無関係な場所で協議の上、作られています。日本の武術関係者が見れば、その違いは一目瞭然です。この他にも『○○流・楊式太極拳』 等々、楊式の名前の付いた太極拳が目白押しです。これらが悪いと云うのではありません。本流と無関係な者が無関係な所で作って楊式と名前を付けるのは、やってはいけない事だと思うのです。自分たちが作ったのだから、自分たちの名前を套路名称に冠すれば良いのです。『李式81式太極拳』とか『○○流太極拳』とかで広めれば良い。楊式の名前を利用するような使い方は間違っていると言いたいのです。ひどく紛らわしい。

2. 二番目は楊式太極拳の継承者とされている方たちの広布している太極拳ですが、武術性の薄れた『健康太極拳』としての伝統楊式太極拳です。これも日本の武術家が見れば一目瞭然です。何も悪いと言っている訳ではありません。健康太極拳も社会には必要です。ただこう云う『伝統楊式太極拳』があると明確に位置付けする必要があると思うのです。日本人は本来の武術としての楊式太極拳と分けて認識する必要があります。

3. 三番目は本来の武術としての『伝統楊式太極拳』です。この太極拳が使えるのは私の知る限りでは本家第六代の『傅清泉老師』だけです。世界でただ一人だけ。どうせなら日本にはこの太極拳が残って欲しい。日本太極拳友会の三代正廣先生は唯一この本物の太極拳を20年近く前から日本に紹介し、その広布に力を入れて来られました。この太極拳を学んで、初めて『太極拳』を学んだ事になります。残念ながら日本全国どこでも学べる訳ではありません。日本太極拳友会もしくは日本太極拳友会の関係教室でしか学べません。ただ、日本太極拳友会は交流合宿や講習会など、外部の太極拳愛好家たちにも門戸を開いている団体なので、学べるチャンスはあると思います。

伝統楊式太極拳も健康太極拳としての目的で学ぶのであれば、本来の武術性が失われようとあまり問題は無いかも知れません。それでは、本来の武術としての楊式太極拳と健康太極拳としての楊式太極拳の決定的な見分け方をここに一つご紹介致します。多分99%の日本の楊式太極拳愛好者の皆さんは健康太極拳の動きをされていると思います。

問題の箇所は攬雀尾の右弓箭歩・前按から単鞭に行く所で分かります。ここから右実足で扣脚して転身するのが、本来の武術としての楊式太極拳の動きです。健康太極拳は必ずここは左脚に重心を移す后坐動作を取ります。攬雀尾の前按の時、身体は西を向いています。套路の構成上、次に敵は真後ろである東から攻撃を仕掛けて来ます。そんな時に後脚である左脚に重心が移れば、一瞬身動き出来ずに「あっ」と云う間に敵に倒されてしまいます。右実足で変化すれば左脚も両手も自由に使えて、眼法も活きて来ます。敵にやられてしまう動作は、健康太極拳では許されるかも知れませんが、武術としては全く話しになりません。多くの日本人が上の指導者から慣習的に教えられるままに、本来の動作とは異なる間違った動作を身に付けていると思うと、日本の一武術家として残念でなりません。武術としての太極拳に一番に求められるのは、あくまでも技の合理性です。正しいか正しくないか、やって見ればすぐ結論が出ます。間違った用法を用いれば倒されて床に転がるだけなのです。

次代を担う日本人には、一人でも多くの人に正しい伝統楊式太極拳を学んで頂きたいと切に願う次第です。